戦場の歌姫

その戦争はいつ始まったかも忘れられていた。

いつ終わるかもわからない。


少女は戦場で生まれ、死と隣り合わせに育った。

大砲の音が彼女の子守唄だった。


ある日、戦場を訪れた吟遊詩人が彼女に故郷の歌を教えた。

少女は、その歌を覚えて、大人たちの前で歌った。


歌を耳にした大人たちは故郷に残した子供のことを思い涙した。

そして、もっと歌ってくれと少女にせがんだ。

少女は歌った。何度も何度も歌った。

戦いに疲れた大人たちのために、声が枯れるまで歌い続けた。


歳月が過ぎ、少女は沢山の歌を紡ぎ出した。

その歌は戦士に勇気を与えた。

その歌は心の傷を癒した。


いつしか少女は「歌姫」と呼ばれるようになった。

歌姫の前だけでは敵味方関係なく、等しく彼女の歌を聴き涙する。

彼女の存在する時間、彼女の存在する場所に束の間の平和が訪れる。

まるで砂漠に咲いた一輪の花のように。


彼女は戦場の歌姫だった。



「カイト、撤退するぞ。さっさと荷物まとめろ。」


古参兵の指示に従い、カイトと呼ばれた少年は装備をコンテナに積み込む。

硝煙と血の匂いが砂漠の砂と混じり戦場に流れる。

カイトは12歳の時に徴兵されてこの戦場にやってきた。

村から来た5人の仲間も、今ではカイトひとりとなった。


「立ち止まるな、考える前に動け。」


そうカイトに教えてくれた男も今は砂漠のどこかの土の下だ。

戦場で過ごす3年間は少年に生き延びるための知恵を教え、感情を対価として奪っていった。

カイトは戦士だった。


日が昇り目覚めた時、カイトは周りの様子がいつもと違っていることに気づいた。


気配が優しい・・・・。


いつもは支配している死の気配が今日は薄らいでいる。

それに・・・・、今日は糧食レーションじゃない。

ちゃんと調理された温かい飯の匂いだ。

カイトは飛び起きて調理場に走った。


ようやく飢えを満たし気持ちが落ち着いてから、カイトは古参兵に尋ねた。


「今日は何かあったんですか・・・・、その。」


そして、捨てたはずの微かな希望を口にした。


「戦争が終わったとか。」


古参兵は髭をふるわせて豪快に笑う。


「がはは、そんなことはありえねえ。今日はな、この戦場に歌姫が来るんだよ。」


「歌姫?」


カイトは歌姫を知らなかった。誰か偉い人なのだろうか?


