第十四章 限りなく白に近いピンク色 桜の花の匂い(合掌)
* * *
いやはや。
吾輩であります。
ケンケンであります。
ご心配をおかけしております。
いやはや。
情けない。
すみませんです。
吾輩、十二年生きて参りました。
ここ松本家で、十二年。
いろんなことがありました。
そのいろんなことが思い出されるのです。
いろんなことが。
最初の頃、吾輩がこちらにお世話になって最初の頃ですね。
オシッコをどこへしたものやらよくわからなくてですね、お部屋の絨毯の上でしてしまいまして、よく叱られたもんです。
シーッ、とね。シーッ、と。オシッコが出ちゃうんです。
絨毯の上でオシッコが出ちゃう時って、なんかいい気持ちするんですよね。だからついついね、あったかくてフサフサしてる絨毯の上でオシッコしたくなっちゃって。
あ、わかります? その気持ち?
そうそう。それで叱られるの。こっぴどく叱られて。
叱るのはご主人でした。ご主人。ご主人って、優弥さんのお父さん。要(かなめ)さんですね。松本要さん。要さんが飛んできて、コラーッて言いながら吾輩の首根っこを捕まえて、大きな手でバンバンとお尻を叩いて叱るんです。体罰ですね。笑。それで、その後決まってお母さんの優子さんが来てくれて、吾輩を慰めてくれるんです。おお、ケンケン、よしよし、痛かった?って。だもんですから吾輩、そのお陰でご主人の強烈な躾にもなんとか耐えることができたという訳なんですけれども。
それで。
ある日のことです。
ある日のこと。
そのご主人が、帰って来なくなってしまったんです。
ご主人は自転車乗りでしたから、仲間とツーリングの旅に出て、家を空けることがありました。まだ優弥さんは小さかったので、そんな時は優子さんがご主人の代わりに吾輩のお散歩やエサなどの世話をしてくれていたんですが。
ある時、ご主人は旅に出ました。そして、そのまま帰って来なくなってしまったんです。
吾輩はいつかご主人が帰ってくると思っていましたから、ずっと待っていました。玄関先で、ご主人の帰りを、ずっと。ご主人が玄関を開けて帰ってくるのを、今か今かと、ずっと。ずっと待ち続けておりました。でもご主人は玄関を開けてはくれませんでした。待っても待っても、もう二度と、玄関を開けて帰ってきてはくれませんでした。
それが亡くなるということでした。
ずっと後から知ったんですが、ご主人は仲間とのツーリングの最中に交通事故に遭って、亡くなってしまったのです。
亡くなるということは、こういうことだったんですね。
亡くなるということは、帰って来なくなるということだったんですね。
ですから、その日以来、吾輩はご主人と会っていないのです。
不思議なもんですね。
ここ数日、いろんなことを思い出すんですけれども。
目を瞑っているとですね、目の前にこう、走馬灯のように思い出が蘇ってくるんです。
それで、一番思い出すのが、ご主人との思い出なんです。
小さな頃に、ご主人の大きな手で首根っこを掴まれて、バンバンお尻を叩かれた思い出。
厳しい人でした。ご主人。吾輩に向かって、甘い顔は見せませんでした。恐らくそれは、甘えを排して一日も早く躾を完成させ、立派な犬にしたかったということなのでしょうね。だから吾輩はご主人からよく叩かれた訳ですけれど、今思い出すのはそのシーンなんですよね。ご主人に叩かれるシーン。
不思議ですよね。
決して楽しかった訳ではないのに。
なんでですかね。
妙に懐かしいんです。
あの手。
ご主人のあの手。
もう一度会いたいなあ、と思いますね。
あの大きな手に。
* * *
獣医の先生が来てくれたのはその日の夕方だった。
野球部のみんなが来て松本家の片づけを手伝ってくれて、優弥と榊原さんが四日ぶりに投球練習へ行った、その日の夕方。
「昏睡状態ですね」
と、聴診器を耳に当てながら、その長い髭を蓄えた老人の獣医は言った。
とても疲れている、というかんじだった。この台風で何匹もの動物が命の危険に晒されたのだろう。優弥のお母さまが幾つもの動物病院を訪ねて、ようやく来てくれたのがこの老人の獣医師だった。
「心拍が弱いし、血圧も下がっちゃってるなぁ」
「ご飯も食べないし、お水も飲まないんです」
お母さまが言った。
「うーん。もって、ここ数日かなぁ」
「あの、やはり、台風の洪水が原因でしょうか」
「そうですねぇ。なんとも言えないんですけども。もう十二歳ということですからねぇ。人間で言えば百歳を越えてますから。老衰ですよねぇ」
そう言って、獣医師は帰っていった。
何も処置をしなかった。
