第230話 おぼろげな記憶

「どうした沙良。何かあったのか?」

「そんなに叫んで、何事じゃ」

「あ、ごめんなさい。お父様にお祖父様」


 珍しく大きな声を上げた沙良ちゃんに、周囲の注目が集まる。何事だと心配して、2人の男性が近寄ってきた。横大路良造さんと、もう1人は沙良ちゃんの父親である横大路良成りょうせいさんだ。


 良造さんとは何度も話したことがあるけれど、良成さんとは数えるぐらいしか会話したことがない。横大路家の当主で、忙しい人だから顔を合わせる機会が無かった。


 沙良ちゃんが、騒いでしまったことを頭を下げて謝る。だが、彼女を驚かせたのは俺のせいだ。彼女の横で、俺も同じように頭を下げて謝った。


”申し訳ありません。私が、その本の作者だということを伝えたら驚いちゃって”

「ん? あぁ、なるほど。その件か」

「お祖父様は、知っていたのですか!?」


 本を指差して、事情を説明する。すると良造さんは、その件について驚いたのかと納得したような表情を浮かべて、頷いた。それに、納得していないのは沙良ちゃん。


「沙良は知らなかったのか?」

「知りませんでした。だから、驚いたんです。お父様とお祖父様だけ先に知っていたなんて、ズルいです!」


 良成さんも、俺が本を出版したことについては知っていた。横大路家に何か迷惑が掛かるかもしれないからと、作家活動については事前に知らせていた。だから彼らは知っている。


 沙良ちゃんには、話してなかったから。一番の友人だと思っている相手に知らせていなかったのは、本当に申し訳ないことをしてしまった。タイミングがなかったのもあるけれど、それでも伝えておくべきだったと後悔。


”ごめん、沙良ちゃん。私が伝え忘れていた”

「い、いえ! レイラちゃんが悪いというわけじゃないです。お仕事の話ですから、迂闊に話せなかったということでしょう」


 単純に、伝え忘れていただけだ。あの頃、本の出版に次の準備、サイトの移行など活動が忙しかった。沙良ちゃんも留学の準備で、話す機会を逃していた。でもこれは言い訳でしかない。伝え忘れたのは、俺の失敗なので謝る。


「ところで、麗羅さん」

”あ、はい! なんでしょうか”


 突然、良成さんに名前を呼ばれた。思わず背筋がピンと伸びる。彼は、横大路家の当主である重要人物。そんな人から一体、何を言われるのか。


「その本の評判を聞きつけた出版業界が、きな臭い動きをしている。しばらくの間、用心しておいて下さい。ウチも対処できるように備えておくから」

”わかりました。ご忠告、感謝します”


 良成さんは、そんな忠告をしてくれた。何のことか分からないけれど、とりあえず返事しておく。警戒が必要だということを、忘れないように。


 そして2人は、離れていった。一息つく。


 出版業界のきな臭い動きって、なんだろう。どう警戒するべきか。悩んでいると、沙良ちゃんが口を開いた。


「でも、そっか。納得した」

”納得?”


 沙良ちゃんは、スッキリとした表情を浮かべていた。彼女は何か納得したらしい。よく分からなかった俺は、沙良ちゃんに問いかける。納得とは。


「そう。この作品に惹かれる理由。レイラちゃんが書いていたから、とても懐かしい感じがしたのね。この文章から、貴女を感じたみたい」


 本を読んでいると、懐かしいという気持ちが溢れてきたという。その原因は、俺の書いた文章だったからだと納得したらしい。なるほど。そんなに、俺の本から何かを感じ取ってくれたんだ。


 だけど、彼女の語る懐かしい感覚というのは、言葉通りの意味じゃないみたいで。


「この表紙を見ていると、とても懐かしいって気持ちがしたのよ。昔、こんな場所を見たような記憶があって。もしかしたら、レイラちゃんから聞いた話を覚えていたのかも」


 本の表紙に描いてある絵に触れながら、沙良ちゃんは語る。ロールシトルト領地の風景をイメージして描かれた絵を見て、彼女は懐かしいと感じているらしい。


 前世の話を誰かにした覚えはない。つまり、沙良ちゃん自身が持っていた記憶から感じたってことなのか。彼女の話を聞いて、もしかしたら、と思った。


「それに、この本に書かれている物語も、すんなり入ってきて感情移入が出来たの。きっと、昔から知っているレイラちゃんが書いたお話だから、こんなに心を奪われてしまったのね。貴女の物語だから」


 彼女が物語の世界に入り込んだり、感情移入した理由は他にあるのかもしれないと思った。


 転生者。沙良ちゃんは、もしかしたら転生者なのでは。別の世界で生きていた頃の記憶があるのかも。だけど、その自覚はない。転生については、何も触れてこない。わざと濁して、こちらの反応を伺っているという様子もない。


「どうかした?」

”気に入ってくれたのなら、とても嬉しいです”

「とても気に入ったのよ。まるで、この物語の中で生きていたような、そんな錯覚をするぐらい。それぐらい入り込んだの。今まで色々な本を読んできたけれど、そんな感覚になったのは初めて」


 彼女に、前世のことについて問いかけるべきか。でも、本人に自覚がないのなら、質問しても意味がない。話すことで、思い出すキッカケになるかもしれないけれど。


 勘違いという可能性も十分にある。彼女が語った通り、懐かしいという気持ちは、俺が書いた文章だったから。本当に、それが理由かもしれない。それなのに、転生者かどうか聞いたら彼女を混乱させてしまうだろう。


 本当に記憶を失っていた場合は、忘れていた過去を思い出させることになるかも。今を楽しく過ごしている沙良ちゃんに、忘れていた記憶を取り戻させる必要はあるのだろうか。


 思い出す記憶は辛いものかもしれない。それを、わざわざ掘り返す必要なんてない。


 どうするべきか悩んだ結果、とりあえず今は何も語らず見守ってみることにした。もしかすると、いつか自分で記憶を思い出す、ということもあるだろうから。勘違いという可能性も十分にある。確信が持てない状態で、迂闊に話すことではない。


 でもそうか。こういうパターンもあり得るのか、という気付きを得た。転生者でも前世の記憶を忘れている可能性。無闇矢鱈に転生の記憶を公開してしまうのは危ないかも。思い出したくない人が居るのかもしれない、ということを俺は知っておくべきだ。逆に、思い出したという人が居るかもしれない。そこの判断が難しいな。


 そして、俺自身もそうなる可能性があることを。転生した先で、記憶を失う場合があるかもしれないこと。


 しかしまさか、こんな身近に転生者の可能性がある人が居たなんて。沙良ちゃんがそうだと決まったわけじゃないけれど、そうである可能性は高いと思う。


 転生者仲間を見つけるのは、それだけ難しくて、偶然に頼らないと大変ということかな。

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