第117話 生まれてすぐに

 俺の母親である赤星あかほし礼奈れなという女性は体が弱いらしく、出産してから体調が回復せずに、今も入院しているということが判明した。


 父親の友人である深谷朋子ふかやともこという女性が、赤ん坊である俺の世話を母親の代わりとして手伝っていた、ということも分かった。そういう事情があったらしい。




 深谷朋子という女性。


 彼女は俺の父親である啓吾だけではなく、母親とも知り合いで仲が良かった。俺を抱えて、何度か病院まで連れて行くと母親に会わせてくれたり。


「ほら、お母さんですよ」

「ありがとう、朋子さん」


 見るからに病弱そうな笑顔を浮かべて感謝する女性が、俺の母親である赤星礼奈だ。


「いえいえ、お安い御用ですよ礼奈れなさん。早く元気になって退院して下さい。ほら、レイラちゃんを抱いてあげて。彼女も、母親に抱かれる方が喜びますから」

「うん。ありがとう」


 そう言って深谷朋子は、母親に俺の体を預けた。こんな風に、2人の関係は良好のようだ。


 しかし、深谷朋子はどうやら俺の父親に対して恋愛感情を持っているようだった。その気持を秘めたまま、父親との関係を続けているように見えた。深谷朋子は、今の関係を崩さないように努力しているみたい。


 深谷朋子の他にも、父親に対して特別な感情を持つ女性が何人も居るようである。俺の父親は、なかなかモテる男らしい。


 けれど特別な感情を向けられている本人は、周りにいる女性たちの気持ちを察することなく、一途に妻である赤星あかほし礼奈れなだけ愛しているようだった。俺の周りは、そんな状況。




 そんな俺の父親は、料理店を営んでいた。


 なかなか繁盛しているようで、仕込みや営業の時間はかなり忙しそうにしている。それで、赤ん坊の世話をするのも難しいみたいだった。仕事の合間を縫って、会いに来てくれる。けれど友達の手助けがないと、世話するのは厳しい。母親の体調が回復せず、入院しているというのも大きいだろう。


 それでも、なんとか頑張っていた。そして、周りの女性たちが彼を助けてくれる。


 もう既に俺には自我があるので、実は世話をしてくれる必要はそれほどなかった。けれども、一般的な赤ん坊はまだ親の世話を必要とするような時期だろう。だから、父親は友人に頼って赤ん坊の世話をしてもらっていた。


 赤星あかほし啓吾けいごを手助けしてくれている女友達は、彼の気を引くことを目的にしている節もあった。だが父親は、友人として彼女たちを頼りにした。




 徐々に周囲の状況を把握していく最中に、母親の様態が急変する。


 病院を訪れるたびに彼女の顔色はどんどん悪くなっていく。先が長くないことは、明らかだった。


 病院の治療を受けているけど、彼女の生命力は徐々に失われつつあるということが分かっていた。それなのに、赤ん坊の俺では助けることが出来ない。それを見ていることしか出来ないのが、悔しかった。


 そして、とうとう。


 医者から連絡を受けた父親の啓吾は血相を変えて、営業していた店を急遽休みに。その後、赤ん坊の俺を抱えて病院に駆け込んだ。




「ごめんなさい、啓吾さん」

「大丈夫だよ、礼奈れな


 ベッドの上でぐったりとしている母親の手を握り、必死に呼びかける父親の啓吾。俺は近くにいる看護師の女性に抱えられながら、その様子を見ていた。その病室には医師も待機していて、いよいよ危ないという状況である。


「レイラをお願いします。一緒に居られなくて、ごめんなさいと伝えて」

「そんな弱気なことを。絶対に大丈夫だから」

「ぁぃぅ!」


 母親の言葉は、もうしっかり俺に伝わっている。言葉が話せるのなら、彼女に俺の想いを伝えられるというのに。この世界に生んでくれてありがとう、と。


「啓吾さんも、私が死んだら……レイラと一緒に、幸せになって下さい……」

「嫌だ。ずっと君と一緒に居る」


 苦しくて辛そうにしながら想いを伝える母親。首を横に振って、強く拒否し続ける父親。何も出来ず、見ているのは辛い。


「啓吾さんは……とっても、モテるから、すぐに新しい人を見つけられますよ……。あの娘に、新しい母親を……。私の弱い体では、世話することが出来なかったから」

「そんな事を言うな。大丈夫だよ」

「嬉しいです。最期に、貴方の、優しい顔が、見れて……」

「駄目だ。そんな弱気じゃ、ちゃんと元気になって、また俺と一緒に暮らすんだよ。レイラも一緒に」

「ふふっ。そうですね」


 弱々しい笑顔を浮かべて、母親は自分の死を受け入れた様子。それに対して、泣きそうな顔をしながらも、必死に堪えて母親を励まそうとする父親。


「ウッ……、ごめん、なさい」

「礼奈ッ……、れなぁ!」


 病室の中に彼女の死を知らせる音が鳴り響いた。医師が母親の死を確認している。泣きながら、母親の体にしがみつく父親の姿を見て、俺の胸も苦しくなった。


 まさか、生まれてすぐに母親を亡くすことになるとは。もっと俺が成長していれば回復魔法が使えて、彼女を助けられたのかもしれないというのに。これまで、数々の人生を過ごしてきたが、これほど赤ん坊の体が辛いと思った時は初めてだった。


 平和な世界だと思っていたから、こんなにも早く身近な人を亡くしてしまうなんて予想していなかった。


「れなぁ……うぅぅぅ……、れなぁ……ッ!」


 今もなお、泣いて愛する者の名前を呼び続ける父親の気持ちは、俺も痛いぐらいに理解出来てしまう。


 愛する人を失ってしまった瞬間の、あの悲しさと虚無感を。


 母親は亡くなってしまう間際に父親に向けて、早く次の人を見つけて欲しいという願いの言葉を残して逝った。


 彼女は、父親を愛している女性たちが周りにいるのを分かっていて、そんな言葉を残したんだと思う。父の、あの悲しみの深さを見てしまうと当分は無理そうだった。俺も同じ状況に立たされたら、簡単には切り替えられないと思う。


 愛する妻を亡くした父親は、これからどう生きていくのか。


 新しい俺の人生は、これからどうなっていくのかな。

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