にわ
「ヒギャアアアアアアッッ!!」
目の前のイケメンの皮を被った化け物どもが突然その正体を表した時の、私の第一声はそれだった。
おかしい。私が迷い込んだのはあくまで乙女ゲームの世界であって、こんな魑魅魍魎蔓延るホラーゲームの世界じゃなかったはずだ。
仕事に忙殺される毎日で、貴重な休日は仕事での疲れを癒す為に爆睡。そのせいか恋人も居なく友達とも疎遠になり、家に帰った私に笑いかけてくれるのは湯船に浮かぶ黄色いアヒルちゃんくらい。
それが一転、乙女ゲームの世界に入り込み、ヒロイン役の金髪青眼の美少女メアリーとなってイケメンとラブラブし、失った青春を取り戻すチャンスが到来したと思ったら、これである。
オープニングのシーン、お城の前に辿り着いたヒロイン(つまり私ことメアリー)がお城から出て来た6人兄弟の王子様と初めて出会うシーンで、いきなり異変は起こった。
私に「あ、あの……」と、穢れを知らない純粋無垢な乙女みたいな声を掛けられて、王子達が一斉に振り向いた瞬間、ヤツらの首が折り畳み傘の持つところみたいに突然伸びたのだ。そこからはもう前述した通りの阿鼻叫喚の地獄で、おかげで続くセリフを忘れてしまった。
あるゆるふわ金髪ヘヤーの王子は伸びた首を直角に折れ曲がった状態で私に向かって「へぇ、結構カワイイコじゃん、好み」とナンパな台詞を吐き、ある黒髪赤目の俺様系っぽい王子の首は際限無く伸びていって雲を突き抜け生きた第2の東京スカイツリーとなったり、またある緑髪で童顔の王子はその状態で消えたり現れたりと点滅しだしたり、とにかくもうめちゃくちゃのぺちゃくちゃ。
怖くなった私は叫びながらその場から逃走し、近くで見つけた酒場に逃げ込んだ。辛いことは酒を飲んで忘れようとする私の現実世界での悪癖がここにきて出た。
「すみませぇん……ビールくださいぃ……」
適当な席につき、泣きながらこのお店のマスターっぽいヒゲ面のおじさんに注文する。
今のところおじさんはさきほどのイケメンの皮を被った化け物どもとは違って、首が伸びたり折れたりはしてない。
ひとまずは安心と思いつつ運ばれて来たビールを受け取り、グイッと一気に煽ろうとしたところで再び異変は起きる。
「な、何!?」
私がジョッキに口をつけた瞬間、いきなりブルブルと震え出したかと思えば、ジョッキはドッカンバッタンと暴れ牛のように上下左右へ飛び回り始めたのだ。
「に、逃すものかッ! アルコール無しで私にどうやって正気を保てって言うのよッ!」
私はジョッキを必死に抑えるが、抵抗虚しく、ジョッキは凄まじい力で私の拘束を抜け出し、縦横無尽に店の中をスーパーボールの様に跳ね回った。
勿論、ただのスーパーボールとは違って、道行く物や人を破壊して回りながら、である。だって木と鉄で出来たジョッキだもの。威力が違うのよね。その間、不思議な事にジョッキからビールは一滴も溢れていない。
「どうなってんのよ……誰か説明して……」
と、私が泣き言を漏らすと、それに答えるように私の目の前でキラキラと光が生まれて、一つのシルエットを描き始めた。やがて、輝きが収まり、出てきたのは赤い光る球体の体に、銀の翼と二本の黒い角を生やした妖精だった。
「はじめまして! ボクの名前はネイビィ(navy)! 彷徨える子羊である君をナビする為だけに追加された大したバックグラウンドもない薄っぺらいキャラクターだよ!」
「えっと、あの、今、どこから出てきた?」
「おっと、いきなりお困りのようだね! それはドリンクエクスプロージョン(飲料大爆発)というバグで、特定の器に入った飲み物に直接口を付けると今のようにちょっとした愉快なアクシデントが起きるというバグなんだ!」
「……いや、今どっから出てきた?」
「対処法としては飲み物を間接的に飲む……例を挙げると、滝飲み、スプーンで掬って飲む、水鉄砲で遠距離からぶっかける、などなど色々だよ!」
「聞いてる? ねえ、今どこから出てきたの?」
「もしもーし、ちゃんとボクの話聞いてるかい?」
「こっちのセリフよ!」
怒ってバァン!と机を叩いた私の頭を跳ね回ってたジョッキがバァン!と直撃した。
「ひゃいんっ!?」
倒れる私。流石に疲れたのか、コロコロと机の上を転がるジョッキ。中身は一滴たりとも溢れず未だ健在である。何故だ。そこについての説明は無いのか。
ナビィだか海軍だかの妖精が言った。
「ちょうど良かった。早速ボクが言った方法を試してみようか。店員さーん! スプーンくださーい!」
「いや……アンタ……どっから……出てきたのよ……ぐふっ」
私は机の上で力尽きた。