処置のしようがなかった。
その日の夜になって、電気が復旧した。エアコンや扇風機などは水に浸かってしまったので使えなかったが、照明は点いた。泥の掻き出しもある程度終わったので、お母さまと優弥は久しぶりに自宅で夜を過ごすことになった。
ケンケンは相変わらず居間のソファの上にいて、虫の息だった。
でも今夜はお母さまと優弥がいる。
お母さまと優弥がケンケンを見てくれている。
わたしは。
優弥の家の床を蹴った。
天井を抜け、空に跳び上がる。
夜の空には星が溢れている。
天の川も見える。
あの台風以来、空気が澄んでいるんだ。
上空まで上がると町を支配していた川原の匂いが消え、夜の匂いになった。
夏の夜の匂い。
昼間の熱気が消えて、埃の匂いの代わりに湿気の匂いが入り込んでいる。
空気の中の、小さな小さな雨の粒。
匂いは藍色。
深く美しい藍色。
その藍色の匂いの中を、森の方角に向かって跳ぶ。
わたしにはひとつ、やることがあった。
火葬場の煙突が見えてくる。
その駐車場に犬バスがいた。
犬バスが獣の匂いをさせて、何本もある足を身体の下に折り畳み、長い尻尾を丸めてうずくまっている。
背中の上には客車があって、薄黄色にぼーっと鈍く光っている。
その中に何人かの人影が見える。
人影というか、ユーレーの影というか。
わたしはその中を探した。
「よう」
後ろから声を掛けられた。
生ゴミの匂い。
ミヤジさん。
「ああ、ミヤジさん」
「元気?」
「はい。元気です。あの、ミヤジさん、探していました」
「俺を? なんで?」
「お礼を言わなくちゃ、と思って」
「お礼? ああ、この前の。嵐の夜の。お礼ね」
「はい。そうです。その節はありがとうございました」
「いえいえいえ。いえいえ。それで、彼氏は? 連れてきた?」
「いえ、あの」
「あれ? 一緒じゃないの?」
「一緒って」
「死んじゃったんじゃないの? 彼氏。それで火葬場で火葬して、ユーレーになって、それで天国へ。ご一緒に?」
「違います」
「あら」
「死んでないです」
「死ななかったの?」
「はい」
「それは残念だったねぇ。折角一緒に天国へ行って天国で永遠に一緒に暮らせるチャンスだったってのにねぇ。で? お礼? 俺にお礼? 何のお礼?」
「あの時ミヤジさん、教えてくれたでしょう。わたしに」
「へ? 何を?」
「匂いですよ」
「あぁ」
「匂いだ、それが、お前がこの世に唯一係われる力だ、って」
「あぁ。言ったな。そう言えば」
「匂いだぁ、って、あの時力強く叫んでくれたじゃないですか。匂いを使えぇ、って。そのお陰で、わたしは匂いを使って優弥を助けることができたんです」
「ほー。まじで?」
「まじですよ」
「そっか。余分なこと言っちまったな」
「そんなことないですよ。お陰で命が助かったんですよ。だからお礼に来たんです。ありがとうございました」
「それはどうかなぁ。俺があの時余分なこと言わなけりゃさぁ、お前さん、今ここに彼氏と連れ立って来てたかもしれなかったんだぜ」
「それは、そうですけど」
「人間万事塞翁が馬だ」
「難しいこと言いますね。馬ですか」
「そうだ。馬だ」
「どういう例えですか」
「人間、何が起こるかわからねぇ、って例えよ」
「人間じゃないですけどね」
「そうだった。人間じゃなかったな。俺たち」
「ユーレーが馬ですね」
「そうだな。ユーレーが馬だ」
「ところでミヤジさんは」
わたしは言った。
「ミヤコさん、見つかりましたか?」
そう言うと、ミヤジさんは一気に真っ暗な顔になった。
もともと明るい顔の人ではなかったのだけれど、暗い顔が更に真っ暗になった。
「見つけたんだ」
「え、見つかったんですか。よかったじゃないですか」
「よくないんだよ」
それでわたしはミヤジさんの話を聞いた。
ミヤジさんはミヤコさんを見つけた。ミヤコさんは桜の木の下にいた。それはミヤジさんとミヤコさんが出会ってすぐの頃に、初めてお花見をした思い出の桜の木の下だったそうだ。
「なんでこの場所に早く気付かなかったんだろうな」
ミヤジさんは言った。
「レイプ犯の逮捕を見届けるとか、そんなことを悠長にやってる場合じゃなかったんだ。実は。俺はミヤコがもうとっくに天国へ行ってるもんだと思っていたからな。だからこの世ではミヤコを探しもしなかったんだが。だけどそうじゃなかった。ミヤコは天国へ行ってなかった。ユーレーになって、桜の木の下にいたんだ。俺たちが初めて一緒にお花見をした、あの思い出の桜の木の下に。俺はミヤコを見つけた。ミヤコはそこにいた。でも」
でも?
