1章 神聖王国ロフェメ

第1話 Welcome To Another Ground

 二月も中旬になったが、外は未だに寒いままだ。

 白い息を吐きながら、俺、拝村はいむらケイスケは、かじかんだ手のひらを擦った。


 大はしゃぎで横断歩道を渡って行く子供を横目で眺めながら、なんとなく小さい時の頃を思い出した。

 あの頃は、冬の朝に白い息が出ることだけでテンションが上がったものだ。

 思いっきり息を吐いて、自分がブレスを吐き出すドラゴンになった気でいたりした。


 いつからだろうか。

 こうしたファンタジーが、自分の胸の内から遠ざかっていったのは。



 学校へ向かう足取りは重い。

 バレンタインが近づいて、一部の男子女子は色めき立っているし。

 受験まで残り一年で、勉強に本腰を入れないといけないし。

 俺はどちらのイベントも嫌いだし。


 現実は、想像以上にハードモードらしい。

 それに気がついたのは、中学生になった頃だろうか。


 いつしか周囲の話題も、ゲームやアニメより、恋愛や勉強が取り沙汰されるようになっていった。


 夢心地でいられるのは、小学生までだった。

 それからは、現実が猛烈な勢いで襲いかかってきた。

 そして、俺は恋愛や勉強といった現実にめっぽう弱かった。


 真面目な態度だけ教師に見せて、真面目な風にテスト前だけ勉強して、真面目ぶって日々を過ごすだけ。

 そこから得られるものは、ほんの学力と「真面目だね」という周囲からの温もりあふれる評価だけ。


 気が付いたときには、俺はいわゆる「真面目系クズ」になっていた。



 あぁ、小学生までの、夢心地で過ごせていたファンタジーな日々が懐かしい。


 ファンタジーはきっと、可愛い小動物のようなものなのだろう。

 獰猛な現実に、腰を抜かしてキャンキャン鳴きながら逃げてしまったに違いない。

 そして、二度と帰ってくることはなかったのだろう。


 俺はそんなファンタジーを、今日も待ち続けている。

 マンガやアニメ、ライトノベルに触れるだけじゃ得られない、本物のファンタジーを。


 だが、現実は残酷だ。

 ……なんだか、死ぬまでこんなことを続けるのかと思うと憂鬱になってきた。

 その意に反して、足は高校に向かっている訳で。

 クソ、身体が寒けりゃ心まで寒くなる。



 ふと、前に目をやると、一匹の黒猫が足取り軽やかに横断歩道を渡っていた。

 こんな朝早くからご機嫌なものだな、と他人事、もしくは他猫事で、俺も横断歩道に一歩踏み出した。


 信号機が点滅を始めた、その時だった。


 甲高い、無理くりに硬いもの同士を摺り合わせたような音が、寒空に響き渡った。


 思わずハッとして、音のする方を見る。

 大型のトラックが、こちらに向かって来ている。


 明らかに様子がおかしい。

 車線の区切りを縫うようにして、恐ろしいスピードで迫り来ていた。 

 暴力的なまでの鉄塊に、否が応でも身体がすくむ。


 目線を横にずらす。

 耳が痛くなるような音を気にも止めず、黒猫が横断歩道を渡っている。

 トラックはノンブレーキで、交差点の中心に突っ込んできた。

 まだ、身を引けば自分は助かる。


 ピンと、糸で引っ張られたかのように、身体が動いた。

 自らの意思ではないかのように。


 さらに接近するトラック。

 ようやくそれに気づく黒猫。


 「遅せぇよ」と思いながら、両腕は自然と黒猫を抱きかかえた。



 ────思えば、いつも俺はそうだった。


 クラスメイト同士の喧嘩。

 倒れる通行人。

 野良猫の死体。

 お腹を痛める妊婦。


 唾棄すべき、これまでの“人助け”の記憶が濁流のように突き押されていく。


 これが、走馬灯か?

 なんで、いつも、俺はこうなんだろう。


 胸の中でもがいて嫌がる黒猫。

 おい、俺が助けたんだぞ。

 お前は感謝しながら、生きていけよな。


 ナンバープレート、“8931”。

 ひでぇセンスの語呂合わせだ。


 眠りこける運転手のオッサン。

 アンタが起きていれば、こんなことにはならなかったのに。


 白く輝く日差し。

 やけに明るくて、笑われているように感じた。



 スローモーションの、とろけるような時間。



 きたるべき衝撃に備えて、俺は現実逃避のように、深く目蓋を閉じた。




 悪夢から覚めたときのように、身体をビクンと仰け反らせて、俺は意識を取り戻した。


 目蓋の裏側が白い。

 きっと、明るい場所にいるんだろう。


 あ、死んだんだ、俺。

 率直に思った。


 なぜ、意識があるのかは分からない。

 明るい、ということは、天国か?

