第13話 YONIGE

 階下が静かになって、店仕舞いが済んだのを察してから一階へと降りた。

 プレインさんはカウンターで、俺と出会ったときと同じように食器を拭いていた。


「あぁ、ハイムラ。

 ……行くのか?」


「……お見通しですね」


 俺は苦笑いした。

 実際、そろそろこの店から────さらに言うなら、この国から出て行こうと思っていたからだ。


 このまま俺が匿われ続ければ、ここに足が付くのも時間の問題だろう。

 プレインさんに、これ以上迷惑はかけられない。

 まったく恩返しが出来ずにこの店を去るのは心苦しいが、これがベストだと考えていた。

 ……いつか、借りを返しに来よう。

 借りっぱなしは、シャクだから。


「大変、お世話になりました」


「……そうだな、ちょっと待っていてくれ」


 別れの言葉を言う俺を留めて、彼は二階に上がっていった。




 少し時間が経って、プレインさんが降りてきた。

 そして、何か長いものを差し出した。


「これは異世界人の友が使っていた業物だ。

 私にはもう、見てのとおり必要のないものだからな」


 そう言って、彼は埃を少し被った布袋を渡してきた。

 紐を解いて紫色の布を慎重にめくると、細い剣が現れた。


 装飾の少ないシンプルなデザイン。

 金具がいくつか付けられているだけの傷だらけの鞘。

 相当、使い古されたものらしい。


「スモールソード。

 軽いから、きっとハイムラにも使えるはずだ」


 鞘からスモールソードを抜く。

 刀身の長さは60、70cmセンチくらいだろうか。

 黒装束の男たちが使っていたのと同じくらいの長さだ。


 右手で柄を掴んで持ってみる。

 剣身の長さに比べて、想像以上に軽かった。

 ────子供の頃、手頃な木の枝を拾っては振り回していた記憶が蘇ってくる。

 これなら、片手でも十分扱えそうだ。


 剣身は両刃。

 飴色で、木目に似た模様があった。

 それがランタンの光を受けて、ぼんやりと闇を照らしていた。

 不思議な見た目だが、美しい剣だと思った。


「本当に、もらって大丈夫なんですか?」


「ああ、こんな店の主人の懐に置かれ続けるのは勿体無い。

 それに、活躍できる方がコイツも喜ぶだろう。

 ……きっと、アイツも喜ぶ」


 プレインさんが、少し遠くを見たような気がした。



「────私がハイムラを匿ったのは、その眼のせいだな」


 プレインさんが小さな声で呟いた。


「……眼、ですか?」


「あぁ、アイツに似てる。

 世界の厳しさを知らない、甘い、甘っちょろい眼だ」


 ────でも、嫌いじゃない。

 そう続けて、彼は俺を真正面から捉えた。


 目と目が合う。

 彼の眼は、もはや喫茶店の主人のものではなかった。

 鋭く光る、老練の闘士の眼。


「……無くすなよ、その眼を。

 甘いままで、必ず生き延びろ」


「……はい!」


 快く、返事をした。

 力が湧いてくる。


 精神的な支えの力がここまで大きいとは。

 敵だらけの状況で味方がいるというのは、それだけで心強いんだ。


 ……そんなことでさえ、俺は今まで知らなかったのか。

 それがちょっとだけ、恥ずかしくなった。



 足元に柔らかい感触を感じ、そちらを見る。

 サチコがいた。

 これまでにないほど、ぴったりと俺の右足に擦り付いている。


「そうだ、その子も連れていってくれないか?」


「……えっ、マジですか?」


 プレインさんが手を打って、そんな提案をしてきた。

 その眼は既に、喫茶店の主人のものに戻っていた。


 確かに、サチコにやたら懐かれてる感じはあるけど……


「このネコ……は、ハイムラのことを気に入ってるからな」


「そうですか? 結構そっけない対応をされることも多いと思うんですけど」


「いや、本当に気に入らないなら、その子は黒い槌でハイムラを出会い頭にぶっ飛ばしてるよ」


 なんだそれ。

 クソ怖えな、サチコ。


 彼女の方を見ると、自分の毛繕いに忙しそうだった。

 一心不乱に自身の黒い毛を舐めている。

 俺の右足にくっついたままで。


「……じゃあ、一緒に行く?」


 サチコはこちらを振り返った後、俺の膝の方まで両手を高く伸びて抱っこをせがんできた。

 ……本当、わがままなお姫様だこと。


「────では、行ってきます」


「ああ、行ってこい。

 ここへ来たら、また匿ってやるからよ」


 そう言って、プレインさんは笑顔で俺を送り出してくれた。


 作戦は頭の中にある。

 さあ、このクソッタレだけれど、優しい人のいるこの国ロフェメから脱出だ。


 改めて気を引き締めて、サチコを片手に抱いたまま俺は扉の外へと歩み出した。




 お店が閉まるまで、プレインさんから聞いた王都の地理を頭で思い浮かべながら、脱出の作戦を練っていた。