「ミヤコの足に根が生えちまっていた」
え。
「ミヤコの足に。根が」
ミヤコさんは。
地縛霊になってしまっていたのか。
「押しても引いても駄目だった。どうやってもミヤコは動かない。その場所から動かない。俺は、最後には、ノコギリを持って来てミヤコの足を地球から切り離してやろうと思ったんだ」
ノコギリで切り離す。
足を。
ミヤコさんの足を。
「駄目だった。そんなことできなかった。俺は金物屋に行ってノコギリを探した。よく切れそうなノコギリがそこにあった。だけどな。もちろん、そんなものにはさわれない。俺はノコギリなんかにさわれない。この世のものにはさわれないんだ。ユーレーだからな。俺は」
「ミヤコはそこで泣いていた。オイオイ泣いていた。俺が傍に行っても、俺だってことがわからないみたいだった。声を掛けても、身体にさわっても、誰だかわからないみたいだった。意識はあるみたいだけど、気が狂ったようになってしまって、ただ泣くばかりだ。悔しそうに。ずっと泣いてる。悔しかったんだろう。死んだ時。よっぽど悔しかったんだろう。ま、典型的な地縛霊だな。地縛霊になっちまってたんだ。ミヤコは。その桜の木の下で」
「俺自身、もう跳べなくなっちまっててな、足引き摺ってここまで歩いてきた。それで、さっきここに着いたんだ。最後の望みを託そうと思ってな。ここまで来たんだ」
ミヤジさんは。
犬バスに乗るんだろうか。
ここにいる、この犬バスに。
「そうだ。犬バスに乗る。それはそうだが、俺一人では乗らない。そういうつもりだった。俺はまだ希望を捨ててはいなかった。ミヤコを犬バスに乗せる。この犬バスに乗せる。だけどな、ミヤコは歩けねぇ。ここまで歩いて来れねぇ。だから俺は考えた。犬バスが行けばいいんだ。犬バスが行けば。ミヤコのところまで行けば。犬バスが行って、ミヤコを乗せればいいんだ」
なるほど。そうか。そうですね。さすがです。さすがミヤジさん。
「駄目だった」
え?
「俺は今コイツに交渉を試みた」
そう言ってミヤジさんは後ろを振り返った。コイツ。コイツというのは犬バス。犬バスのことか。犬バスに交渉したということ?
