第12話 ホーリーナイト

 サンドイッチを食べ終わった後、プレインさんは二つマグカップを持ってきた。


 マグカップは黒い液体で満たされていた。

 鼻をくすぐる芳醇な香り。

 元の世界のコーヒーにそっくりだ。


 感謝の言葉を述べて、食後のコーヒーを味わいながら、これまでのことをプレインさんに話した。


 召喚のこと。

 他の勇者のこと。

 神殿から逃げ出してきたこと。

 ギルドに登録したこと。

 昨晩宿屋で襲われたこと。


 初対面の相手に、ここまで話すことに迷いも感じた。

 でも、孤独感と不安が積もっていたせいか。

 一度話し出したら、止まらなかった。


 プレインさんは俺の言葉に静かに頷きながら、最後まで話を聞いてくれた。



「────なるほど、そのようなことが……」


 話を終えると、彼は大きな溜息をした。


「あの、ここまで話しておいてアレですけど……

 全部ウソだとか、そう思ったりしないんですか?」


「嘘にしては話が出来すぎてる。

 即興でこんなことが出来るのはよっぽどのペテン師か、気狂きちがいだけだ」


「き、キチガイの可能性もあると思いますが」


「気狂いにしては目に輝きがなさすぎる。

 妄言を吐けるほどになると、もっと嫌な光が瞳に宿る。

 まぁ、経験則だけどな」


 褒めているのか、貶しているのかわからない言葉を頂いた。

 俺、そんなに目が死んでるのか。


 少し不服に思いつつも、膝の上にすっかり居ついてしまった黒猫をさすった。


 やたらとこの黒猫、俺に懐いている。

 元の世界で、この猫を助けたからだろうか。

 俺はこの猫の命の恩人だしな、一応は。


 そんなことを考えながら、黒猫の頭をワシワシと撫でた。

 すると、黒猫はサッと膝から飛び降りて何処かに行ってしまった。


 膝の上に、微かに温もりが残っている。

 寂しい、可愛い。


「話はわかったよ。

 アンタはつまり、勇者の召喚に巻き込まれた異世界人って訳だ」


 異世界人。

 また聴き慣れない単語が飛び出してきたな。

 確か、宿屋で襲ってきた黒装束の男も、同じような言葉を使っていた。

 意味は、何となく理解できるけど。


「異世界人、とは?」


「文字通り、別の世界からこの世界ミグリットにはるばるやってきた異邦人のことだよ。

 私が賞金稼ぎバウンティ・ハンターだった頃の、昔馴染みの友人がそうだった」


 念のため、言葉の意味を聞くと、想像通りの答えが返ってきた。

 彼の友人に異世界人がいたのは意外だったが。

 他にも、異世界人っているんだな。


「まあ、彼は勇者の召喚に巻き込まれたわけでもなく、偶然コチラに来てしまったわけだが」


 勇者の召喚とその巻き込まれ以外でも、異世界人ってこの世界に来れるのか。


「異世界人って、どんな特徴があるんですか?」

 

「……どう表現するべきかな。

 名前が変、ということと。

 ────そうだ、強さに限れば、アイツは次元が違っていた。

 賞金稼ぎバウンティ・ハンターの中でも、その功績は際立っていた」


「おおぉ……」


「まあ、賞金首を必ず生け捕りして連れてくるんだから大したもんだよ。

 性格が甘かった、ということもあるが。

 私たちの誰にも使えない魔法を馬鹿みたいに連発するんだから、とにかく強かった」


 昔を懐かしむように、目を細めながらプレインさんは語ってくれた。


「彼は、どんな魔法を使っていたんですか?」

 

「何もかもを、強制的に固定する魔法。

 剣も魔法も無理やり止められるんだから、そりゃ誰も勝てない訳だ」


 ────固有魔法か。

 「何かを固定する」という、火や風といった属性によらない異形の魔法。


 ということは、異世界人なら別に【女神の加護】が無くても固有魔法が使えるのか?


