第18話『ロスト・ブリリアント』
お腹が満たされた。『不毛』を司る少女が溜め込んだエネルギーは甘く、私の体に染み渡り、きっとしばらくは何も食わなくても生きていけるだろう。
代わりに、心に穴が空いた。隣にいたはずの少女は二人ともいなくなってしまった。
早朝に起きても世話をしてくれる使用人はおらず、朝食を用意してくれる相棒はいない。
そんな虚しい朝に、私と同じように寂しげな後ろ姿を見かけ、駆け寄った。
「おはよう、グラファイト」
「……エヴァ。どうしたの、こんな早くに」
「習慣づいちゃってたみたいで。アニー、もういないのにね」
グラファイトは黙って頷いた。きっと彼女もそうなのだ。メリーと一緒に稽古をしていた時間に目が覚めてしまったのだ。
「ゼストさんとピールさん、セラファイトさんのお墓、できたんだって」
「……メリーのご両親も、セラ姉も、誇り高く戦った騎士。祈りを捧げに行きたい」
「そうだね。今はちょっと、屋敷から出るのは危ないかもだけど」
隣に誰もいなくて、私はたぶん話し相手が欲しかった。グラファイトに思い浮かぶことをみんな話してしまいながら、ふたりで屋敷の廊下を歩く。
グラファイトの歩調は早くて、私は早足で彼女の無表情を覗き込んでいる。
「魔剣メルトダウン……今はどうしてるのかな」
「わからない。けど恐らく、あの程度の傷ならそろそろ治癒するころ」
「また、誰かを狙うのかな」
「そうならないといい」
話しているうちに、グラファイトがふいに立ち止まった。辿り着いたのは地下へと繋がる階段だ。
「どうしたの?」
「メリーに、会いに行く」
あてもなくふらついているわけではなかったらしい。
昨日はアネクメネのこともあり、メリーの埋葬は行われなかった。彼女はまだここで眠っている。
グラファイトはそんな彼女の体をそっと抱き上げる。もう動かない少女を連れて、どこへ行こうと言うのだろう。
「どうしたの?」
「私は、方法を探しに行く。メリーを治す」
「無理だよそんなの、だってメリーはもう」
「……そんなことはわかってる。でも、だからって、冷たい部屋の中や暗い土の中には置いておけない」
そういうグラファイトの瞳に光はなく、メリーへの未練と執着ばかりが残っているみたいだった。
引き止めようとしても、きっと無駄だ。彼女は出ていってしまうだろう。また私の傍らから誰かがいなくなってしまう。
けれど、グラファイトの心の傷を埋められる余裕も強さも、今の私にないことは事実だった。
「また、いつか。メリーと一緒に、会いに来るから」
頷いて、約束だよと精一杯微笑んだ。でもぎこちなくて、グラファイトも笑みは見せてくれなかった。
いくら剣霊が魔法じみた力を宿しているとしても、死人を連れ戻すなんて力、あるのだろうか。
そんな力があったら、世界はもっと違った形に変わってしまっているのではないだろうか。
叶わない約束を交わし、グラファイトはメリーを抱えたまま去っていく。地下室から階段を上り、屋敷の外まで彼女を見送る。
朝日はまだ低く、あたりは薄暗い。道を歩く少女たちは、光に照らされていない。
けれど、だんだんその姿は小さくなって、見えなくなってしまった。
◇
聖母を描いた絵画が飾られ、光が差し込み、神秘的な雰囲気を醸し出す教会にて。剣霊の少女たちは再び集い、各々の思惑を内に秘めながら佇んでいた。
黙って腕を組むメルトダウン。
落ち着かない様子であたりを見回すリカーレンス。
無表情な聖歌隊を連れたスイートハート。
そして、朗読台に意味ありげな笑みを浮かべて現れるオムニサイド。
「はいはいみんな、注目やで〜」
最初に口を開いたのはオムニサイドだった。ぴょんぴょん跳ねてツインテールを揺らし、小さな身体で精一杯目立とうとしている。
ぼんやりと正面をずっと見ている聖歌隊を除いた三人の視線が彼女に集まり、それで話は始まった。