「どう? ボクが言った通り、しっかり飲めてるでしょ?」
「マナー講師が見たらひっくり返るわよ、こんな姿……」
それから数分後、目覚めた私はジョッキからビールを木のスプーンで掬って飲むという醜態を晒していた。
「っていうか、何で他の人は普通に飲めてるのに私だけこうなるのよ!」
そう、酒場に他の老若男女の人々は普通にジョッキを傾けて酒を飲んでいるのだ。スプーンで掬って飲んでる人間など私をおいて他にいない。納得がいかなかった。
ネイビィが答える。
「なんせ、君はこの世界の主人公だからね。他の有象無象どもとは色々と判定が違うんだよ」
「は、判定……? ちょっと、私にも分かるように言って」
「つまり、君は特別なのさ」
「周囲と違うことを良いことも悪いことも全部ひっくるめて特別って言うのやめろ! はたから見たら私チョーヤバい人じゃん!」
「まあまあ、落ち着いて。それよりメアリー、他にも聞きたいことがあるんじゃないのかい?」
「そうだ。そう、ある、あるわ、聞きたいこと! 主にあの王子たちについて。どうなってんの? イケメンなのに。イケメンだったのに! 私の王子様が! あれじゃキリンよ! エッフェル塔よ! 身長差カップルってレベルを文字通り超えてるわよ!」
「それについては、メアリー。悲しいお知らせがあるんだ。このゲームは……壊れてる」
「壊れてる?」
「完膚なきまでに。ナビゲーターの僕が言うセリフじゃないかもしれないけど、このゲームはロクに遊べたもんじゃない。どこもかしこも問題だらけで、はっきり言ってプレイするのは寿命の無駄だ」
私は真っ青になった。
「じゃ、じゃあ……私の王子様たちも……」
「期待しないほうがいいね。あれはもう、治るとか治らないとかそういう次元にない。ずっとあのままさ」
「わ、私じっくり悩んだのよ。ゲームを始める前に、パッケージを30分も眺めて、どの王子と大恋愛を繰り広げようかって……」
「気の毒だけど」
「そんな……」
「でも、魔王を倒してゲームをクリアすれば、この世界から脱出できるよ」
「ほ、本当に?」
「うん。長く険しい道のりにはなるだろうけど。きっと君なら乗り越えられるはずだ」
「でも私、戦い方なんて知らないわよ」
「そこは大丈夫。この世界には致命的なバグを背負っていないかつ頼りになる仲間がそれなりに居るんだ。彼らがきっと力になってくれるはずだよ」
「分かったわ。なら魔王とやらをぶっ倒してやろうじゃない!」
そうやって景気づけにビールをがぶ飲みしようとした私は、すっかりバグの存在を忘れていた。口をつけた瞬間、またジョッキはあらぬ方向へと巣立つ鳥のように吹っ飛んでいく。
「ああもう! しまらないわね!」
私が怒ると、ネイビィがところでメアリー、と言った。
「ビールのお代はどうするんだい? 君、今無一文のはずだけど」
「えっ? ウソ。なんかオープニングで田舎のおっかさんから餞別だってお金貰ってるシーンなかった?」
ポケットを探ると、その金が入った小袋はまだあった。小袋を取り出し、ネイビィに見せ付ける。
「ほら! まだちゃんと持ってるわよ!」
「うん。でもそれはあくまで演出上の小道具であって、実際のゲームでの設定上、使えないようになってるんだ」
「じょ、冗談じゃないわよ! どうすんのよ。このままだと無銭飲食になっちゃうじゃない!」
「だからそれを聞いてるんだけど」
「いきなりそんなこと言われたって……」
頭を捻って考えてみる。
うーん、うーん……。
「皿洗いでもしたら、許して貰えるかなあ……」
なんて呟きをポツリと洩らすと、これまでネイビィの声のトーンが、一段下がった。
「皿洗いだけは本当に辞めた方が良い。バラバラに斬り裂かれて死にたくないなら、ほんとの本当に」
「なんで皿洗いしただけでバラバラに斬り裂かれなきゃいけないのよ! あーもうッ!」
くしゃくしゃと頭を掻き毟る私の脳内に、良からぬ考えが走った。
そうすれば……いや、でも……道徳的にそれは…………
私はこの赤い光る球体とコウモリの翼を持った妖精を見た、妖精も私を見た。多分だけど。だって彼には目が見当たらないんだもの。
とにかく、彼は言った。
「逃走ルートのナビゲートなら任せて」
「頼んだわよ」
そして私は逃走し、その一時間後には食い逃げの罪で地下牢にぶち込まれていた。
「この役立たず!」
「まさかメアリーの身体能力がここまで低いとはね……これは少しレベル上げの必要がありそうだ」
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