 それとも、たまたま地獄の業火の近くに放り出されただけなのか。


「……えっと、いつまで寝返りをうっているのですか?」


 あーあー言いながら、ぐるぐる考えを巡らせていると、凛と澄ましたような声が鼓膜を鳴らした。


 うら若き女性の声だ。

 少なくとも、獄卒が出せる声だとは思えない。

 十中八九、天国。

 もしくは、女性の鬼ばかりの天国みたいな地獄。


 やっぱり、死ぬ寸前で黒猫を助けたのが効いたのかなぁ。

 そのようなことを思いつつ、ゆっくりと、目を開けた。



 目を開けて、驚いた。


「す、げぇ……」


 一言で喩えるなら、そこは「神殿」だった。

 純白の巨大な柱と、敷き詰められた柔らかい赤いカーペット。

 実用性を無視した、突き抜けるように高い天井。


 天井には、宗教画のようなものが描かれていた。

 一人の後光がさしている男が、悪魔のような全身ムキムキの男と戦っている様子。

 そして、その悪魔を討ち取った男の姿。


 まるで、RPGの世界だ。



 俺の右側には、二人の同年代であろう男が並んでいた。


 真ん中にいるのは、金髪のイケメン。

 細身の体に、平均以上の身長。

 中性的で、繊細な人形を思わせるような美貌。

 優しげな瞳は、人の良い性格であろうことを窺わせている。


 制服らしき服装からして、俺と同じ高校生だろうか。

 ブレザーには見慣れない校章が刻み込まれている。


 特筆すべきは、その髪の毛だ。

 柔らかな春の日差しのような、柔らかな髪質。

 なんで高校生なのに金髪なんだよ、校則が自由すぎるだろ、と思った。

 ……でも、色合いが自然だから、地毛なのかもしれないな。



 イケメンを挟んで一番右側にいるのは、前髪を垂らしたどこか陰気な印象を受ける男だ。

 コイツも、制服を着ている。

 ブレザーが黒ければマフラーまで黒い。

 全身黒づくめだ。

 黒猫を助けようとしてトラックに轢かれたからだろうか、黒色に不吉な印象を受ける。


 容姿は、結構いい。

 身だしなみを整えれば大きく化けるだろう。

 油絵のような濃い黒色をした髪の奥には、鋭く輝く瞳があった。

 ……素材がそもそも普通な俺からしてみれば、こういうダイヤの原石的な容貌の人は少し羨ましい。

 

 かくいう俺は中肉中背の濃い茶髪。

 イケメンとは言い難い、フツウフツウの実の全身普通人間。

 この二人が個性的な外見であるせいか、普段は地味な俺が、逆に目立っているように感じた。



 ふと横を見ると、イケメンが生暖かいような、若干引いているような目線でこちらを伺っていた。

 その奥では、影のある男がバカを見るような目でこちらを眺めている。

 誰がバカだ。

 咎めるようなものを彼の目線に感じたので、カーペットの上でゴロゴロするのを止めた。

 

「どうやら僕たち、異世界に来ちゃったみたいだよ」


 イケメンが誰かに聞こえることを避けるかのように、カーペットの上でまだ寝そべっている俺にしゃがみこんで教えてくれた。

 ……顔が良ければ性格まで良いのか、この子。

 イケメンの態度に免じて、ようやく俺も立ち上がった。


 イケメンと、影のある男。

 この2人は対照的だな。



「詳しくは、私から説明いたしましょう」


 声のした方を振り向くと、一人の女性が立っていた。


 純白の布地を羽織い、それを腰のベルトが締めることで、うっすらとウェストのラインが形どられている。

 「乳に小さいダンプカー乗せてんのかい!」と叫びたくなるようなナイスバディだ。


 簡単に言えば、いかにも女神っぽい。

 そのような佇まいをしていた。


 彼女の周辺には、俺たち3人を取り囲むように、ゲームの僧侶のような服装とした老年の男がズラーっと並んでいた。


 彼らからはじっとりとした、品定めするかのような視線を向けられている。

 負けじと、湿っぽい目で彼らを見る。


「……」


 視線を避けられた。

 俺の勝ち!



