第17話『アネクメネ』
刃を手にしたアネクメネの体から吹雪と砂嵐が吹き荒れる。巨大な氷柱と砂の山が形作られ、あたりの風景が作り替えられていく。
これが『不毛』の力を持つアネクメネの能力であるらしい。このままだと、私たちの住む町は砂に沈んだ村の二の舞になる。
「ねえっ、やめてよ、アニー!」
私が必死に呼びかけても、風にかき消されて聴こえない。それどころか、私に向かって氷の塊が飛来し、頬をかすめて皮膚が裂かれた。
砂で霞む視界に映るアネクメネは、涙を流しながら、私へと切っ先を向けている。
「突っ立ってたら死ぬ。戦うしか、ない」
「でも相手は」
「あそこにいるのはメリーを殺した特異剣。もう、エヴァの相棒じゃない」
グラファイトは手を引っ張り、私を抱き寄せてくれる。氷塊のいくつかはさっきまで私が立っていた場所を通り過ぎ、砂の中へ見えなくなっていった。
「エヴァ。私を引き抜いて。力を貸して」
話している間にも氷は飛来する。確かに私たちを狙って。
吹きすさぶ風もアネクメネの叫びみたいで、それを止めるには、きっと彼女を倒すしかない。
「……わかった。グラファイト、お願い」
「ありがとう」
礼とともに、彼女の身体に触れる感覚が変化した。少女の柔らかな感触でなく、剣の柄の硬い質感。しっかりと握りしめ、そのまま引き抜いた。
メリーの振るっていた黒い長剣。見た目よりもずっと軽く、鈍く輝く刃。
私はグラファイトを構え、アネクメネを見据えた。
「ごめんね」
風に消えるつぶやきと共に、砂嵐へと飛び込んでいく。
視界は悪い、けれど集中すれば見えないほどじゃない。飛来する氷をかわし、アネクメネへと一気に距離を詰める。
彼女は驚きの顔を見せながらも、振り下ろしたグラファイトの刃を峰で受け止めた。
「なによ。あたしなんていらないんじゃない。ねえ、あたしってなんなのよ。あたしは剣霊、あんたの剣霊なのに」
その泣き腫らした目に光は宿っていない。狂ったままで、彼女は砂を操り、巨大な腕を作り出した。
脱出のために脚に力をこめ、うまく飛べなかった。砂に足を取られている。
私の体が掴まれた。彼女は私を握り潰そうとしているのだ。硬化の鎧を展開して耐え、もがき、なんとか振り払う。
抜け出して体勢を建て直し、グラファイトを握り直した。
『エヴァ、迷ってる』
指摘されてあらためて意識する。迷うな。敵に同情するな。そうして陵辱され飢えて果てるのはこちらなのだと、私の中の依刃が叫んでいる。
奥歯を強く噛み締めた。足場は砂、彼女の配下だ。神経を全方位に研ぎ澄ますのだと自分に言い聞かせ、再び斬り掛かる。
踏み込んで、上段から振り下ろす。今度は避けられた。すぐさま横へ振り、剣先で逸らされ、私の体勢が崩れる。
アネクメネは鋭い氷の弾丸を形成し追撃とし、展開される炭素の壁が氷をはじく。
反撃はその壁ごと貫く突きだ。予想外の一撃に回避が遅れ、腹部に大きな傷を負わせる。
アネクメネを傷つける感触が手に伝わってくる。彼女の血が流れ、砂を染める。だが感覚のもたらす躊躇いは振り払わなければならない。
首を振るかわりに横薙ぎに振るった剣はアネクメネではなく地面から生えた氷柱を打ち砕いた。破片たちが動き出し、砂の塊とともに私を狙って飛来する。
『エヴァ、飛んで』
グラファイトの声を信じ、地面を蹴った。そのまま階段を上るようにして脚を動かすと、蹴る瞬間に硬化が発動し、足場となってくれる。
そのまま駆け上がって、私は上空からグラファイトを思いっきり叩きつける。アネクメネが防御のために作る砂混じりの氷を破壊し、その向こうにいる彼女へと刃を届かせる。
少女の頭蓋骨が割れ、肌と金髪を血の赤が汚す。傷口はすぐに凍りついて強引に止血されるが、血と涙の流れた跡が痛々しい。
彼女はふらつき、砂の上に倒れ伏した。
「なんでよ……なんで、なんでわかってくれないのよ」
少女とともに泣き叫んでいた風が止む。砂が晴れ、残るのは淋しそうな彼女自身だけ。
私は口の端から溢れた唾液を拭い、長剣を手から離した。止めるグラファイトには大丈夫の一言だけを返して、アネクメネの傍らに屈んだ。
「アニー、教えて。前の主となにがあったのか」
「……あたしは──」
◇
剣霊、アネクメネは気がついたら捨てられていた。刀工が自分を打ったあと、失敗作と断じて適当な場所に放り投げでもしたのだろう。
自分でも仕方の無いことだと思った。
自らの大元にある理が『不毛』、即ち人の住む土地から人間を排除する力なのだ。まともな人間なら、こんな剣霊が必要なわけが無い。
でも、ふらふらと彷徨ううちに、普通じゃない人間に出会った。砂漠と凍土であるあたしにも太陽みたいに笑ってくれる女の子。
ちょうど剣霊を与えられる年齢だった彼女は、道端で偶然拾ったあたしを相棒に誘った。誰かに求められたことなんてなくて、あたしもそれを受け入れた。
それから、一緒に幸せに暮らしていたんだ。
