第10話 逃げるはガチだがマキシマム

 まずは、先頭の男。


 固有魔法の使い方は、誰かに教えられるまでもなく理解できた。

 本能というものがあるのなら、これがそうなんだろう。


 手首にスナップを利かせて、右手を下に軽く振った。

 たった、それだけ。


 ────その瞬間、男が床にズボッと嵌った。

 すぐさま、念じるようにして【摩擦車ツァンラート】を解除する。


「────ガァッ!?」


 バゴン、と木材の爆ぜる音が廊下に響いた。

 呻き声を上げる男。

 彼はそのまま、その場に倒れ伏した。


 男の両脚部を見る。

 木の破片が深々と、何本も刺さっていた。

 ……木材が、脚を貫通している。


 総毛立った。

 これ、俺が、やったのか。

 想像以上に、グロいぞ。

 少し、固有魔法を使ったことを後悔した。


 男の惨状に、残りの三人は怯む。

 だが、ほとんど間を置かずに二人がこちらへ向かってきた。


 それを見て、右手を右左と素早く往復させる。


 ────視認できない速度。

 それこそ一瞬で、二人の男は廊下の両側にズレた。


 目を凝らすと、二人とも黒装束の袖が壁面にめり込んでいた。

 ……丈の長い黒装束を着ているのが仇になったな。

 こちらからすれば、それが有利に働いた。


「……さぁ、どうする?」


 わざとらしく両手を大きく広げて、残った一人に問いかけた。

 声は震えて、若干早口になってしまった。


 二人の【摩擦車ツァンラート】は、まだ解除しない。

 脱出には時間がかかるだろうから。

 それに万が一、手や腕の一部が壁にめり込んでいたりしたら、見るに耐えないことになってしまう。

 ……グロいのは、苦手だ。


 残念ながら、最後の一人も向かってきた。


 ────速い。

 これまでとは桁違いのスピードで迫ってくる。

 【身体強化】を使ったからだろうか。

 詠唱している様子はなかったぞ。

 ……無詠唱。

 そういうのもアリか。

 このままでは、さすがに避けられない。


 ────男の腕が上がるのが、微かに見えた。


 素早く腕を上げる。

 再び【摩擦車ツァンラート】を発動する。


 振るわれた剣は、俺に届かなかった。

 黒装束を奥へズラして、剣撃をスカしたから。

 そのまま、魔法を解除する。


 姿勢を崩した彼に向けて、強く念じる。

 もう一度魔法を発動し、彼を上の方向にズラした。


 ────その結果、男は首から上が突き刺さった形で、天井からぶら下がった。

 ……なんか、すげぇシュールだな。



 最初の男は完全に脚がやられたようだ。

 ずっと、立ち上がることができずにいる。

 敵意のこもった眼差しをこちらに対して向けるのみだ。


 両側の二人も、未だ拘束から逃れられていない。

 黒装束だけでなく、身体の一部も壁にめり込んでしまったか。


 最後の一人に至っては、天井の方から「えっ、はっ?」という声が微かに聞こえてくるだけ。

 一応、天井の向こう側では生きているようだ。

 ……さっきまで命のやり取りをしていた相手の心配をするというのも、我ながら滑稽に思う。


 ────完璧に、制圧した。


 物をズラす魔法、最初はメチャクチャ弱いと思っていたが、意外に使える。

 というか、圧倒的。

 固有魔法が「非常に強力」と評されているのにも頷ける。



 一息ついてから、ギルドカードで使用MPを確認した。

 

名前:ジョン・ケイ・ドゥムラ

レベル:1

HP:50/50

MP:32/500


 ────えっ、そんなに固有魔法、連発したっけ?

