第89話 王都を出発してすぐ

 夜。王都を出発すぐ、配属される予定の目的地に向かっている最中だった。


 アイテムボックスという能力で旅の荷物は収納してあるので、何も持たずに済む。次の村まで近いので、徒歩で移動していた。そこから、馬車に乗って行く予定。


 薄暗い道を1人で歩いていると、後ろから誰かが付いてくる気配を感じた。草木に隠れながら一定の距離を保って、こちらの様子を窺っているのを感じる。


 最近、同じようなシチュエーションがあったな。けど、前回とは違っているようで1人じゃないみたい。おそらく、6人ぐらいかな。そんな数の人間たちが武装して、俺と同じ方向に向かって不自然な歩調で進んでいる。


 もう少し、気付かないフリをして歩いてみた。一定の距離を保ったまま離れずに、後をついてくる。追跡してくる相手は、間違いなく俺をターゲットにしていることが分かった。


 王都を出発したばかりなのに、早速これか。まったく、面倒だな。


 一体、誰だろう。最近、俺の噂が広まっているようだから見物にでも来たのかな。しばらく歩き続けて、ちょっとした広場に辿り着いた。すると、追跡してきた相手の1人が姿を表した。


「久しぶりだな。早速だが、渡した金を返してもらおうか」


 後ろからついて来ていたのは、勇者の試験であるトーナメントで、俺に金を渡して試合で負けるように提案をしてきた貴族の男だった。名前は確か、イマヌエルだったかな。


 俺の目の前に出てくると同時に、いきなりそんな事を言ってきた。


「金?」


 金とは、これのことか。旅の荷物などと一緒に、アイテムボックスの中に収納しておいた金貨袋を取り出した。それを、彼の目の前に。イマヌエルの視線は、俺の持つ金貨袋に向いていた。


「そうだ。それを返してもらう」

「なぜ?」


 あの時に取引は成立して、ちゃんと試合にも負けた。イマヌエルは5回戦を事前に約束していた通り、勝ち上がった。取引の内容を実行して、成功させている。なら、この金を返す理由はないはず。


「あの提案は、必要なかった。なんせ、お前は歴代最弱の勇者だからな」

「……?」


 確かに世間から最弱の勇者と呼ばれているらしいけれど、噂されているような実力ではない。だから、イマヌエルも金を出して試合で負けるように提案してきたはず。なのに、いまさら金を返せとは。なんとも、勝手な話だな。


「あの時の提案は、無効だ。金を払わなくても、俺は勝てたんだからな。早く渡した金を返せ。でないと、痛い目をみるぞ」

「……」


 なるほど。試合は取引しなくても勝てたはずだと思ったから、金を返せと要求してきたのか。


 トーナメントで優勝して、気が大きくなったのかな。今年の優勝者であり、一番の実力者という肩書きを手に入れたことで、さらに自信がついたみたいだ。偽りの実力だけで勝っておいて、よく自信が持てるよな。


 俺は黙って、金貨袋をアイテムボックスの中に収納した。話を聞いても、別に返す必要はないと思ったから。


 金貨袋を収納した俺の行動を見て、イマヌエルは眉をひそめると不快そうな表情を浮かべた。


「なるほど、なるほど。どうやら貴様は、痛い目を見たいようだな!」


 金を返そうとしない俺の態度に対して、怒るイマヌエル。彼は剣を抜き、戦闘態勢に入った。


「おい、お前達も出てこい!」

「へい!」


 彼は片手に剣を持ちながら、後ろに振り返って呼びかけた。草木の影から続々と、仲間らしき人相の悪い男たちが出てくる。気配で感じていた。隠れていた者たちは、全員が出てきたか。俺を逃さないように、包囲するような位置に立った。


 貴族の男イマヌエルと、取り巻き連中が5人。たった6人だけで、俺から金を取り返せると思われたのか。たしかに俺は、実力を隠してきた。だとしても、甘く見過ぎじゃないか。


「これだけの人数に勝てるわけない! さぁ早く、アイテムボックスから金を出せ。さもないと、死ぬことになるぞ!」


 俺に忠告するイマヌエル。そして取り巻き連中と一緒に嘲笑した。彼の言うことに従って金を返しても、助けてくれる気はなさそうだよな。取引した事実もついでに、もみ消すつもりなのようだ。1対6という人数の差で余裕も出てきたようで、彼らは凄く調子に乗っている。


 もちろん、素直に従うわけがない。


「なっ!?」

「「「「「!?」」」」」


 イマヌエルたちの視界から速やかに移動した。取り囲んでも、その間から走り抜けるのは簡単だった。そして、暗闇の広がる草木の影に隠れる。それだけで、すぐ姿をくらます事ができる。慌てて、行方を探そうとする彼ら。


「お、おい! 逃げるなんて、どこに行った!? 絶対に、あいつを逃がすなッ!」

「ガッ!?」「ウッ!?」「い、ガッ!?」「ま、グゥッ!?」「お、ウガァ!?」


 イマヌエルが叫ぶ。逃げていない。彼らの後ろに回り込んで、取り巻きの連中から順番に始末していく。意識の外から急所を突くと、5人の取り巻き連中は気を失い、地面に倒れていく。一瞬の出来事。


「なっ……!?」


 仲間が倒れた音が聞こえたのか、彼は振り向く。イマヌエルの取り巻き連中は既に全員が戦闘不能になっていた。俺だけ立っている状態。その光景を見て、彼は驚いた表情を浮かべる。


「き、貴様……。なにを、した?」


 問いかけを無視して、再び速やかに移動。視界から消え去る。簡単に、彼の視線を外すことが出来た。もう、俺の姿は見えていないだろう。


「なっ!? ど、どこだ!?」


 イマヌエルは怯えながら、あちこちに視線を向けて俺の姿を探していた。


 これが、トーナメントで優勝した勇者なのか。知っていたけれども、改めて戦って実力を感じると、その弱さに失望する。こんなにあっさりと、背中を取れるなんて。そんな彼に、俺は世間から実力で負けていると思われているのか。


 噂を払拭するため、本当の力を示しておいたほうが良かったのかもしれない。


 一応、そんな評価になることも含めて試合に負けるという提案を呑んだ。金を受け取ったから、噂を否定するような行動も控えていたのに。


 取引の内容を破ったのは向こう側。それも、一方的に。命まで奪うつもりだったのかもしれない。それなら、俺だって。


「次は、殺す」

「ヒ、ヒィィィ!」


 彼の後ろに回り込んで、耳元で囁いた。俺は長く言葉を話すことが出来ないから、インパクトのある一言で伝える。これで、だいたい伝わっただろう。敵に回したら、どうなるのか理解できたはず。


 するとイマヌエルは腰を抜かして、地面を這いつくばる。立ち上がろうとするが、恐怖で足が震えていて力が入らない様子。


「わぁぁぁぁっっ!?」


 叫びながら四つん這いで、そのまま逃げていった。仲間を置いたまま1人だけで。なんて、みっともない。


「……はぁ」


 あれで、懲りてくれていたら良いんだが。面倒そうな貴族に、目をつけられたな。 これから、もっと面倒なことになりそう。


 仕方ないか。トーナメントで対戦相手になってしまったことが、運の尽きだろう。諦めて、今後も何か仕掛けてくるようなら対処する。王都を離れたら、関わることも無くなると思うけど。さて、どうだろう。


 しかし、最弱の勇者という世間の悪評は、そのまま放置したのは悪手だったのかもしれない。今さらになって、俺はちょっと後悔していた。ジョナスが忠告してくれた通り、すぐに反論しておけば良かったかもな。

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