第7話『モーニング・ウィズ・フレンド』
私の誕生日は盛大に祝われた。大勢の領民たちによる誕生日の歌の合唱は気恥ずかしく、早く終わらないかなと思っていた。
しかし日が落ちて早々に大人が酒を酌み交わしはじめ、もはや主役であるはずの私そっちのけのお祭り騒ぎと化した。終わる気配はなく、巻き込まれるのも嫌だったので、絡んでくる酔っ払いにも令嬢らしく微笑んでだけいたのだった。
それを見かねた父は、これはこれで別途開催のイベントだということにして、私たちを家に帰してくれた。
もう今日やることはなく、あとは眠って明日になるだけだ。
私はいつの間にかもうひとつベッドが設置されていた自室に戻り、自分のものに腰掛けた。一方で、アネクメネさきょろきょろとあたりを見回し、初めての環境に戸惑っている様子だ。
「それ、アニーのベッドだよ」
私に言われてやっと、新しい方のベッドに座る彼女。布団を触り、ふかふかだわ、と小声で感想をこぼしていた。
「……ここからはあたしの領域だから。入らないでよね」
一通り手触りを楽しんだあと、彼女は手で線を引いた。要はあたしのベッドは使うな、ということらしい。今日からこの部屋に新しく住まう者の言葉ではないが、私も他人のベッドを使う趣味はない。頷く。
日はとうに落ち、夜は薄暗いろうそくの火しかない。自然に欠伸が出てきて、私は寝転がった。アネクメネがろうそくの火を吹き消してくれたので、安心して布団を被る。
「おやすみ、アニー」
「……ん。お休みなさい」
目を閉じて考えることは、まずこれからどうするかだ。
まず自分の身体について知らなければならないだろう。
たぶん、私は剣霊喰いだ。今のところ口にして美味しかったものは特異剣だけで、どんな食べ物も、人間の血でもなにも感じなかったのだから。
だとすると、剣霊喰いについて詳しく書いてある本を手に入れるか。あるいは、その本の著者である先生に会いにいくかだ。
その人は剣霊学校に勤めていると父が言っていた。また学校に通うのも悪くは無いだろう。
依刃に、学校に関して嫌な思い出があるわけでもない。
──本当にそうか?
少しだけ自分の前世の記憶を疑ったが、やめた。自分がどうやって死んだか鮮明に思い出すなんて、気分が悪くなるだけだ。
私はなんとなく付きまとう嫌な感覚を忘れるためぶんぶん首を振り、気持ちを入れ替えた。
女子高生になった自分やメリーを妄想してみたり、剣霊学校がどんなものか想像していると、いつの間にか私の意識は闇の中に落ちていた。
◇
「起きなさい。それともそのまま一生寝ているつもりかしら」
目が覚めて最初に聴こえたのは、そんなツンツンした一言だった。こすりながら目を開き、視界に赤い衣装と金髪のツインテールが映る。
ここで、声がアネクメネのものだとやっと認識した。
「……おはよう、アニー」
「はいはい、おはよう。まったくもう、とっくに日は昇ってるのよ?」
私の部屋に時計がないため今すぐ時刻は特定できないが、明らかにいつもの起床時間よりも薄暗い。アネクメネが言うような寝坊ではないと思う。
しかし一度起こされてしまっては二度寝できない。仕方なく上体を起こし、布団から抜け出た。
「着替えるわよ。ほら、手を上げなさい」
言われるがままにパジャマを脱がされ、普段の部屋着を着せられて、髪型がいつもの二つ結びに整えられる。
……あれ? これって使用人の仕事では?
ちょっと目が冴えてきて、思考が回るようになってくると、やたらとアネクメネが身の回りの世話を焼いてきている気がした。朝の支度をしてくれるメイドもまだ来ていないのに、ふだんの格好が完成する。
「……ありがと、アニー」
「なっ、べ、別にあんたのためなんかじゃないわ! あたしの主なんだからしっかりした格好でいてもらわないと困るってだけよ!」
慌てて否定してはいるものの、意外と世話焼きな子なのかもしれない。彼女は私と顔を合わせてくれずに部屋から出ていき、私もそれについていく。
朝早いため、使用人ともあまりすれ違わない。出会った相手には、お嬢様今日はお早いですねと挨拶されたので、アネクメネのおかげだと答えた。
それからアネクメネは、なぜか私のぶんの朝食を作り始める。食卓に座らされ、そのまま黙って、料理長と話し合いつつ調理に取り掛かり始める彼女の姿を眺めていた。
「ほら、できたわよ。どうかしら?」
運ばれてきたのはパンと野菜のスープだった。美味しそうな香りを漂わせているだけに、味覚がないのが悔やまれる。
まずはパンをかじってみた。やはり味がない。バターの匂いがするのみで、あとは小麦の塊を口に含んでいるに過ぎなかった。咀嚼もほどほどにして、喉奥へ流し込んでしまう。
続けてスープを一口飲んでみて、想像以上に熱くて驚き、また味付けでも驚いた。こちらの世界で目覚めてから初めて、食卓に並んだもので味覚が反応したのである。
かすかなものだったが、それは野菜のスープとしては不自然なほどの甘味であり、砂糖で煮詰めた果実みたいだ。
香り付けにいろいろ施しているみたいだが、私の味覚はその甘味ばかりを伝えてくる。
私が目を丸くしているのを見て心配になったのか、アネクメネはこちらを覗き込んで、申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「……味がわからなくても飲みやすいようにいろいろ頑張ったんだけど、やっぱり駄目だったかしら」
テーブルについた彼女の手には、小さな切り傷があった。調理中に怪我をしたのだろうか。
「ううん、美味しいよ。アニーは指、大丈夫?」
「えっ? あ、このくらいなんてことないわ。あたしは剣霊だもの。そんなことはいいのよ、あんたが抵抗なく食べられたならそれでいいわ」
お世辞ではなく、あの甘美が舌をくすぐる感覚はエコロケイトの身体を貪ったとき以来である。アネクメネの血だろうか?
