第11話 地球人と地球ネコ
ダメだ。
もう、屋外はダメだ。
屋内に逃げよう。
今の時代はインドア、インドアだよ、やっぱり。
再び追っ手を振り切った俺は、完全に疲弊していた。
────もう、不法侵入がどうとか、知ったことか。
なんなら、既に俺は盗人だしな。
開き直って、目につく建物を吟味していく。
だが、入れば逆に滅多打ちにされそうな、治安の悪そうな建物しか見当たらない。
細い木の枠組みに獣の皮を継ぎ接ぎして貼りつけたような家が、どこまでも続いていた。
スラム街は迷路のように入り組んでいる。
逃げるのには好都合。
だが、隠れる場所を探そうとすると、あまりにも安全な場所がなさすぎる。
────もう一度、裕福そうな地区に戻るべきか?
……それにしても、戻り方が分からない。
あぁ、これアレだ。
完全に、迷った。
考えを張り巡らせながら走っていたせいか。
誰かにぶつかった。
「おい兄ちゃん、よそ見してんじゃねえ────ッ!??」
喧嘩を吹っかけてきたソフトモヒカンの男。
彼を【
空中に投げ出された男に対して、発動と解除を素早く繰り返す。
男は右に左に、着地するまでひたすらシェイクされた。
ソフトモヒカンは空中で振り回されるのみだ。
「ブルルルルルルルルゥゥァアア!?!?」
緑の人造人間のような叫び声を上げるモヒカン男。
一見、シュールな光景。
やられた方からすれば、たまらないだろうが。
地面に着いたとき、糸を切られた人形のように男は倒れた。
もう、スラム街に入り込んでから、この手合いには三度ほど遭遇している。
その度に、こうやって魔法の練習がてら自己防衛をしている。
……何度もこれをしているうちに、ちょっと自己防衛が楽しくなってきた。
先ほどのシェイクは、固有魔法を使っていくうちに慣れてきて、発動と解除のタイムラグが短くなったからこそ出来るようになった技だ。
怪我の功名、といった感じか。
もはや、石畳のカケラもない荒れた道を走り続ける。
筋肉質な太い腕に刺繍をした男。
蕩けた顔で煙草をふかす女。
横目に映るのは、そんな人々ばかり。
どこもかしこも、治安が悪そうだ。
せめて、治安の良さそうな建物は見つからないだろうか。
────ふと、路地裏にお洒落な家を見つけた。
近づいて見てみる。
この家だけやたらと、周囲の建物よりしっかりした作りになっていた。
レンガと石材の組み合わさった家だ。
石材には細かな装飾が彫り込まれている。
扉にも黒いツヤがあって、なかなかいい雰囲気が出ている。
「準備中」の札が掲げられているあたり、何かのお店らしい。
「あンの野郎、どこ行った!?」
少し前に撒いたはずの兵士の声が聞こえる。
やばい。
急いで店の扉に手をかけると、あっさりと開いた。
「────ん? なんだァ!?」
驚愕する店主。
それもそうだ。
突然ローブを羽織った見知らぬ男が自分の家に入ってきたら、俺だってそうなる。
唇の前に人差し指を立て、店主のいるカウンターの方に小走りでしゃがみつつ駆け寄る。
そのまま、外から見えないようにカウンターの影に隠れた。
少し間を置いて、店の表から複数人の慌ただしい足音が聞こえてきた。
足音はやがて遠ざかっていった。
……ホッと一安心。
とにかく、隠れることはできたか。
「……なんだ、アンタ……」
店主が小声で、足元の俺に語りかけてきた。
店主は黒髪面長の、壮年の男だった。
目は窪んでいて、彫りが深い。
目尻に深く刻まれた小皺が年齢を伝えつつも、どこかエネルギッシュな印象を受ける。
不思議な相貌をしていた。
「拝村、あっ、ジョン・ケイ・ドゥムラです。
いろいろあって、追われてます」
「……ハイムラね」
とっさに訂正したつもりだったが、本名がバレてしまった。
これからは気をつけないとな……
店主は視線をこちらに投げかけた後、俺が来るまで続けていたであろう、食器を拭く作業に戻った。
「あの、追い出したりとか、しないんですか……?」
入り込んできた当事者である俺が聞くのもおかしいが、そう尋ねずにはいられなかった。
「別に追い出したりなんかしねぇよ。
……実物は、そんなに悪党でもなさそうだしな」
「実物」と、既に俺を知っているような口ぶり。
それについて問うと、「あぁ、知ってるよ」という言葉が帰ってきた。
「アンタ、昨日から有名人だぞ。
【始まりの神殿】での暴行、窃盗、女神への冒涜。
凄まじい狼藉だな。
そりゃあ、国の兵士に追われるわけだ」
そう言ってから、店主はカウンター横の掲示板を指差した。
彼が差す場所を見ると、俺の顔写真が貼り付けられていた。
────え、いや、なんで!?
