第8話 イニシャルはD
ギルドカードを作ってからは早かった。
冒険者とは、魔物を討伐したり、危険な地に赴いて素材を採集することにより生計を立てる職業であること。
実質的に、傭兵としての役割を兼ねる場合もあること。
実績をコツコツ積み上げることにより、昇格試験を受ける資格が得られ、それにクリアすることで冒険者のランクが上がること。
そういった冒険者のイロハに関する説明を受けると、登録はあっさりと終了した。
だいたい想像通りのシステムだったので安心した。
「傭兵になる場合もある」というのは不安だけど。
ギルドで冒険者登録を終えると、いくらか銅貨が貰えた。
冒険者志望には一文無しも多いため、初期費用も配布されるらしい。
ギルドとしては、「頑張って依頼をこなして元を返してね」といったところだろうか。
「冒険者は焦りが死に直結します。
まずは自分と同等か、それよりランクの低い依頼から受注することをオススメします」
「最後に」と受付嬢は一枚の紙片を手渡してきた。
そこには「ジョン・ケイ・ドゥムラ」の名前。
────そして、冒険者ランク“D”の字が記されていた。
ギルドを出て、物思いに耽りながら今日の宿屋を探した。
街中の会話をいくら盗み聞きしても、「勇者」という単語を一度も耳にすることはなかった。
ほぼ確実に、勇者の召喚に成功したという事実がロフェメ王国内の民衆にはまだ知らされていない。
理由はわからない。
もう一人の勇者が見つかっていないからか。
俺が逃げ出したからか。
勇者の召喚自体が、他国に知れ渡ってはいけない機密情報だからか。
それとも、もっと別の理由か。
それでも、多くの人々が勇者の登場を待ちわびているという事実は、確かなようだ。
────王国所有の商船が行方不明、魔族の私掠船か。
掲示板に貼られていた記事に、そのようなことが書かれてあった。
人間と魔族の小競り合いは、今この瞬間も続いているようだった。
もう一度、紙片を手もとに取り出して眺める。
無骨な“D”の字が、その中央で存在感を発揮していた。
……過大評価がすぎるだろ。
ランクを告げられた後、Dランクの依頼を確認してみた。
だが、どれも俺の手に負えそうになかった。
ベリーベア一頭の討伐とか、オーク三頭の討伐とか、そんなのばっかりだ。
名前からして、クマや、イノシシの頭を持つ怪物だよな?
シンプルな疑問として、高校生にそいつらが倒せるのか??
マタギならともかく、山に登った経験すら数えるほどしかない高校生だぞ!??
「このMP量なら、強力な火魔法や時空間なんかも操れちゃったりしますよね!」とか、そんな軽いノリで冒険者ランクを決められてたらどうしよう。
物をズラすことしかできないですよ、俺。
「魔物討伐の依頼を受けたときには必ず仕留めてから、その証拠の魔核をギルドに持参してくださいね」
受付嬢から冒険者について説明を受けていたときに、そう念を押されたことが脳裏によぎった。
魔核とは、魔物の動力源になっている結晶のような器官のことらしい。
動物でいう心臓のようなものだろう。
もしかしたら、俺が不殺の誓いを立てていて、そのせいでレベルが上がっていない、とか、勘違いされているのかもしれない。
……確かに、魔物といっても、生き物を殺すのには抵抗があるけど。
グロいのと怖いのは嫌いだ。
遊園地のゾンビショーで顔が涙でぐしゃぐしゃになったことがあるし。
冒険者という職業に対する不安が、ぽこぽこと湧き上がってきた。
最初はスライムとか、雑草の刈り取りとか、そういったことから始めよう。
受付嬢も「簡単な依頼から」みたいなこと、言ってたしな。
絶対、そうする。
俺は心のメモに、「命大事に!」と書き留めた。
石造りの高級そうな宿屋を見つけて、銀貨10枚で一番上等な部屋を借りた。
お金を持ちすぎている状況というのも怖い。
カツアゲとかされそうだし。
こういう地道なところから、お金は減らしていきたかった。
なにもこれも、神殿から盗みすぎた俺が悪いのだが。
宿屋の主人直々に案内され、部屋に向かう。
上客だからか、やたらめったら笑顔で主人は対応してくれた。
部屋は最上階の、元の世界でいうスイートルームだった。
主人に礼を言ってから自室を見て回った。
自室は玄関からして広々としていた。
元の世界でもこのレベルの宿に泊まったことがないので、ソワソワする。