私の言葉はお世辞ではない。パンを腹の中に押し込み、スープを飲み干して、腹は満たされなくとも心は潤った。
「ごちそうさま。嬉しいな、わざわざご飯まで作ってもらっちゃって」
「べ、別にあんたのためじゃないもの!」
味がわからなくても飲みやすいように頑張ったとさっき自分で言っていたのに、素直に言えないみたいだ。
とはいえ、身支度にしても、今度のスープにしても、アネクメネは十分すぎるくらいに尽くしてくれている。彼女が素直になれないなら、私が思ったままのことを言おう。
「アニーはいいお嫁さんになりそうだね」
「剣霊は結婚しないわよ。代わりに使い手と一生添い遂げるから、そっちが伴侶みたいなものね。あたしにとってはあんたになる……け、ど……」
言葉の途中で、それがもう自分達は結婚してるようなものだと言っているにも等しいことを理解したみたいで、彼女の声はしり切れとんぼになった。
みるみるうちに頬が紅潮して、そのあとの会話は続かない。それからしばらくの間、あたりに気まずさと沈黙が立ち込めていた。
その沈黙を破ったのは、爽やかな汗をハンカチで拭いながら現れたメリーとグラファイトだ。朝の走り込みを終えてきたらしく、稽古の時に使う動きやすい服を着用している。
「お腹、すいた」
「あ、エヴァちゃんとアニー。今日は朝早いんだね」
メリーはいつもこの時間トレーニングをしているんだという。素振りや剣術鍛錬は手首がまだ不安なため全力では行えないが、基礎体力は常に鍛えておきたいらしい。さすがは騎士の家系だ。
朝から元気なメリーはグラファイトとともに私の隣の椅子に座って、いつもの笑顔を振り撒く。
「よし、朝ごはんにしよっかな! エヴァちゃんはもうご飯食べたの?」
「うん。アニーが作ってくれて」
「そうなの!? すごいなあ、私もアニーの作るご飯食べてみたい!」
アネクメネはメリーの視線にも黙っている。メリーは首を傾げたが、一向にアネクメネからの反応がないので諦めたようだった。
「料理人さん! 私とグラファイトのぶん、お願いしまーす!」
「剣霊にもエネルギーは重要。食事はそのうちのいくらかを占めてる」
「あ、そうだエヴァちゃん。さっき八百屋のおじさんに聞いてきたんだけどさ、今度王子様の剣霊対面式やるんだって。ということは、エヴァちゃんと同い年だね!」
「そうだね。王子様のなら、もっと大きなパーティーをやるのかな」
「それ楽しそう。じゃあ、来年はエヴァちゃんのを負けないくらい盛り上げちゃおうか!」
「えぇ、もう充分だよ」
彼女の賑やかさはいつも通りだ。朝食が運ばれてくるのを待つ間、街の人々から集めてきた世間話なんかをたくさん聞かされる。
新しい情報を仕入れてくれるあたり、私にとっては新聞代わりといったところか。楽しそうに話す彼女に相槌を打ちながら、私は自分の食べ終わった食器を厨房に戻すことにした。
その時、机を叩く大きな音が響き、メリーの話も驚きに途切れた。
「……なによ。もう知らないわ」
アネクメネは拳を叩きつけたあと、私たちに背を向けて、屋敷から走って出ていってしまう。止める間もなく、呆然としているうちにすでに彼女の姿は見えない。
なにかが気に食わなかったのか。
ひとまず食器を使用人に渡して、私はぼんやり首を傾げていた。
「エヴァちゃん! 追いかけなきゃ!」
メリーに声をかけられてやっと気がついて、慌てて走り出した。
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