近づいて、それを確認する。
厳密に言えば、それは写真ではなかった。
目を凝らせばインクの濃淡が分かった。
何気に、しっかりフルカラー。
神殿の赤いカーペットに転がって、呻いている俺がそこに映っていた。
召喚のときの自分の姿だ。
よりによって、一番恥ずかしいところかよ。
「投影魔術で出力された投影画だ。
……最近発明されたカラクリらしいが。
おかげで、同業者が仕事をしやすくなった」
「ま、俺はとうの昔に廃業したけどな」と付け加えて、店主はレタスのようなキャベツのような野菜を刻み始めた。
レタスか、いやキャベツか。
野菜を切る包丁が、心地良いリズムを奏でる。
「店主さんは、昔はどういったお仕事を?」
「ざっくばらんに言えば、
それと、私の名前はプログレ・プレインだ」
賞金首を捕らえて、それで糊口をしのいでいた、と。
プレインさんは言葉を続けた。
「今はしがない喫茶店の店主。
こちらの方が性に合ってる」
あとはよろしく。
そう言って、プレインさんは野菜の余った切れ端をカウンター上の黒猫に渡した。
────黒猫?
「なんだあんた、この魔獣を知ってるのか?」
「魔獣も何も、これは猫ですが……」
「ネコ、っていうのか。
初めて聞く魔獣の名だな。
昨日の朝に、ここに迷い込んできたんだが」
ここ数日はどうも迷い込んでくるヤツが多いな。
プレインさんはぶつくさ言いながら、パンを縦にスライスした。
パンは綺麗に真っ二つになった。
微かに、小麦の匂いが香る。
目線を黒猫の方に移す。
彼の調理に気を取られている間に、野菜は無くなっていた。
黒猫が野菜を食べたのだろうか。
……この一瞬で?
黒猫の月に似た金色の瞳が俺の姿を捉えていた。
ジッとこちらを見つめている。
────いや。
コイツは見たことがある。
神殿で、そして元の世界で。
トラックで轢かれる前に、俺が抱いたのも。
召喚直後、外へ走り去っていった黒い影も。
「────もしかして、あの時の黒猫?」
疑問を投げかけた俺に返事しているかのように、黒猫は長い尻尾をしならせて振った。
「ほら、これでも食いな」
黒猫を膝の上に乗せて癒されていたところ、プレインさんが木皿を差し出してくれた。
皿の上には、見るからに美味しそうなサンドイッチが乗せられていた。
野菜は官能的なほど艶やか。
それに包まれたベーコンも、それ自体が光を発しているかのように照っている。
脂のノリ具合を想像するだけで、ヨダレが出てきそうだ。
「グレイン・ビーの蜂蜜もサービスで入れてある。
毒は入っていないから安心しな」
グレイン・ビーが何かは知らないが、黄金色のソースが今にも垂れそうになっていた。
摘みたての上品な花から醸し出されるような、爽やかな甘い匂い。
ソースに、その蜂蜜が混ぜられているのだろう。
「いただきます」と手を合わせてから、大きく口を開けてかぶりつく。
そして、目を見張った。
なんだこれ、美味すぎる。
「……高級な石鹸みたいな、いい匂いが鼻腔をかけ巡って、最高ですね。
かつ、ベーコンと野菜の殴り合いを蜂蜜のソースが咎めているかのような味の調和。
具材がシャッキリポンと口の中で踊ってますよ!」
「お、おうよ……
喜んでいただけたなら良いが……」
「うま、うま……」
なぜかプレインさんは困惑していたが、それを気にすることもなくサンドイッチを口に放り込み続けた。
数分もたたないうちに、サンドイッチは腹の中に収まってしまった。
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