第5話 走る走る俺

 さながらスパイのような気分で、神殿の出口までやって来た。


 幸運にも、神殿内にほとんど騎士はいなかった。

 見張りがいたとしても、眠気にやられてポケーっとしているか、壁にもたれて居眠りをしているかのどちらかだった。

 ……こちらとしてはありがたいが、ちゃんと仕事しろよ、とも思う。


 そんな騎士たちに対して、かくいう俺は冴え渡っていた。

 もともと夜型だし、一徹くらいは屁でもない。



 こうして、神殿の出口まで迷いながらも、たどり着いた訳だ。

 流石に、門番の騎士はしっかりと起きていた。

 光源に照らされた影が2本、伸びているのが見える。

 その影は時折頭を掻いたり、背伸びをしたりしている。


 ……さあ、どうやって切り抜けよう。

 使えそうなものを頭に思い浮かべる。

 まず、“物をズラす魔法”とやら。

 ……別れ際に吉田に教えてもらったはいいが、魔法をどうやって使うのかがわからないな。


 鷲峰の場合は、確か固有魔法の名前を唱えてから、物の順位を指定していたよな。

 「お風呂なんたらの翼」がどうとか、言ってた気がする。

 じゃあ……えっと。

 なんて、言えばいいんだろうか。


 ────それに、魔法を発動したところで、もう1人はどうするんだ。

 ものをズラす程度じゃ、どうにもならない気がするぞ。


 冷静に考えると、この固有魔法が鷲崎のものに比べて、ますます弱いもののように感じられた。

 順位を操る魔法と、ものをズラす魔法じゃ、力量差が違いすぎるだろ。

 スマホゲームだったら、リセマラ確定だ。


 そもそも、ステータスが見えないので、固有魔法の名前も皆目見当が付かないし。

 ……クソッ、ついてねぇ。

 己の不幸を呪った。


 固有魔法を使う案は却下。

 他に、何か使えるものはないか。 


 適当に、倉庫らしき部屋からかっぱらってきた物品を再確認するため、革袋の中をまさぐった。

 「こっちは命を賭けてるんだ」と考えると、神殿の物を盗むことに不思議と罪悪感は湧かなかった。

 RPGでも、勇者は勝手に人の家に入ってタンスを漁ったりするし、まあ大丈夫だろう。

 俺は、勇者じゃあ、ないけどな!

 そんな自分勝手な理論で、自身の心を宥めた。



 革袋の中を確認する。


 お洒落な小瓶に入った謎のピンク色の薬品。

 ────媚薬とかだったら嬉しいので。


 金ピカの高級そうな手鏡。

 ────売れば高く値が付きそうだから。


 色とりどりの宝石が嵌め込まれた短刀。

 ────これも高級品っぽかったから。


 聖書らしき本。

 ────暇つぶしになるものが欲しかったので。


 十数枚の金貨。

 ────言わずもがな。


 直感で選んだ拝村セレククションだ。


 倉庫の中には内臓のホルマリン漬けっぽいものや怪しい銅像など、禍々しいものも沢山あった。

 理科準備室みたいで面白かったが、想像以上に便利そうなものが少なかった、というのが本音だ。

 まぁ、神殿に便利さを期待した方が間違いだったか。

 選んできた品々も、現状に対してはつくづく役立ちそうにない。


 

 ……仕方ないので、正面突破することにした。

 もともと、俺が逃げたことがバレるのも計算のうちだ。


 まずは、ここを抜け出すことが大事。

 行き当たりばったりが性に合ってる。


 バレた後のことは、バレた時に考えればいい。



 俺は地面に両手をついた。

 腰をかがめて、尻を上げる。


 ────クラウチング・スタート。

 この世界には存在しないであろうポーズだ。


 ────位置について、よーい、ドン。


 頭の中でピストルが鳴る。

 瞬く間に、俺は風になった、気がした。

 ……陸上競技の経験皆無の、帰宅部だけどな。


「────ッ! おい、お前!!」


 俺に気づいた騎士2人が止めに入る。

 だが、厚い鎧をまとった姿では追いつくこともできないだろう。


 俺の方が、かなり速い。

 心なしか、身体が軽い!

 勇気がムンムン湧いてくる!!


 腕を振り子のように振る。

 身体がたちまち暖かくなってくる。

 帰宅部にあるまじき脚力で、騎士との距離を引き離していく。


「クソッ! ここは頼んだ!」


 後ろからそんな声が聞こえた。

 チラリとそちらを見ると、一人の騎士はうなづいて、元の場所に駆け足で戻っていった。


 ────これで、追っ手は一人だ。

 後ろの様子をたびたび振り返って伺いながら、速度を落とさないように走り続ける。


 必死になって追いかけてくる髭面のおっさん騎士。

 「ここまでおいで」とお尻ぺんぺんしたいところだったが、俺も必死なのでそんな余裕はなかった。


「ッ、内なる炎に告げる、我が名の下に────」


 騎士は、このままでは追いつけないと悟ったのか、よくわからない言葉をつらつらと唱え始めた。

 どことなく魔法っぽい。

 ────ヤバイ、生の詠唱を見たの初めてかも!

 逃亡しつつも、テンションが上がった。


「────【身体強化】!」


 改めて異世界感を噛み締めていると、騎士の方から軽い爆発音のようなものが聞こえてきた。


 ────地面を、蹴った音……?