「そうだ。犬バスは犬バスだ。運転手も車掌もいない。犬バスは犬バス自身が犬バスだ。だから犬バス自身に交渉するしかない。俺は交渉した。行ってくれないかと。桜の下に寄ってくれないかと。桜の下まで行って、ミヤコを乗せてくれないかと」
駄目だったんですか。
「ああ。駄目だ」
どうして。
わたしはミヤジさんの向こう側にいた犬バスに近寄っていって、そして言った。
「犬バスさん、桜の木の下まで行ってあげてください」
「犬バスさん、もう一人、乗客を乗せてあげてください」
「犬バスさん、ミヤコさんという人を、乗せてあげてください」
大きな声で、わたしは言った。
三回、わたしは言った。
客車にいた何人かのユーレーが、驚いた顔でこちらを見ていた。
犬バスはわたしの身体以上に大きな顔をしていて、その上に付いている長い睫毛を少し震わせてちょっとだけ目を開き、そしてまた閉じてしまった。うるさいなあ、というかんじで。
「駄目なんだ」
ミヤジさんが言った。
「ルール違反ということらしい。どうも、天国へ行く意志のないユーレーを乗せるのがルール違反だということらしんだが。ま、ミヤコはユーレーというよりも地縛霊だからな。地縛霊になっちまってるから。例え桜の木の下まで犬バスが行ってくれたとしたって、客車にミヤコを乗せるのは、もう無理なのかもしれん」
え。
じゃ。
じゃ、どうしたらいいんですか。
どうするんですか。
「あのな」
ミヤジさんが言った。
わたしに言った。
「頼みがあるんだよ」
はい。
わたしは答える。
「あのな、俺をな、あそこまで連れて行ってほしいんだよ。あの桜の木の下まで。ミヤコのところまで。俺な、もう跳べないんだよ。だからな、連れてってほしいんだよ。あそこまで」
いいですよ。お安い御用です。
だけど。
それでどうするんですか。
ミヤジさんは。
その後どうするんですか。
その質問には、ミヤジさんは答えなかった。
「ミヤジさん、わたしに掴まってください」
わたしは言った。
わたしはミヤジさんを背中に背負おうと思って、その場に屈んだ。
その時ミヤジさんの足が見えた。ミヤジさんの足は素足だった。骨と皮だけになっており、ほんとうに木の根のようにしわしわになっていた。もう浮いていることができず、地面に足を引き摺ってきたのだ。だから木の根のような足の先が血まみれになってしまっている。
ミヤジさんがわたしの背中に掴まって、わたしはミヤジさんの身体を持ち上げた。わたしは重さを感じない。わたしは重力を感じない。だからかもしれないけれど、ぜんぜん重くない。すごく軽かった。紙とか風船でできているみたいに。ミヤジさんの身体。
「よかった。まだ足がめり込んでなかった」
ミヤジさんが言った。
「変なこと言わないでください。行きますよ」
わたしは言って、地面を蹴った。
「おお。いいねぇ。久しぶりだなぁ。跳ぶっていうのは。気持ちいいねぇ」
わたしの背中で、ミヤジさんがしみじみと言っている。
「わたし、馬ですから」
「馬?」
「はい。馬です」
「馬か」
「はい。ユーレーが馬」
「ははは。うまいこというね」
「パカッ、パカッ」
「ハイホー、ハイホー」
あの桜だ、と、ミヤジさんが言った。
そこは隣の市の、山の上の公園だった。桜の名所として地味に有名なところで、わたしも何回か家族で桜見物に来たことがあった。桜の時期になると、この山一帯が桜の花で覆い尽くされるのだ。ソメイヨシノ。
桜の匂いはとても薄い。薄い花の匂い。色は、限りなく白に近いピンク色。
その山の上にある、ひときわ大きな桜。
今は夏で、緑の葉が生い茂っている。桜の花の匂いはしない。森の匂いがしている。
その桜の木の下。
生ゴミの匂いが漂っていた。
そこに女の人がいた。
女のユーレー。
いや、地縛霊か。
泣いていた。
オゥオゥオゥ、というような声を出していた。
オゥオゥオゥ、オゥオゥオゥ、オゥオゥオゥ。
哀しい声だった。
慟哭だった。
長い髪の毛で顔が覆われていた。だから顔は見えなかった。
ひざまずくような格好で、猫背になっていた。
足が。
女のユーレーの足が。
ひざまずいている足が、地面にめり込んでいた。
めり込むように、足の先が埋まっていた。
「ミヤコです」
ミヤジさんがそう言った。
その人がミヤコさんだった。
