Heart
第19話『ニュー・ハートビート』
刃暦八百十九年。人類が剣霊とともに魔族との戦いに勝利してから八百年が経ち、人々は平和の中で過ごしてきた。
しかし、世界は静かに危機に瀕している。
魔剣被害の増加、魔族の活性化、異常気象の観測。この世界の均衡が崩れ始めているのは明白で、このままでは人類滅亡の可能性さえあるのだ。
人々にこの真実は知らされておらず、まだ平和を謳歌しているだろうが、水面下で崩壊は進行している。
さて、こうした危機を迎えた時、それを救う勇者が選ばれるものだ。八百年前にも一度、洗礼を受けた勇者が魔族を撃退した。
現代、このバスタード王国にもまた、勇者は存在する。
それが今、国王の前に膝をつき、頭を垂れている人物である。
名を『ユースティティア・ラヴリーン』。聖剣と謳われた剣霊を相棒に英雄となることを期待されているが、まだ12歳の女の子だ。
「よくぞ参られた、聖剣に選ばれし勇者よ。貴殿がここにいるということは、我が国は危機に直面しているということにほかならない」
「心得ております」
「うむ。君に頼みたいのは魔族の撃滅、そして魔剣の排除だ。やってくれるかね?」
「勿論でございます、国王陛下」
ユースティティアが頷き、王は続ける。
「うむ。君に行ってもらうのはここから南東の……いや、馬車は用意してある。領主のスペードル子爵には既に話も通っているから、まずは彼に会いなさい」
「承知いたしました」
話が終わり、ユースティティアは立ち上がる。傍らに立っていた同年代の少女もそれに続いた。
彼女こそが聖剣『ブレイヴハート』。刃暦のはじめに魔族を討ち滅ぼしたといわれる伝説の剣霊だ。
王族の面々と精鋭の騎士たちに見送られ、勇者はこれより新たなる旅を始める。
「与えられた使命、必ず果たします」
これがユースティティアの、勇者としての第一歩であった。
◇
メリーが死んで、アネクメネを食べて、グラファイトが姿を消して──そんな一連の出来事から、もう一年近く経つだろうか。
私はこの一年の間、なにもする気になれず引きこもってばかりいた。食事もしなかった。日が昇ったら起き、読書や勉強で時間を潰し、疲れたら眠る。その繰り返しだ。
誰かと関わって、またメリーたちのように手の届かないどこかへ行ってしまうのが、どうしようもなく怖かったからかもしれない。
両親は私の心情を察してくれたのか、無理に出ようとはさせなかった。
元々令嬢の仕事は学力をつけ、剣霊学校のような出会いの場でいい相手を見つけることだ。
どうやらそのひきこもりの間に、私は12歳になったらしい。ということは、もうすぐメリーの命日だ。
そろそろ父の書斎に読んでいない本もなくなってきて、剣の鍛錬でもせがんでみようか、と思い始めていた。
彼女が現れたのは、そんなある日だった。
「エヴァ。今日からこの家に勇者様が滞在することになったんだ」
勇者。伝承の中に語られる、聖剣を用いて魔族の王を撃破したという存在。魔族なんて見たこともなく、ただのおとぎ話とばかり思っていたが。どうやら、そうでもないらしい。
なんと王様が大真面目に遣わした勇者様だという。昔の英雄の再来だなんて、まるでゲームの主人公だ。
なんて思いながら、私は自室を出て、勇者様に引き合わされた。連れられるがままに客間に行くと、そこには二人の女の子が座っていたのだ。
片方は剣霊だと思われた。
淡い紫の長髪から、エルフのような尖った耳がぴょこんと飛び出ている。衣装は肩出しで、私に上品な笑顔を向けてくれる。
もう片方は凛々しい顔つきで、私を見ても表情をいっさい変えなかった。
後ろで縛ってある桜色の髪に、左右で色の違う瞳。右が白く、左は真っ黒だ。
この二人が聖剣と勇者様なんだろうか。
父に促されて彼女たちの向かいに座り、双方の視線が私に集まるのを感じた。
「うちの娘、エヴァだ。勇者様と同じ12歳でね。仲良くしてやってほしい」
「エヴァちゃんね。私は『ブレイヴハート』。聖剣だなんて言われてるけど、ちょっと長生きなだけで普通の聖剣お姉ちゃんよ」
エルフ耳の剣霊には握手を求められ、応じた。柔らかく、暖かい。
