第8話『イエス・マイ・ソード』
突然逃げていってしまったアネクメネを追いかけて、私たちも屋敷を飛び出した。私とメリーとグラファイト、三人並んで、今まさに彼女がどこへ行ったか話し合いながら走っている。
「どこまで行ったのかな」
「アニーはこっち来たばっかり。詳しくないから、どこ行ってもおかしくない」
「きっと寂しい思いしてるだろうな、早く見つけてあげよう!」
感情のままに飛び出していってしまい、ふと我に返った時にはどこに立っているかわからない。そんな状況になったら心細い。壊滅した村で寂しく泣いていたアネクメネだからなおさらだ。
では彼女の捜索のために、まずは居場所を突き止めよう。真っ先に聞き込みをはじめる。付近の住民に、金髪のツインテールで赤い服の女の子を見なかったかと訊ねていくのだ。
すると、走っていくのを見かけたという人が現れ、その目撃情報に従って進んでいった先でまた聞き込みを開始する。
親があれだけ盛大なパーティーを開いてくれていたこともあり、この街の人々はみんな私の顔見知りのようなものだ。みんな真面目に答えてくれる。
メリーはやはり人を怖がって私の後ろに隠れていたが、アネクメネのことは心配しているみたいで、なんとか話せるように努力していた。
声が小さく聞き返され、毎度のようにグラファイトが代わりに答えていたが。
そうして聞き込みを繰り返し、私たちはついにアネクメネを発見する。彼女は路地裏でうずくまり、ひとりでぶつぶつと何かを呟き続けている。
また、周囲の空気は異様なまでに冷たい。
静まり返った路地に呟く声が響き、私たちにも聴こえてくる。ため息をついて、自分になにかを言い聞かせている。
「あたしにはもうあの子はいない。えぇ、いないのよ。エヴァを代わりにしようったって……あの子には元から居場所があるじゃない。わかってるはずよ。あたしはいきなり来たばかりの部外者で、あの子たちにはあの子たちの日常があるの。なのに嫉妬して、飛び出してなんか……馬鹿じゃないの、あたし」
ネガティブな思考が全部口に出ているのだろう。そんな彼女の方へ、肌を刺す冷たい空気の中を私は歩いていく。
「ねえ、アニー」
「ひっ!? な、なんだエヴァじゃない……って、なんでここにいるのよ!?」
「追いかけてきたから」
「……どこから聞いてたの?」
「あたしにはもうあの子は……ってあたり」
ついさっきではあるのだが、それでも呟きを聞かれていたことはアネクメネにとって重大だったようだ。悲しそうに一度だけ、そう、と頷き、黙りこくってしまう。
「ねえ。アニーの前の主さんって、どんな人だったの?」
うずくまる彼女の前に屈み、視線を合わせた。初めてあった時よりも、その瞳は弱々しい。
「ごめんね、嫌なこと思い出させちゃうかな。話したくないなら話さなくてもいいから」
アネクメネは視線を逸らし、躊躇っている様子だった。私は冷たい空気に少し身を震わせながら、空を見上げて彼女の答えを待つ。
「……まだ、無理。ごめんなさい」
次に聴こえた言葉は、なんとか絞り出したか細い涙声だった。謝ることじゃない、むしろ謝るのは自分だと、うずくまる少女の背中をさする。
そんな時だった。後方から、メリーの声が響いてきたのは。
「グラファイトッ!」
次の瞬間、褐色少女の身体から漆黒の長剣が引き抜かれ、衝撃を受け止める。それは剣となったグラファイトと競り合う力を持った攻撃だった。
相手は二人。一人は白いローブを身につけた少年で、もう一方は獣の耳と尾が生えた少女だ。そのうち少女の方が鋭く伸びた爪でメリーに襲いかかっている。彼女は剣霊なのだろうか。
「邪魔をするな……!」
「するよ! エヴァちゃんとアニーが大事な話をしてるんだ!」
少女はメリーの言葉に不快そうな顔をし、後方へ跳び少年の傍らに立った。彼女が剣霊だとしたら、使い手は彼か。
少女の鋭い眼はメリーを自分たちの敵だと認識している。外敵を排除する獣の眼だった。だがその視線も、アネクメネを見つけた途端により憎悪を含んだものとなる。