小さな村だから、全員が顔見知りみたいなもので、みんなが仲良しだった。ライカンスロープみたいな剣霊の友達もいたし、そんな日々がいつまでも続いていくんだって勝手に思ってたんだ。
でも違った。
あの日、村に魔剣が現れたんだ。
本当に魔剣だったかはわからない。子供たちが次々と失踪して、中には切り裂かれた死体になって見つかった子もいる。なにかのせいにしないと、心がもたなかったのかもしれない。
そうして、大人たちの疑いの目は、新参者のあたしに向いた。あたしが犯人だと言って、追い出そうとした。
それまではよかったんだ。不安になる気持ちもわかるし、あたしなんて何の利益ももたらさないって知ってたから。
でも相棒のあの子は食い下がった。あたしじゃないと言い張って、大人に向かっていって、あたしを庇って。
その結果、彼女も殺されることになった。魔剣に魂を売った、そんな人間は火にかけて焼いてしまえ、と。
だから砂に沈めた。あんな奴ら、死んでしまえばいい。あの子を殺そうとした大人も、あの子を助けなかった子供も、みんなみんな、いなくなってしまえばいいのに。
そう強く思った時、あたしはあたし自身から刃を引き抜けることに気がついた。あたしが自分の使い手になって、あの子の代わりに敵を殺せばいいんだって。
そして、処刑が行われる日、あの村は地図から消えた。
今でもあの時の気持ちが嘘偽りだったとは思えない。メリーを手にかけたときだって、主を傷つけるんだから、仕方のないことだって押し殺した。
なのに。エヴァもグラファイトも、どうしてあたしのことをそんな目で見るの?
あんたのためにやったんじゃないなんて嘘、もう言わないわ。だから、あたしのやったことを褒めてくれたって、いいはずなのに。
どうか、誰か──友達を手にかけるなんてつらかったでしょうって、あたしを慰めてよ。
◇
──アネクメネが語ったことに、言葉を失った。話したがらなかった前の主との別れ。そして、特異剣となったわけを聞き、私は心の中で抱いた感情を整理しなければならなかった。
同情する気持ち、許せない気持ち。メリーのことを想う気持ち、アネクメネを想う気持ち。そして、湧き上がる食欲。
私の中で渦を巻いて、ただ呆然と、少女の顔を眺めているばかりだった。
代わりに、少女の姿に戻ったグラファイトが歩み寄って問いかける。
「……どうして、メルトダウンに襲われたなんて嘘をついた?」
「言えるはずないじゃない。あたしがこの子を殺したのよ、って」
「ふざけるな。だったらどうして殺した」
「決まってるじゃない、エヴァを傷つけたからよ」
「お前はそうじゃないと言えるのか。今だって、エヴァを傷つけようとした」
「……ッ、や、やめてよ、だってあたしは」
グラファイトは言葉を止めさせるように、彼女の頬を叩いた。
「間違ってない? 悪くない? そんなわけが……あってたまるか」
このままだと、また斬り合いになる。そう感じた私は呼吸を整え、ふたりの間に入った。そっとアネクメネを抱きしめ、覚悟を決める。
「エヴァ?」
「ごめんね。アニーのこと、わかってあげられなくて」
彼女の表情は明るくなって、私はその額にキスをする。血の流れた跡は煮詰めた果実のように甘かった。
「エヴァはわかってくれるのね。そうよね、だって、あたしはなにも」
「もうひとつ、ごめんね。これ以上あなたを放っておけないから」
「えっ?」
アネクメネの首筋に歯を立てた。抵抗はない。戸惑っているばかりだ。そのまま、柔肌を剣霊喰いの牙が突き破り、傷ついた首からは冷たい血が噴き出して、私の舌を楽しませる。
「いっ、いたい、いたいわ、やめて! な、なんでよ、受け入れて、くれるんじゃ」
アネクメネのことも大切だった。
メリーのことも、大切だった。
普通の食事では腹を満たせない私を、二人とも心配して、自分が出来る限りのお世話をしてくれた。
けれど、アネクメネはメリーを奪っていった。きっとこれからできる大事なものも、彼女は奪っていく。
なら、私にできることは、特異剣でたる彼女を食べて、止めることだ。
アネクメネの傷が広がり、血が滴っていくにつれ、彼女が手にした短剣にもヒビが入っていく。
「そ、そんなっ、はなして、はなしてよっ! あたしは、ずっと、あんたのために尽くすわっ、だから、傍にいさせてよ、ねぇ……」
血を吐きながら、必死の抵抗が続く。氷柱が私に突き刺さり、砂でできた手が私を引き剥がそうとする。
だが肉片を飲み下せば傷は塞がり、血液を吸い上げれば剣霊の力は不安定になり、氷柱も砂の腕も意味をなさなかった。
やがて、悲痛な叫びも終わりを迎える。歯が脊椎に達して、力をこめてぱきりと噛み砕くと、彼女の愛らしい首がだらんと垂れた。同時に短剣が砕けて、アネクメネはひときわ大きく痙攣すると動かなくなった。
あたりの気候は本来の暖かさを取り戻していき、砂も光の粒になってどこかへ消えていく。
「……おやすみ。アニー」
一言呟いた私は、再び少女の残骸に歯を立てた。
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