なにより、本当に伝承の剣と同じ名を名乗っている。
本には英雄により振るわれたという記述ばかりで、少女形態についてはたいてい麗しい女性としか述べられていない。
だが、ブレイヴハートの向ける笑顔は確かに麗しいと言い表すのが正しいかもしれない。
「ほらほら、ユーちゃんも挨拶」
「はい。私は王命を受け、この子爵様の邸宅に恐れ多くも宿泊させていただきたく」
「堅いわ、もっと柔らかく」
「ですがエヴァお嬢様は子爵様の──」
「あぁもう……エヴァちゃん、お願いしていいかしら? ユーちゃんと友達になってあげてほしいの」
勇者は生真面目な印象で、凛々しい顔立ちも相まって勇者らしいという感想だ。
どうやらフランクな聖剣は私とこの勇者様がもっと親しくしてほしいらしい。
友達、か。
そう聞くと、どうしても頭にメリーのことがよぎる。あんなことになるのなら、もう友達なんて、と考えてしまう。裏切られるかもしれないなんて思ってしまう。
でも、もしメリーだったらどうするかと考えた。あんなに明るい子にはなれないけれど、彼女のいない世界で私にできることはなんだろう。
私は躊躇いながら手を差し出した。ブレイヴハートはその手を無理やり勇者に取らせ、ぶんぶん上下に振る。
「はい、改めて自己紹介」
「……えっと、ど、どうすれば」
「まず名前かしらね」
「名前……ユースティティア、だよ」
みるみるうちにユースティティアの凛々しかった顔が赤くなり、視線は足元に落ちていった。ブレイヴハートはその様を見てにっこりと笑い、私にもその笑顔を向ける。
「親しみをこめてユーちゃんって呼んであげてね。はい、挨拶!」
「よ、よろ、しく……」
「う、うん。よろしくね、ユー」
私がなんとか浮かべたのも、ユーが照れながら見せてくれたのも、とてもぎこちない笑みだった。
ブレイヴハート曰く、彼女は勇者としてではなく人と関わった経験がほとんどないらしい。よって、こんなふうに照れてしまうそうだ。
「よし、かわいいわね二人とも。それじゃあ、これからお世話になるわね」
ユースティティアとブレイヴハート。勇者と聖剣と聞き、もっと英雄の理想像そのままみたいな人物を想像していたが、彼女たちも普通の女の子なんだろう。
楽しそうな笑顔も、照れて紅潮する頬も、私やメリーとなにも変わらない。
「王城からここまで来たんです、お疲れでしょう。部屋で休んではどうでしょう。エヴァ、二人を案内してあげなさい。君の部屋の隣だからね」
「はい、お父様」
屋敷は結構大きいから、放っておいたら迷子になるかもしれない。初めてなら案内役は必要だ。
私が立ち上がったのに続き、勇者コンビも歩き出した。
ユーはあたりを物珍しそうにきょろきょろしていて、振り返った私と視線が合うと慌てて逸らす。ブレイヴハートはそれを暖かい目で見守っていた。
そうしてのんびり廊下を歩いている私たちのもとに、いきなり兵士が駆け込んでくる。使用人ではなく、鎧姿である。
「勇者様! 魔族が出現いたしました! 場所はこの屋敷の庭、こちらへ接近しています!」
「……! 私たちの気配に気がついたのかしら。休ませてはくれないようね」
魔族。今までエヴァの記憶にある12年、一度たりとも見たことの無い存在。なんでも異形かつ卑劣な存在だというが、それがなんと家の庭に現れたらしい。
ユーの目つきは変わっている。勇者ユースティティアの、凛々しい目付きだ。
「行こう」
「えぇ、もちろん。すぐに終わらせてゆっくり休みましょう」
ふたりはすぐに走っていってしまう。報告してくれた兵士もまた持ち場に戻っていき、廊下には私だけが残される。
「……行かないで」
呟きは無意識だった。
あの二人の後ろ姿を眺め、その中にどことなくメリーやグラファイトの姿を重ねてしまっていたのかもしれない。
「追いかけなきゃ……!」
そうしなければいけない気がして、私は勇者の背中を追って駆け出した。
剣霊喰い《ブレードイーター》は満たされない 皇緋那 @Deadendmagic
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