「あんなことがあったのによく他の人間と一緒にいられるな、アネクメネ」
「ライカンスロープ……なんであんたがここに」
「お前を探していたんだよ。ずっと、あの日から」
ライカンスロープと呼ばれた剣霊と、アネクメネは知り合いであるようだ。おおかた、彼女が以前暮らしていた村での関係者か。あの瞳は獣であると同時に復讐者のものであり、獲物を狙っている。
その視線に割り込んだのはメリーだ。私たちのところに辿り着かせまいと立ちはだかって、グラファイトのことを構えている。
ライカンスロープとメリーは睨み合い、やがてライカンスロープが動く。少年を小突き、自らを引き抜かせるのだ。獣耳と尻尾の姿は光となって消えていき、
直後、今までぼうっと突っ立っていただけの少年が動き出した。邪魔者のメリーを標的として、連続で爪を振り下ろす。
受け止めているグラファイトの刀身に傷はつけられていない。だが気を抜けば弾き飛ばされ、今度はメリーが爪の餌食となる番だろう。
うまく力のこもらない手首で、どうにか耐え忍んでいる。
「アニー、あの子は!?」
「え……あ、えっと、ライカンスロープは『爪牙』の剣霊よ。あたしが前の村で友達だったの。でも、あの時に村は……」
呆然としていたアネクメネは、私に声をかけられて我に返り、話してくれる。彼女が見つかったのは確か、一夜にして砂に埋もれて住民が全滅したという村だったか。
『あぁそうだ。私たちは友達だった。村の子供たちはみんな仲良しだったからな。なのに、その女はッ!』
メリーがライカンスロープの猛攻に耐えていられなくなり、弾き飛ばされた。さらに爪の追撃がメリーに向かっていき、グラファイトが咄嗟に展開した炭素の盾に止められる。
しかし、少年はそれだけで止まるつもりはないらしい。メリー目掛けて飛びかかっていくのを見て、私は思わず駆け出した。
『アネクメネなんかに味方したお前が悪いんだ』
あれがライカンスロープの持つ『爪牙』の力なのだろう。鉤爪をつけていなかった側の腕が変形し、筋肉が盛り上がり、人の域を越えて発達した爪が凶器としてメリーを狙う。
態勢の崩れたメリーの防御は間に合わない。彼女は思わず目をつむっていた。
そして、爪が振り下ろされた。駆け出していた私は飛び込んでメリーをかばい、背中に攻撃を受ける。布を容易く千切り、肉を抉っていく一撃が、焼けるような痛みを与えてくる。
「エヴァちゃん!? だ、大丈夫?」
痛みを堪えるので精一杯で、私はメリーの言葉に答えられなかった。前世で猫に引っかかれたときの何倍痛いだろう。
なんて考えている間もなく、少年は再び私たちに狙いを定めてくる。
先程、万全ではないメリーには彼の攻撃を止めきれなかった。このまま戦っても勝ち目がない。
残った選択肢は──私がアネクメネを引き抜くことだ。
そう考えて送った私のアイコンタクトに、アネクメネは目を逸らして答えとした。まだ、私はそうしたくないと。
『どうした……戦わないのか、アネクメネ。戦わないのなら……仲間が死ぬだけだ。あの日、お前がそうしたように』
ライカンスロープは私たちを先に殺してしまおうと、もう一度腕を振り下ろした。一度目はグラファイトが出した硬化の盾が弾いてくれ、二度目はふたりで地面を転がり緊急脱出に成功する。
だが、少年の追跡は私たちが走るよりも速かった。メリーが何度か食い止めて時間を稼いだが、路地から脱出するには至らない。袋小路に追い詰められただけだ。
「力を貸して、アニー」
「駄目よ、だって、そんなことしたらまた……!」
「話の通じる相手じゃない。事情がどうだったとしても、ぶちのめした後で聞くよ」
今の彼女はアネクメネを傷つけることに囚われている。使い手の少年は操り人形のようにただ攻撃を繰り出すのみで、彼らに話し合いを持ちかけても、こちらの傷が増えるだけだ。
──何よりも死にたくない。死ぬのが怖くて、逃げ出す手段が欲しい。背中の痛みが伝えてくる。自分が踏みにじられて、抗いようのない暴力に晒されるのはもう嫌だ。