 ふと、女神の髪に視線が移る。


 同時に、心臓がバクンと跳ね上がった。


 髪色は、瑞々しい桃の色をそのまま移したかのような、淡いピンク。

 腰まで届く長い髪は、その量に反して重さを感じさせないような、フワリとしたウェーブがかかっていた。

 黒髪を無理やり染め上げた、日本人の下品なピンク色の髪とは訳が違う。


 美しいが、この世のものとは思えない。

 どこか妖しさまで感じるほどまでに、綺麗な髪。


「私は女神、イーラといいます」


 突然なので、とても信じられないのは分かりますが、と彼女は続けた。


「いや、信じますよ」


 髪フェチの勘で、俺は答えた。

 こんなに美しい髪を持ちながら、嘘つきであるはずがない。


 イケメンも俺に同調して、ウンウンとうなづいている。

 ……彼も髪フェチなのだろうか。


 影のある男は、無反応だ。

 疑い深い目。

 じっと、女神の様子を伺っていた。


 俺たちそれぞれの反応を見て、少し微笑んでから女神イーラは言葉を続けた。


「貴方たち3人は勇者として、召喚陣に選ばれたのです」


 ────勇者。

 いきなり現実離れしたワードが、女神の口から飛び出てきた。


 いや、女神という存在自体も十分ファンタジーなのだが。

 とすると、天井の宗教画も勇者とやらの活躍を描いたものなのだろうか。


「そして、ここは貴方たちにとっての異世界。

 こちらの言葉で『ミグリット』と呼ばれる世界に召されてきたのです」


 先ほどのイケメンの言葉と、女神の言葉が脳内で交差する。

 異世界、ミグリット。

 天国でも、地獄でもなかった。


 そう、ここは────。


「────異世界!?」


 俺の叫びが、壮麗な神殿にこだました。


 ファンタジーに飢えた俺が辿り着いたのは、正真正銘の異世界だった。




 異世界。

 RPGなんかでは、魔王が猛威をふるい、ドラゴンが宙を舞い、勇者が世界平和のために奮闘する世界。

 魔法が使えて、魔物が跋扈しており、様々な種族が存在している、そんな世界。


 それが、異世界。


 女神が言うに、この世界ミグリットは、まさしくそういう場所だった。


 「先にお目覚めになられた二人の勇者には、軽くお話ししましたが」と前置きしてから、女神イーラは俺の動揺をよそに話を続けた。


「端的に申しますと、貴方がた勇者3人には、この世界を救っていただきたいのです」



 この世界ミグリットでは、以前より人間と魔族の苛烈な争いが続いていた。

 戦いは永きにわたり、多くの人間が犠牲になった。

 人間・魔族双方が疲弊したため、休戦協定が結ばれ、現在は双方が睨み合う状況になった。


 女神の話のあらましは、この通りだった。


「このままでは、人間と魔族の争いは再び起こり、世界は混沌に陥ってしまいます。

 どうか、この世界をお救いになってください」


 そう言って、女神は頭を下げた。

 頼み事をするときに頭を下げるのは、元の世界と共通らしい。


「……お言葉ですが、女神様」


 最初に言葉を発したのは、金髪イケメンだった。


「具体的に言うと、どのように世界を救えばいいのでしょうか。

 スケールが大きすぎて、僕にはなかなか……」


 そう言って、金髪イケメンは苦笑いした。

 ごもっともだ。

 まさか、いきなり齢17歳で世界の命運を任されるとは、フツーに生きていれば夢にも思わないだろう。

 幸か不幸か、ここはその、夢のような世界なのだが。

 ……いやこれ、メチャクチャ不幸じゃないか?


「勇者様に為して頂きたいのは、具体的には、魔王の討伐です」


 女神が返答する。


「100年ほど前、非常に強力な魔族がミグリットに突如として誕生しました。

 その魔族の影響か、世界中の魔物の動きが活性化し、連鎖的に人間と魔族の争いが起こったのです」


 たぶん、説明をかなり端折ったな。

 実際は、魔物によって人間と魔族の農地が荒れたり治安が悪化したりして、その土地だけでは生活できなくなった双方が、互いに拡張政策をおこなった結果とか、そこらへんだろうか。

 話を聞きながら、俺は想像した。


 元の世界でも、そういったことが度々あった筈だ。

 というか、最近世界史の授業で習った。



 魔王は魔族を束ね、人間の国々を支配しようとしている。

 争いの原因である魔王を討伐すれば、世界に秩序がもたらされる。

 女神はそのように続けた。


「では、僕たちはどうすれば、元の世界に帰れるのでしょうか……?」


 謙遜したまま、イケメンが尋ねた。


「魔王の核には、貴方たち全員を元の世界に返す魔力が、確実に、含まれています。

 それを利用すれば、帰還は可能です」


「────それって」


 黒髪の、影のある男が声を上げた。

 芯の入った声色だ。

 その瞳には、敵対的な光が宿っている。


「俺たちには、どのようなメリットがあるんですか?」


 こちらも、ごもっとも。

 某ニュース解説者なら「いい質問ですねぇ」と笑顔になるに違いない。


 もともと予想していた疑問だったのか、彼のプレッシャーを気にも留めずに、女神が答えた。


「一つは、先ほど申し上げましたように、魔王討伐が成功した暁には元の世界への帰還を約束します。

 ……そして、二つ目は」


 瞬間、神殿の巨大な柱の影から、大勢の騎士が姿を現した。

 皆、一様に長剣を縦に構える。

 金属が擦れる、鈍い音が一斉に響いた。 

 統率された動きだ。

 ……これ、何回練習したんだろうな。


「この世界での、当分の生命の保証です」


 ────脅しか。

 言葉の意を裏返せば、「魔王の討伐に協力しなければ、生命の保証はできない」ということ。


 女神はそのまま、言葉を紡ぐ。


「────最後に三つ目は、固有魔法を授けることです」


 ……あれ、これ、チートになれる系じゃね?


 そう思った瞬間だった。

 視界の淵で黒い影が横切った、ような気がした。


 反射的に、そちらに視界を向ける。

 俺以外の誰も、その影には気づいていないようだ。

 僧侶には欠伸をしている者もいる。

 騎士は全員こちらを向いたままだった。


 影は神殿の奥へ奥へと、音を立てずに走り去っていった。

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