 しかも、今も物凄い勢いでMPが減ってる。

 1秒間に3ずつくらい減ってる。


 ぞわりとした。

 MPが0になるとどうなるのだろうか。


 ここで、最後の三人の【摩擦車ツァンラート】を解除していないことに気が付く。

 解除するのにも、いくつかの方法があったりするんだろうか。


 とりあえず、頭が突き刺さってる一人に対して、なるべく傷つけないつもりで魔法を解除してみる。

 手を向けて、先ほどと同じように念じた。


 すると、男は【摩擦車ツァンラート】を使う前の位置に一瞬で戻った。

 彼は腰が砕けたようにその場にへたり込む。

 どうやら、魔法を解除するときに元にいた位置に戻すか、その場にいるままにするか、自由に指定できるようだ。


 次に、両側の二人に視線を移す。

 こいつらは元の位置に戻すとそのまま攻撃してきそうだし、その場で解除でいいだろう。

 彼らにも、連続して手を伸ばす。


 思いっきり壁を殴打したような音。

 二人揃って通路の中央に向かって倒れた。


 二人とも、手を押さえ込んでいる。

 一人は中指から小指を。

 もう一人は手の甲全体を負傷しているようだ。

 それを見て、嫌な気分になった。


 両側の壁には、それぞれの負傷部位相当の大きさの穴が空いていた。

 身体も、壁にめり込んでいたのか。


 男の着る黒いローブは、壁から剥き出しになった木材に絡み付いていた。

 彼らが動くのは、しばらく難しそうだ。


「……お前らの、目的は?」


「────異世界人の生死を問わない捕縛。

 これ以上は、言えん」


 天井から戻されて床にへたり込んでいた男が、低音のイイ声で答えた。

 その後は、「拷問されても吐かんぞ」といった風に、黙り込んでしまった。

 ……さっき天井からぶら下がってたとき、もっと情けない声出してたのに。


 ギルドカードをチラリとみると、MPは50に回復していた。

 ────もう一度、こいつを上なり下なりにズラして、情報を集めてみるか?

 


「え、これは……

 えっと、なんです、か……?」


 声のした方を振り向くと、薄着の女性が明らかに怯えた様子で立っていた。

 他の部屋の客も扉を小さく開けて、こちらを伺っている。


 ……これ以上、ここにいることはできないか。

 黒装束を尻目に見てから、足早に俺は宿屋を去った。


 夜はまだ長い。

 安全な場所を、また探すことにしよう。




 これで、しばらく追われることはない。


 あの時はそう思っていた。

 ──終わらないんだな、これが。


 街を取り囲む堅牢な壁から、朝日が登る。

 異世界二度目の朝は、一度目の朝以上に最悪だった。


 再び路地裏。

 死んだ目で土を弄る。

 何を考えるというわけでもなく。

 無心で土を指でこねくり回す。


 物を盗んでなかったら、今頃爽やかな目覚めを体感できていたんだろうか。

 ……いや、物品の奪還より俺の確保が目的っぽかったし、それはないか。

 脳内麻薬の切れた回らない頭で、そんなことを考える。


 大きな欠伸が出た。

 そろそろ、流石に眠たい。




 発端は、宿屋から立ち去った時間にまで遡る。

 端的に言うと、あの後、宿屋の入り口にも黒装束が何人もいた。 


 そこからは、ひたすら追っ手を【摩擦車ツァンラート】で地面に埋めては即解除する、の繰り返しだ。

 それを、この時間になるまで続けた。


 変化があるとするなら、空が明るくなってきた頃から、追っ手が黒装束から騎士に変わったことだろうか。

 対処法に変化はない。

 埋めて、抜くだけ。


 硬い素材を避ければ、脚へのダメージはそれほど大きくなさそうだった。

 なので、追っ手が石畳を外れて土を踏むたびに、彼らを地面に埋めている。

 こちらは相手の身体を多かれ少なかれ気にかけているのに、向こうは完全に殺す勢いでやってくる。


 こんなことを一晩中やっていると、酷く疲れた。

 睡眠不足も相まって、イライラしてきた。



 今はスラム街らしき地区に逃げ込んで、ボロ屋の陰で休んでいる。


 ────いや、どうやら休んでいる時間もろくに無いらしい。

 「そっちに逃げたぞ!」と、男の声が聞こえてきた。


 さぁ、また人間収穫祭の始まりだ。


 追っ手を地面に埋めて引っこ抜くだけ。

 誰にでもできる簡単な作業。

 気分はピク◯ンのオ◯マー。

 沢山の人が積極的に関わってきてくれるアットホームな世界だ、ここは。


 ────ハッキリわかった。

 この世界はクソだ。


 せめて腹ごしらえはしようと、適当に手に取ってきた根菜に齧りつく。

 辛くて、つらい。


 追い討ちをかけるように、道端に落ちていた大きな糞が、痛いくらい鼻をついた。

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