私はアネクメネに向かって手を差し出した。彼女の瞳を見つめた。
「後悔したって知らないんだからね」
「今ここで死んだ方が後悔するよ」
差し伸べた手に、冷たくて柔らかい彼女の手が触れた。そしてその手から、刃が姿を現す。峰が櫛状となった短剣である。
引き抜いた瞬間、アネクメネの身体が光に包まれ武器に吸い込まれていくのと同時に、あたりに立ち込めていた冷気はさらに冷たく吹き荒れた。
寒い、とメリーが呟く。その通りだ。
『あたしの力は氷の力よ。うまく使ってみせなさい』
剣霊を手にした使い手は、相手と感覚を同調させる。二人分の知覚と思考による情報、そして彼女が持つ力の使い方が神経を通して伝わってくる。
私はアネクメネを構え、敵を見据えた。
少年が動き出す。接近のために踏み込んでくる。
その瞬間に私がアネクメネを振るい、切っ先が通った軌跡に氷柱が現れた。
彼の足元に向かって氷柱の弾丸が撃ち出され、脚を貫くが、筋肉を肥大化させて強引に傷を塞いで迫ってくる。
まず振り下ろされる腕を跳んで避け、続く鉤爪をアネクメネの峰で受け止めた。
櫛状になっているのは、剣を噛ませて受け止めるためである。武器形態となっているライカンスロープが受け止められて、慌てて引こうとする瞬間に氷塊が撃ち込まれる。
肘の内側に突き刺さった氷が急激に筋肉を凍結させ、膨張を止め、脱力させる。武器を取り落とさせるまでは至らずとも、戦力は削いだはず。
私はさらに懐へと潜り込んで、思いっきりお腹を蹴り飛ばした。幼い少女の力ゆえに派手に吹っ飛んだりはしなくとも、バランスを崩して倒れかけてくれれば十分だ。
彼が体を支えるために片足を後ろに出した。その瞬間にアネクメネの力を使って冷気を集め、さらに温度を下げ、少年の脚を巻き込んで一気に凍らせる。
直後、私は大きく飛び上がり、上空からアネクメネを突き立てた。腕で防御され突き刺さるが、そこから血液を凍結させていく。
少年は相変わらず表情もないが、生命の危機は認識しているらしく、私を振り払った。アネクメネが引き抜かれ、私は大きく吹っ飛ばされていく。
だがただ飛ばされているだけじゃない。その最中に氷を使い、少年の足元から腰までを凍結に閉じ込めていく。
脚の拘束を砕けていなかったゆえに対応しきれず、彼はそのまま半身を氷塊に封じられる。
少年の体温も失われつつあり、動きが鈍く、この氷塊からの脱出も自力では不可能そうだ。
『ふざけるな……私は、お前に全部を奪われたんだ……なのにどうしてお前は……!』
だがライカンスロープの敵意は変わらなかった。武器形態から少女形態へと瞬時に戻り、まだ爪を振るうつもりだ。
だが、引き抜かれていない剣霊の力は小さくなる。私は彼女の爪を峰で受け止めて、捻ってしまうことでへし折ることすら可能だった。
爪が折られ、支えがなくなったことで前方へ倒れ込むライカンスロープ。驚きと憤りに満ちた表情で私たちを見て、再び立ち上がろうとしたが、アネクメネが先んじて氷の弾丸を放って牽制する。
ライカンスロープはそれで反抗の意思を弱めたのか、視線は地面に移っていった。
「ライカンスロープ。あたしにはあんたが間違ってるなんて言えないわ。勿論自分が正しいと言い張れるわけもない。
でもね。あたしだって……好きで全部失ったわけじゃないんだから」
アネクメネはそういって少女形態に戻ると、少年を拘束していた氷を解除した。私はメリーに肩を貸して、視線を落としたままのライカンスロープの横を通り過ぎていく。追いかけては来ない。少年もまた、なにかをぶつぶつと呟き続けるだけだった。
勝利の喜びなんてものが湧き上がることはなく、私は思い出したように背中が傷む。
今のうちにこの傷の言い訳を考えておかないと。なんて言われるだろうか。
凍てつく路地裏の空気を抜けて、いつもの暖かさの中に、私たちは戻っていった。
今度は、アネクメネも一緒に。
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