 ロフェメ王国の王都は、円形状に強固な城壁で囲まれている。

 壁の高さは6階建てのビル程度だろうか。

 とにかく、高い。

 かれこれここ数百年、この壁が外敵の侵略から王都を守ってきたそうだ。


 200年ほど前、魔族からの攻撃を受けたときも20日ほど耐え忍ぶことができたらしい。

 そのうち勇者が遠征から帰ってきて、魔族は一網打尽にされたとか。

 そういった記述が歴史書に残されていると、プレインさんが言っていた。

 ロフェメ王国の守護は勇者の存在のみで成り立っているわけではない、ということだ。

 今の俺が城壁を壊して脱出するのは不可能と言っていい。

 王都から脱出するためには、どうにかしてこの壁を突破しなくてはならない。



 現在、俺たちがいるのは王都南部のスラム街だ。

 警護の兵士の数は他の地域よりも少ない、とはプレインさんからの情報だ。

 あの喫茶店を見るに、人々の情報収集の場としての役目も果たしているだろうから、この情報の信頼性は高いだろう。

 攻めるなら、この場所からだ。



 作戦は複数ある。


 一つ目が、人の少なそうな関所から強行突破、というものだ。

 王都の関門は東西南北の四ヶ所に設置されている。

 そのため、いくらスラム街が南部を占めているといっても、関所の近くはより治安の良い状態が保たれているらしい。

 だが、兵士数から見ても、一番突破が簡単なのはおそらく南の関所だろう。


 この作戦は最もシンプルだが、リスクが高い。

 もし、夜間は門が閉められていたりしたら、まったく太刀打ちできなくなる。

 それに、追っ手を呼びやすい。


 二つ目が、壁の下を掘って脱出する、というもの。

 これは論外。

 城壁は硬いだけでなく、相当に厚い。

 壁の下を掘るには時間がかかるし、その間バレずに掘り切る自信がない。

 これは二進も三進も行かなくなったときの、最後の手段だろう。

 ……この作戦だけは、牢屋の中でも実行可能だろうから。


 最後の三つ目が、都市を取り囲む壁を自力で登る、というものだ。

 自分の世界と違って、こちら側ミグリットは夜間の灯りが少ない。

 正面突破よりも時間がかかるとはいえ、比較的短時間で済む。

 上手くいけば、面倒で怖い戦闘をせずに済むしな。



 壁を登る算段もある。

 先程、自分の固有魔法である【摩擦車ツァンラート】を色々試した。

 プレインさんの喫茶店が閉まるまで、ギルドカードを確認しながら固有魔法について様々なことを調べておいたのだ。

 試した結果は逐次、道具屋で購入した羊皮紙にメモしておいた。


 ローブの内ポケットからメモを取り出して、【摩擦車ツァンラート】の効果を再確認した。


1. 魔力は魔法を発動した時と、ズラしている間、そして魔法を解除する時に消費される。発動と解除はそれぞれMPを少量消費するようだ。ズラしている間は、だいたい1秒間に1ずつMPを消費した。ズラすことのできる距離は、物との距離や、物自体の大きさによって変化するようだ。平均して、70cmセンチ程度ズラすことができた。


2. 大きい物体をズラすと、小さい物体に比べて魔力をより多く消費した。革袋に対しては3ほど、大きな水瓶には6ほどMPを消費した。それでも、水瓶より大きい自分の体をズラしたときは5しか消費しなかったので、他にも色々とルールはあるのかもしれない。試しにサチコに魔法を発動してみたらしっかりとズレた。消費MPは15、体の割には多い。腕を引っ掻かれた。痛い。


3. 物体と物体がズレている状態で重なったとき、その位置で両物体の位置は固定される。二枚の金貨が重なるようにズラしたとき、どれだけ力を込めても、この二つを引き剥がすことはできなかった。黒装束との戦いの時のことを考えると、大きいものほど、このときのMP消費も多くなるのかもしれない。


4. 魔法を解除する際に、元の位置に戻すか、そのままの位置にするかを選べることが分かった。この両者にMP消費の違いはなかった。そして、そのままの位置で解除した場合、より強靭な素材で構成されている方が受けるダメージが少ない、ということもわかった。羊皮紙一枚を木製の床に対してズラして、そのままの位置で解除したとき、紙はズタズタに破れたが、床に傷は生まれなかった。



 メモを確認した俺は、羊皮紙をそこら辺の建物の中にズラして、そのまま魔法を解除した。

 メモはバラバラになり、紙片が風に乗って飛んでいく。


 自分の固有魔法の特性は頭に入った。

 もうメモは必要ない。

 このメモを何処かで落としてしまう方が怖い。

 なにせ、【摩擦車ツァンラート】は俺の切り札なのだから。


 この固有魔法の特性を使って、俺は壁を登ることにした。

 腕の中から、サチコが俺の顔を見つめてくる。

 ────彼女だけは、落とさないようにしないとな。


 いざ、脱出だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る