 恐る恐る後ろを振り替えると、詠唱を終えた騎士が人間離れした速度で向かってきていた。

 人間離れした速度で迫ってくる髭面の騎士。

 下手なホラーゲーム顔負けの緊迫感。


 ────いや、本当に、速いぞ。

 ある程度は稼いでいたはずの距離が、ドンドン詰められていく。

 馬が走るのと似たような、蹄で石畳を蹴っているような音が後ろから聞こえてくる。

 マジかよ、人間から出る音じゃねえだろ!


 直線では負ける。

 石畳から外れないようにして、目につく曲がり角を右へ左へと曲がっていく。


 騎士は角を曲がるたびに急ブレーキをかけて、俺を追ってきた。

 想像通り、騎士は曲がるときに直線よりも時間を使うようだった。


 コーナーで、差をつけろ。

 どこかの靴の宣伝文句のようなことを、自分に言い聞かせる。


 そのうち、俺が角を曲がるたびに、騎士が恨めしそうな目つきでこちらを睨んでくるようになった。

 その視線に「キャッキャ」とはしゃぎたくなる気持ちを抑え、王都の路地を縫うように駆け巡る。



 普段走り慣れていないからか、太腿がじんわり痛くなってきた。

 息も荒くなっている。


 肺が慌ただしい風船のように、膨張と縮小を繰り返す。

 ────それでも、脚の動きを止めない。


 走っているうちに、俺は繁華街に飛び出したようだった。

 出店が両側に並んでいる。


 疾走する俺たちを、野次馬が好奇の視線で眺めている。

 もうすぐ後ろにまで、騎士の足音は迫っていた。


 ……こうなったら最後の手段。

 革袋に手を突っ込み、金貨を3枚ほど後ろに投げた。


 月明かりを受けて黄金色に光る金貨。

 野次馬の視線が一斉にそちらに向いた。


「────金貨だ、金貨だァアアア!!」


 間もなく、歓声とともに金貨に向かって大勢の人が群がりはじめた。

 ……石川五右衛門って、こんな気分だったのかな。


 そのうち人波に揉まれて、騎士の姿は見えなくなった。

 ────忍法、人海戦術の術。

 あっ、“術”が被っちゃった。


 余計に騒がしくなる繁華街。

 十分に距離をとってから建物の影に身を潜め、後ろの様子をうかがう。

 群衆に巻き込まれたのか、騎士はこれ以上追ってこなかった。


「────どけっ、俺のだァッ!!」


 突然、一際大きな怒号が飛んだ。

 間もなく、銀色の鎧が人の群れを割る。


 複数人が弾けるように、鎧が纏われた腕に薙ぎ払われて、くの字で飛んでいく。

 ……非現実的な飛び方をしていたので、ちょっと吹き出しそうになった。


 高く掲げられたその腕には、しっかりと一枚の金貨が握られている。

 金貨の持ち主は【身体強化】の髭面騎士だった。


 お前も参加すんのかよ。

 呆れつつ、自分が巻き起こした喧騒を横目で眺めながら、その場を忍び足で去った。




 そのまま一晩、適当な路地裏を見つけて身を潜めた。

 微かな眠気と緊張感が漂う、最悪の朝だ。


 喧騒が遠くなるまで逃げて、路地裏に隠れたのが功をなしたのだろうか。

 あの晩は、もう誰にも追われることも、襲われることもなかった。

 座った姿勢でも、眠っておけばよかったかな。

 今となっては、後の祭りだが。

 ……人に追われる経験なんか、小学校の頃の鬼ごっこ以来だろうか。


 表通りに目を配ると、なんと異世界人の髪色のカラフルなこと。

 赤・白・黄、どの髪見ても、綺麗だな。

 拝村、心の俳句。

 髪は、春夏秋冬いつだって季語になる。


 ────というか、髪色のバラエティが多すぎる。

 黒髪や茶髪といった日本人にありがちな髪色は、どちらかと言えば少数派だった。

 一番多いのは金髪だ。

 俺の濃いめの茶髪で、この中に紛れ込むことは難しいだろう。

 身元がバレるのは嫌だし、金髪に染めるのも高校デビューみたいで嫌だ。

 ……そもそも、こんな中世の街並みで髪染め剤だけ売ってたら驚きだ。

 オーバーテクノロジーが過ぎるだろ。

 そのうちローブか何か、人相を隠せるものを買いに行こう。



 あとは、お金の問題か。

 革袋の中を見て、数え間違いのないようにゆっくりとお金を勘定した。


 ────金貨が残り、10枚ポッキリか。

 昨晩、3枚も投げてしまったのは痛かったかもしれない。

 しかも、髭面の騎士がお金を手に入れたのを思い出して、だんだん腹が立ってきた。

 自分を追ってきたヤツが得をしたのというのは、何だかムカつく。 


 今はまだ、お金がある。

 金欠に陥ったら、手鏡や短刀を質屋にでも売ればいいだろう。


 それでも、定職がないといつかは生活できなくなるだろうから、仕事もできれば今のうちに欲しい。

 「学生の仕事は勉強」というけれど、今は学校もなければ勉強もしなくていい訳で。

 つまり、実質無職。

 楽しそうで、世界中を飛び回れて、なおかつお金が稼げる職業に就きたいな。

 


 ────そうだギルド、行こう。


 異世界といえばギルドだ。

 ギルドといえば異世界だ。

 素晴らしいトートロジー。

 

 冒険者なんかの職業があれば、すべての条件を満たすことができる。

 ある程度、装備を整えたらギルドに行こう。

 今後のことを考えていると、ちょっとは気分が晴れてきた。


 そんな時、「グゥ」と。

 貪欲に鳴る腹をさすりつつ、「まずは腹ごしらえ」と、俺は食べ物を探しに表通りへ一歩踏み出した。

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