まず、靴箱がしっかりと玄関に兼ね備えられているのに、まずビックリした。
靴を大量に持ち込む貴族なんかが、
……もしくは、ムカデみたいに脚の多い人とか。
部屋は4つもあった。
寝室、リビングにお風呂。
そして、葉脈のように溝が全面に渡って掘り込まれている石室。
石室の使い道は分からなかったが、部屋の中心であぐらをかいてみると、少しだけ力が漲ってくるような気がした。
お風呂を済ませて、ベッドに腰掛けた。
異世界のお風呂は意外にもすこぶる清潔だった。
……でも、一人だとやっぱり寂しい。
両手足の広げることのできる大きな浴槽が、かえって孤独感を加速させた。
ギルドカードと、冒険者ランクの書かれた紙片を革袋から取り出した。
カードの裏側を見ると、皮を貼り付けて作られたポケットがあった。
そこに紙片を入れる。
ぴったりと収まった。
ギルドカードを表に向けて、自分のステータスをボーッと眺めた。
名前:ジョン・ケイ・ドゥムラ
レベル:1
HP:50/50
MP:474/500
ギルドにいた時と比べると、MPがかなり回復している。
ギルドを出てから、出来るだけズレたことは考えないようにした。
そのおかげか、たっぷりMPの残量はあった。
────これなら、いけるかもしれない。
革袋を床に置いて、手のひらを向ける。
鷲峰が固有魔法を発動したときのことを再び思い出す。
彼は自分の固有魔法の名前を唱えてから、物体の順位を指定していた。
やっぱり、ここで固まってしまう。
固有魔法の名前を、そもそも知らないから。
手のひらを革袋に差し出したまま、「ズレろ!」とか「オラァッ!」とか、「エターナル・フォース・ブリザード!」など、思い当たる単語をしらみつぶしに唱えてみた。
結論から言えば、まったく変化が起こらなかった。
MPの欄を確認しても、それっぽい掛け声を叫ぶたびに1ずつMPが減っていくのみだ。
むしろ、このMPの減り方が気になってきたな。
魔法は失敗しても、MPを消費するんだろうか。
鷲峰のように、一発でごっそり50くらいMPが減る、なんてことが起これば、もう少し分かりやすいのだが……
窓から外を見ると、いつの間にか空が赤く染め上げられていた。
夕方になるまで、ずっとこんなことをしていたのか。
……虚しくなった。
それでも、することがないので「えいっ」「ファイヤー」「アイスストーム」と唱えながら、異世界の長い夜を過ごした。
夢を見た。
心地良いけれど、ぼんやりと哀しい夢を。
一人の乳飲み子が、母親らしき女性に抱かれている。
────直感的に、その乳児が自分だと理解できた。
夢に根拠はいらない。
それは、誰だってそうだ。
母親の顔にはモヤがかかっている。
俺が、母親の顔を覚えていないからだ。
正確には、覚えられるはずもなかった、と言った方がいい。
中学校の入学式の日だった。
「あなたのお母さんは一人で出産まで頑張ったの」と、自分が育った養護施設の職員さんに教えられたことがある。
父親は若くして、心臓の病で亡くなっていた。
母親は、俺が生まれた二週間後に病室から姿を眩ませたらしい。
「出産の疲れからかな」と。
そう言った、養護施設の職員さんの顔に影が差した。
その言葉の続きを、俺は尋ねることができなかった。
「育児を放り投げた」
「自ら命を絶った」
良い返事が、返ってきそうにもなかったから。
春の日の冷たい、救いようのない思い出だ。
両親がいないことについて、悲観したことはない。
親がいないことを当たり前として受け入れて、これまで生きてきたから。
職員さんには良くしてもらっているし、友人もいる。
俺は決して孤独じゃなかった。
それでも、時々不安になることがある。
俺は望まれて生まれてきたのか。
存在していてもいいのか、と。
そういったことを無性に叫びたくなるときがある。
この夢は、そんな自分の疑問が反映されているだけなのかもしれない。
────俺は母親に愛されていた。
そう思いたい、だけなのかもしれない。
これは曖昧で、うまく捉えることのできない想いだ。
目の前の、安らかな光景に向けて手を伸ばす。
────どれだけ差し伸べても、母親に手が届くことはなかった。
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