「ありがとう。もういいよ」
ミヤジさんが言った。
「え?」
「もういいよ。帰っていい」
「え」
「ありがとう。帰っていいよ」
「だって」
「いいから。帰れ」
「ミヤジさん、どうするんですか」
「どうもしねぇ」
「どうもしない、って」
「どうもしねぇってどうもしねぇんだ。どうにも、しようがねぇんだ」
「ミヤコさん、連れて行きましょうよ」
ミヤジさんは何も言わなかった。
何も言わなくなってしまった。
しょうがない。だったらわたしが。
ミヤジさんはもう跳べなくなってしまったということだが、わたしはまだ跳べる。わたしがミヤコさんを持ち上げて、ミヤコさんとミヤジさんを引っ張って、空を跳んで犬バスまで二人を連れて行けばいいんだ。
お安い御用だ。
やってみせましょう。
わたしはミヤコさんの肩のあたりを持ち、上に引き上げようと思った。触れた途端に、ワウゥゥゥというような唸り声を放って、振り払われた。違うんですミヤコさん。わたしは味方です。あなたの味方です。あなたを助けに来たんです。ゥワウゥゥゥ、ワウゥゥゥ。声。獣のような声。威嚇するような声。髪を振り乱して抵抗する。わたしはひるまず、強制的に肩を掴んで上に引き上げようと思った。激しく抵抗する肩を掴む。上に上げる。グイと引き上げる。引き上げる。引き上げる。
「な、言ったろ」
ミヤジさん。
駄目だ。
駄目です。
「駄目なんですか」
「駄目なんだよ。俺も何度もやったんだ。駄目なんだよ。駄目なんだ。どしても駄目なんだ。どうしても」
「ミヤジさん。駄目なんですか」
「ああ。駄目だ。駄目なんだ。諦めろ」
「でも」
「帰れ。もういい。帰れ」
「ミヤジさん。ミヤジさんは。ミヤジさんはどうするんですか」
「俺か? 俺。俺は。ミヤコといる。ここにいる。俺はミヤコとここにいる。そう決めたんだ」
「だって。ミヤジさん。行きましょう。わたしと」
「放せ。さわるな。穢れる。放せ。穢れるッ」
「ミヤジさん。行かないと。地縛霊になってしまう。ミヤジさんが。地縛霊になってしまう」
「馬鹿野郎。地縛霊? 上等だ。てめえ、今ここで、俺が今ここで行けると思うか。今ここで、ミヤコを見捨てて、俺だけ天国へなんか、行けると思うか。ミヤコを見捨てて、行けると思うか。俺がミヤコを。見捨てられると思うのか。俺が見捨てたら、ミヤコは独りぼっちだ。ずっと独りぼっちだ。ずっとここで独りぼっちだ。独りぼっちで何十年も、何百年も、何千年も、ずっとずっと独りぼっちだ。そんなこと。そんなこと。許されん。許されんよ。俺だって、俺だってな、もし俺が天国へ行ったって、俺だって、ずっと独りぼっちだ。天国で独りぼっちだ。俺は独りぼっちなんだ。
いいか、よく考えろ。
独りぼっちってのはな、地獄だよ。
天国に行ってもな、地獄だよ。
地獄なんだよ。
ここはな、公園だ。いろんな人が遊びに来る。カップルや、親子。家族。おじいちゃんやおばあちゃん。赤ちゃん。そういう人らがな、遊びに来るところだ。そして春になるとな、この桜が咲くんだよ。桜が咲いてな、満開になるんだよ。俺はな、ミヤコと一緒にな、そういうものを眺められるんだよ。赤ちゃんを連れた夫婦や、おばあちゃんを連れた娘、大きな犬や小さな犬。そんなかんじのものを。俺たちは眺めるんだ。この特等席で、ずっと眺めていられるんだ。ずっと二人で。ずっと二人だけで。ずっとずっと一緒にいられるんだ。
それがな、俺にとってのな、幸せなんだよ。俺たちにとってのな、天国なんだよ。
ミヤコは今泣いてる。こうして泣いてる。まだしばらくは泣き続けるんだろう。あと何年か。何十年か。何百年か。だけどな、やがて泣き止む。ミヤコは泣き止む。泣き止む時が来る。そうして、俺に気付くだろう。隣にいる俺に気付くだろう。そして桜が咲くんだよ。またこの桜が咲くんだよ。桜が満開になるんだよ。満開になって、散っていくんだよ」
「ミヤジさん」
「ありがとう。ありがとうな。俺を連れてきてくれて。天国まで連れてきてくれて」
それがミヤジさんとの別れだった。
永遠の別れだった。
「ミヤジさん。ありがとう」
わたしはそう言って、地面を蹴った。
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