「なんだ、歌姫を知らねえのか。じゃあ楽しみにしとけ。今日は戦闘はないからよ。」


古参兵はニヤニヤと笑い立ち去って行った。


戦闘がない日。

それは戦場に来てから初めてのことで、カイトは何をしていいかわからなかった。

友達ももういない。

銃剣もコンテナに納められて鍵がかかっている。

体術の訓練もすぐに飽きてしまい、周辺を散策することにした。


歌姫という人が来るのは夜らしい。夕方までに戻れば大丈夫だろう。

カイトはオートモービルで出かけることにした。


果てしない戦いの結果、砲弾は緑を根こそぎ奪って砂漠とした。

それでも、1時間も走れば、非戦闘地帯に辿り着く。

そこには樹木が茂り、泉があった。


カイトは泉の水を手で掬って飲む。

同じ水のはずなのに、水筒で飲む水とは別のものだ。

冷たくて美味しい。


大の字になって草の上に寝転ぶと樹木の間から陽光が漏れて顔を照らす。

こんなくつろいだ気分になるのは、村を出て以来初めてだ。

カイトの表情にわずかながらに残っていた少年が顔を覗かせた。


カサッ・・・・


樹々の葉のたてる音にカイトは反射的に身を起こす。

銃をとろうとしたが、そうだ。今日は銃はない。

音は明らかに近づいてきて、カイトは緊張し身構えた。


現れたのは銃を持った敵でもなく、牙を持った獣でもなかった。

現れたのは、横笛を持った少女だった。


少女はカイトの顔を見ると、ほっとした表情で微笑んだ。

「ああよかった。やっと人にあえました。」


同い年くらいだろうか。

美しいというよりは可愛らしいと言った方が似合う。

少女は長い銀色の髪を後ろに束ね、白いドレスを着ていた。

長い間彷徨い歩いたのだろう。

ところどころ破れて裂けている。

裂け目から見える少女の素肌に少年は思わず視線を逸らした。


「あの、お願いがあるのですが・・・。」


少女は軽やかにステップを踏んで、視線の方向へとまわり込む。


「私を一緒に連れて行ってくれませんか。行かなければいけないところがあるんです。」



「名前はなんて言うの?」


カイトはオートモービルの後部座席に座る少女に話しかける。


二人乗りのオートモービルの後部座席に少女は座り、振り落とされないよう少年に抱きついていた。

少年の背中に少女の柔らかい胸があたるし良い匂いもする。

何か喋らないと気が変になりそうだった。


「名前・・・ですか。そういえばないですねえ。」


少女は困惑したような声で応えた。


「特に名前がなくても不自由なかったんですが。お話しする時に不便ですね。」


少女の声がはずんだ。


「そうだ。あなたがつけてください。」


カイトが困惑し黙っていると少女は耳元に唇を近づけた。


「ねえ、はやく名前をつけてくださいよお。」


少年は身体中に電気が走ったような衝撃を受けて、ハンドル操作を誤った。

オートモービルが左右に揺れ、急いで立て直す。

少女はきつくしがみつき、柔らかい感触がさらに強く少年の背に伝わる。


「わかった、名前をつけるからちょっと緩めてくれ。君の名前は・・・」


村に残してきた妹の名前が頭に浮かんだ。


「コトネだ。」


少女は名前を嬉しそうに反復した。


「コトネ、コトネ、私はコトネ・・・・・。」


その声はやがて歌になり、少年を包みこむ。

このまま、コトネと一緒にどこまでも走り続けたい。

戦場を離れ、どこかに身を潜めて・・・・。


コトネが呟いた。

「このままふたりでどこか行ってしまいたいですね。」


カイトも呟く。

「どっか行こうか・・・・。」


沈黙が二人を包み、ただオートモービルのエンジン音だけが響く。

太陽は傾き、夜の訪れが近いことを告げる。


沈黙を破ったのはコトネだった。

「行きたいけど、ダメなんですよね。今は。」


その言葉はカイトの予想通りだった。


「ああ、そうだな。残念だ。」


「でも、今はですよ。いつかきっと平和になったら。二人で一緒に行きましょう。」


コトネの言葉は、まるで世界中の優しさをすべて詰め込んだような響きでカイトを包んだ。


「ああ、約束な。コトネ。」


コトネは返事をせず、かわりにカイトにぎゅっとしがみついた。

あと10分もすれば、戦闘地帯に辿り着く。

新しく生まれた恋人達は残り少ない逢瀬の時間を楽しんでいた。



その後、カイトという少年がどうなったかは史実に残っていない。

歌姫については不思議な伝承が伝わっている。


歌姫の歌を聴いた戦士達は戦う感情を奪われてしまう。

男達は殺し合った敵を許し、戦いを放棄し自分たちの生まれ故郷に帰って行った。

永遠に続く戦争に疲れ果てていた指導者達にとっても、それはむしろ望ましいことだったらしい。

歌姫は戦場から戦場へと休むことなく旅をし、そして歌い続けた。


やがて砂漠は緑へと変わり、人々の笑顔も戻ってきた。

そして、すべての戦争が終わった時、歌姫は史実から姿を消した。

戦場で生まれ、故郷を持たない歌姫がどこに行ったかは誰も知らない。


ただ、北方の村に伝わる、こんな短い伝承がある。


昔、戦場に歌姫がいた。

歌姫は英雄と出会い、恋をした。

英雄はその力で、歌姫はその歌で世界を平和にした。

全てが終わった時、英雄はその名前を捨てた。

平和が訪れた時、歌姫はその名前を捨てた。

英雄の故郷で、ふたりは結ばれて幸せに暮らした。


それは史実なのか、後世の人々の単なる願望かはわからない。

しかし、そうであって欲しいと心から願う。

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