「今回もまた殉職のご報告なんやけど、同胞が食われました」
「残念だったなあ、アネクメネちゃん。恋人になってくれると思ったのに」
「スイートハートは目ぇ付けてたんやったな。せっかくやったのに、不運やねぇ」
スイートハートは涙など流れていないのに拭う仕草をみせ、その様はメルトダウンには少し不愉快だった。
今回食われたアネクメネという剣霊は、助けたはずのメリーメオンを殺した相手だ。
剣霊の幸福を願うメルトダウンにとって彼女を恨むことはしたくないが、彼女のしたことは少なくとも気分のいいものじゃなかった。
だからといって、その死を悲しまないわけはない。剣霊の味方で居続けるには、剣霊喰いは排除しなければならない。それは変わらない。
だが、あの時殺した騎士の持っていた写真に映る、メリーメオンの傍らの紅の髪の少女。
剣霊喰いの正体が彼女ならば、メリーメオンに免じて、少しの間は見逃してやろうか。
そんなことを考えていると、リカーレンスが挙手しながら話し始めた。
「あ、あの……アネクメネさんって、その、金髪でくるくるツインテールで、短剣の」
「そやで。なんや、リカちゃん知り合いかいな」
「い、いえ、目の前で、その、人を殺しているのを見てしまっただけで。これであの子が安心して天国に行けるのなら……よかったの、かな」
リカーレンスがひとり呟き、安心したように胸を撫で下ろす。失禁するほどのショックを受けた出来事だったのだから、こうして決着がつきほっとしたのだろう。
しかし、オムニサイドは安心する彼女に顔を近づけ、その態度が気に入らなそうにする。
「なぁリカちゃん。あんた、人間に肩入れしていい剣霊やあらへんやろ。あんたは特異剣や、お母様に習わんかったんか?」
「な、習い、ました」
「じゃあうちらが人間をどう思うべきかも知っとるよなあ?」
「……う、よ、よく、わかんないです」
オムニサイドは人間が嫌いだ。皆殺しにするためにこんなふうに特異剣を集めて協力者を募るくらいには、人間を恨んでいる。彼女は剣霊の味方ではなく、ただ人間の敵だ。
そんな彼女への返答が煮え切らないものであれば、面倒くさい絡み方をされるに決まっていた。
「決めたわ。うちのところで教育やで、ものわかりのいいお子さんにしてからお母様のとこに帰したるわ」
「えっ、な、なにされるんですか!? こ、こわいです、痛くしないでください……」
ただでさえリカーレンスは気が小さいしすぐに泣く。メルトダウンは割って入って止めようと考えたが、スイートハートに掴まれた。
「彼氏面しないの。預かり中の子猫ちゃんなんだから、みんなのものでしょ?」
「煩い……お前も恋人にしようとしてたくせに」
考え直してみれば、メルトダウンがわざわざリカーレンスを助けてやる必要性はない。オムニサイドも預かっている少女をそう邪険に扱えはしないだろう。
メルトダウンは引き下がり、教会からさっさと出ていこうとする。
「私は私で勝手にやらせてもらう。邪魔はするな」
「せぇへんよ、人間の味方にでもならん限りはなぁ」
オムニサイドの信用出来ないにんまりとした笑いに不快感を覚えながら、赤絨毯を踏みしめてさっさと歩いていく。
「あ〜あ、行っちゃった。じゃあわたしも好きにするね。次の恋人候補は決まってるんだ!」
聖歌隊を引き連れ、スイートハートも教会をあとにする。メルトダウンが振り向くと、聖歌隊の向こうに見える小さなリカーレンスの影が、寂しそうにしているのが目に映った。
「……知らない。あんな煩い奴、私に関係ない」
見て見ぬふりをして、自分に言い聞かせる言葉を呟いて、彼女はもう振り返ろうとはしなかった。
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