禁種と忌子と黒猫と

ギンコギンギン

序章

異世界と異臭と異常事態と

 路地裏、ボロ屋の陰で息を潜める。

 呼吸を荒げたくなる。

 それを抑えるのに精一杯だ。


 全身が汗ばむ。

 気持ち悪い。

 でも、気付かれてはいけない。

 一人ぼっちの逃避行。 


「そっちに逃げたぞ!」


 男の怒号がどこからか聞こえてくる。


 ま、逃げてる俺は、ここにいるんだけどね。


 心の中で何のひねりのないツッコミを入れながら、逃亡の最中に八百屋から拝借してきた根菜に齧りついた。

 瑞々しい、辛い。

 涙が出そうだ。


 夢中でダイコンに似た野菜に噛みついていると、異臭が鼻を突いた。

 そちらに目をやる。


 ラグビーボールのような、尋常じゃない大きさのウンコが道端に転がっていた。


 その大きさが、ここが「元の世界」じゃないことを、まざまざと思い知らせてくれる。


 しかし、それを見て食欲が失せる以上に、俺は飢えていた。

 歪な歯形を残しながら、根菜を平らげていく。


 いいぜ。

 地面に落ちているこの巨大なウンコか、俺の今の状況か。

 どちらが正真正銘のクソか、決着を付けようじゃないか────。


「いたぞ!」


 心の中で茶番劇を展開しようとした矢先のことだ。

 全身に鎧をまとった男がこちらを指差し、大きな声で周囲に呼びかけた。


 ……追っ手の騎士だ。

 どうやら、くだらない思考の時間すら、相手方は与えてくれないらしい。


 コイツの声は、先ほどの男のものとは違う。

 少なくとも、2人以上が近くにいる。

 鎧の男は長剣の柄に手をかけている。

 相手との距離は10mメートルほど。

 

 情報が泡のように湧き上がっていく。

 それらの情報をただ、「生存」という目的の為に組み合わせていく。


 根菜の葉を掴み、食べ残した根の方にウンコをなすりつける。

 絶妙な粘度を持ったそれは、見事に白い根を黄土色に染め上げた。


 菜葉を掴み、身体の横で回転させる。

 鎧の男は剣を構えて距離を詰めてきている。

 剣の間合いまで、あと5mメートルほど。


 ひゅんひゅんと、視界の隅で即席クソ爆弾が風を切る。

 

 男が地を蹴ると同時に、根菜をプロ野球選手さながらにアンダースローで投擲した。

 矢のように飛び出したそれは、唯一鎧で守られていない顔面にドンピシャで命中した。


 隙はできた。

 唾を吐き散らしながら顔を拭いまくる男に右手を向けて、その手の平に神経を集中させる。


 全身の血が熱くなるのを感じつつ、思った。


 この状況は。

 いや、一番のクソなのは、この世界ミグリットだ、と。


 頼れるのは、頼り甲斐のないこの固有魔法だけ。

 だからこそ、俺はその名を呼ぶ。


 ────【摩擦車ツァンラート】ッ!!


 刹那、世界がズレる。

 それと同時に、俺は獣のように駆け出した。

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