 自分の右手の、【女神の加護】に視線をちらりと移す。

 ────じゃあ、これは何の為に。


「……その人は今、どこにいるんですか?」


「ある日突然、王国所属の騎士に捕らえられた。

 その後の行方は、知らねぇな」


 吐き捨てるように彼は言った。

 プレインさんの瞳に暗い色が浮かんでいく。


 後悔や憤怒、少しの憎悪。

 それらを混ぜ合わせた色だ。


 プレインさんの友人はそんなに強い魔法が使えたのに、国には勝てなかったのか。


「本当に突然、捕まってしまった。

 ……私は、アイツがあんな大罪を犯す人間だとはとても思えない。」


「……大罪とは?」


 失礼だとわかっていながら、勇気を出して尋ねる。


「だいたい、ハイムラと同じだった。

 民間人への暴行、窃盗。

 あぁ、殺人もあったな。

 そのほとんどがでっち上げだと、私は思っている。

 ……表でこんなことを言えば、直ぐに騎士に引っ張っていかれるだろうな」


 そう言って、彼は残りのコーヒーを一気に呷った。


 ────この人は、飲み干してきたんだ。

 国への黒い憎悪を、これまで誰にも見せずに。

 

「……私は国を信頼していない。

 だから、そんな輩に追われているハイムラを助けた。

 シンプルで、十分だろ?」


 プレインさんは立ち上がり、俺の手配書の方へと向かっていった。

 ────そして、それを一息に破りとった。


 こちらを見て、彼はニヒルな笑みを浮かべる。

 暗い色は、もう瞳に映ってはいなかった。




 真っ暗。

 ふと、店の二階で仮眠をとっていたことを思い出した。


 ────あの後、会話の途中で強烈な頭痛と倦怠感に俺は襲われた。

 本当に唐突だった。

 見るからに調子が悪そうな俺に、プレインさんが寝室を貸してくれたのだ。


 お陰で、気分は爽快だ。

 久しぶりに、深い眠りに就くことができたような気がする。

 もう頭痛も倦怠感もない。

 疲れも吹き飛んだ。


 小さな声が階下から聞こえてきたので、耳を澄ませる。

 ……誰かが雑談をしている。

 もう、お店は開いたんだろうか。


 ここで下に降りていっても、騒ぎを起こすだけだろう。

 何にせよ、逃亡犯を匿っているというのが大勢にバレると、プレインさんも巻き込んでしまう。

 せっかく、手配書まで破ってくれたのに。

 その気持ちを、無視するようなことはしたくなかった。


 隣を見ると、黒猫がいた。

 ずっと寄り添って寝ていたのだろうか。

 この子を中心として、シーツにシワがあった。

 ……体調を崩した俺をずっと見守ってくれていたのかもな。


 「ありがとうな」と声をかけて、頭を撫でる。


「……」


 身動ぎもせず、こちらを見つめてくる。

 無反応。

 もうちょっと、反応してくれないと撫でがいがないぞ?

 ……でも、これはこれでキュンとする。


「……君、名前は?」


 黒猫は沈黙したままだ。

 ────だが、小さく首を傾げていた。

 俺の問いに「分からない」と返しているみたいだ。


 サンドイッチを食べていたときから、この黒猫は俺の言葉に反応することが多かった。

 もしかしたら、人間の言葉の意味がわかるのかもしれない。

 猫なのに。


「じゃあ、俺が名前を付けてあげる」


 ……これは、俺のただの気まぐれだ。

 彼女────股間を見てわかったが彼女はメスだ────には、首輪の跡もない。

 きっと、野良猫だったんだろう。


 これまで、名前で呼ばれたことはなさそうだ。

 プレインさんにも、名前では呼ばれていなかったし。



 名前を付けるというのは、もしかしたら人間のエゴなのかもしれない。

 動物であれ、子供であれ。


 だからこそ、この子がこれから幸福になれるよう、祈りを込めて名前を付けたかった。

 これは、黒猫にこれから幸せになってほしいと願う、俺のエゴだ。


 ────黒猫は不幸の象徴として扱われることが多い。

 それを裏付けるかのように、俺はこの世界ミグリットで黒色を見かける度に、これまで散々な目に遭わされた。


 この猫を助けようとして、トラックに轢かれた。

 全体的に黒い吉田に出会って、神殿からの脱出を決心した。

 黒装束の男たちに殺されかけた。


 でも、それらの繋がりはきっと偶然だ。

 実際、この子には何の罪もないだろう。

 ……トラックから彼女を助けようとしたのも、俺のエゴだし。


 それに、黒猫は元の世界では不幸だけでなく、幸福の象徴でもあった。

 目蓋を閉じて、俺は祈る。


 ────これからは不幸の象徴ではなく幸福の象徴として。

 その身にまとう黒色が、この子自身に幸せを運びますように。



 名前が決まった。


 ゆっくり口を開く。

 暗室で、彼女の瞳だけが満月のように輝いていた。


「お前の名前は、黒木サチコ……どう?」


 彼女は名前を聞いてから、俺の首に寄り添って再び眠り始めた。

 相変わらず、そっけない黒猫だこと。


 それでも、サチコがまんざらでもないように、俺には見えた。

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