第266話 ガチ泣き

 飛んでいったボールの行方を見届ける。おそらく、ホームランという距離だろう。本当に遠くまで飛んだ。あんなに飛ばすつもりはなかった。軽く当てた感じなのに、あそこまで飛ぶのか。


 こちらに背を向けていた楓が振り返る。涙目になっていた。まさか、泣いてしまうなんて。今まで何度も勝負を繰り返してきたけど、悔し泣きする彼女を見るのなんて初めての事だった。泣かせるつもりは一切なかったから、焦ってしまう。


「ご、ごめん。あんなに飛ぶなんて」

「いい。これは、真剣勝負だから」


 思わず謝る。楓は勝負だから仕方ないと言うけど、彼女の声は震えていた。相当なショックだったみたい。


 さっきの結果は、本当に偶然だった。タイミングが上手く噛み合ってしまい、実力以上の結果が出たに過ぎない。同じ結果を出せと言われても、おそらく無理だろう。それぐらい、自分でも予想外の一打だった。それを2投目で出してしまうなんて。


 飛んでいったボールを回収する。落ちた地点にボールを取りに行くまでの距離で、本当に飛んだことを実感した。力を込めなくても、ここまで飛ぶのか。これは、金属バットの性能もあるだろ。


 そもそも俺は、球技のスポーツが特別上手いというわけではない。むしろ、苦手なジャンルかもしれない。ボールを扱う経験が少ないから。


 サッカーボールを蹴ったり、バスケットボールを投げる時、イメージ通りにはいかない事のほうが多い。経験を積めば上達すると思うけれど。


 バットを振る感覚も、剣と比べたら少し違ったな。振ると斬るは、似ているようで違うみたい。


「次は、私が打つ。理人が投げて」

「いいよ。今度は俺がピッチャーね。真琴は、次もキャッチャーお願いしていい?」

「オッケー。任せて」

「じゃあ、お願い」

「来い!」


 楓がバットを持って構える。打つ気満々で、俺にボールを投げろと要求してきた。今度は俺がグラブをはめて、真琴にキャッチャーを任せる。同じ役割が続くのに真琴は、笑顔で了承してくれた。


 投球の練習でキャッチボールをする。ボールを握り、振りかぶって、キャッチャーのミットを狙って投げる。楓と比べたらボールは遅いし、コントロールも悪いかも。もうちょっと、投げる体の動かし方を考えて、イメージを作る。こういう感じかな。


 もう一度投げてみると、今度は狙った所に投げることが出来たな。真琴の胸元に。これはストライクのはず。


 楓が、キャッチャーの前に立つ。今度は俺がピッチャーで、楓がバッターの真剣勝負が始まる。しゃがんで構える真琴のミットを狙って、投げる。


「ッ!」


 大きなスイング。1球目は空振りだった。真琴の返球を受け取ってから、2球目を投げる。再び、空振り。力が入っているのかスイングは力強いけれど、タイミングが合っていない。そして、3球目。これを振れば、アウト。


「お」

「くっ!」


 カン、という音が聞こえた。


 今度はバットに当たった。だが、上には飛ばずに転がってくる。正面から転がってきたので、すくい上げるようにキャッチ。上手くボールを取れたな。試合だったら、これを一塁という場所に投げてアウトかな。この勝負は、俺の勝ちということか。


 顔をあげると、楓がぽろぽろと大粒の涙を零して泣いていた。そりゃ、そうだよな。


「あっ!? ご、ごめん! また泣かせちゃって」

「泣いてない!」


 本人は否定する。間違いなく、泣かせてしまった。でも、彼女との勝負で手を抜くわけにもいかないし。しばらく、彼女を慰める時間が続いた。


「楓は初めてやったのに、本当に凄いよ! 楓の投げる球は、本当に速かったし」

「でも、打たれた……」

「あれは、本当に偶然だよ。それに、楓もバットに当てたし」

「全然、飛ばなかった。理人の方が凄かった……」

「楓も、ちゃんと打ち方を覚えたら、すぐに飛ばせるようになるよ。俺なんかより、もっと遠くへ」

「……そうかな?」

「絶対、そうだよ!」


 本気で褒めると、彼女は恥ずかしそうにしていた。機嫌も少しだけ直った。彼女の能力があれば、すぐに野球が上手くなると思う。


 その後、3人で役割を交代しながら勝負を続けた。真琴が打ったり投げたり、楓がキャッチャーでボールを受けたり。俺も、楓と真琴の投げるボールを受け取った。


 2人とも投げるボールの力が強くて、ミットで受けても手が痛くなるほどだった。


 真琴は豪快なスイングで、楓は綺麗な投球フォーム。そんなボールを受けるのは、とても楽しくて。休憩を挟みながら、俺達は夕方になるまで遊び続けた。


「そろそろ、帰ろうか」

「うん。楽しかった。でも、悔しい」

「楓は凄いよ。最初のボールは打てたけど、後はダメだったから」


 やっぱり最初の一打は偶然で、あの後はバットに当てるので精一杯だった。そう言っても、楓は納得していない表情。一度でも打たれたことが、よっぽど悔しいらしい。


「だけど、打たれた。それに、私はあんなに飛ばせなかった」

「泣いちゃうぐらいだもんね」


 真琴がポツリと、そんなことを呟く。それを聞いていた楓が、真琴の頭を軽く叩いた。


「イテッ」

「泣いてない」

「えー、泣いてたよ」

「泣いてない!」


 真琴に何度言われても、強く否定する楓。そんな彼女を見て、真琴はニヤニヤと笑っていた。ちょっとイジワル。


「ほら、喧嘩はダメだよ」


 2人の間に入って止める。真琴は、ごめんごめんと簡単に謝罪していた。楓の方はというと、そっぽを向いて拗ねている。


 今回の勝負は、本当に白熱した。今までにないぐらい真剣になり、ドキドキした。だからこそ、楓も感情が素直に出てしまったのだろう。


 そんな真剣になれる野球に、楓と真琴は出会った。


 その日から、放課後は3人で一緒に野球の練習をするようになった。キャッチボールして、バットを素振りしてから、打席勝負をする。


 どうやって投げたら打たれないのか。どうやってバットを振ったら打てるのか。


 野球に関する技術を勉強するため、色々な本を読んでみたり、テレビでプロ野球の試合を見てみたり。それを3人で共有して、練習に取り入れていく。全ては、3人の対決で勝つために。最初は、そうだった。


「私、ちょっと本気で野球をやってみる」

「楓がそう言うのなら、僕もやってみようかな」

「いいね。2人とも、頑張って。応援するよ」


 次第に、楓と真琴はプロ野球の選手を目指すようになっていた。プロ野球の世界に入ることを目指す。そう誓い合い、日々練習に励んでいた。俺は、そんな2人の練習をサポートすることに。


 彼女たちと一緒にプロの世界を目指したいとは思う。けれど、残念ながらこの世界には男性のプロ野球選手は1人も存在しない。その世界へ行くための道が存在しないのである。


 その道を新たに開拓することも考えてみた。だが今回の俺は、プロの選手を目指す楓と真琴、幼馴染で大事な存在である2人を支えることに全力を注ぐと決めた。

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