第6話『ハッピーバースデー・トゥ・ミー』

 私が記憶を取り戻して早七日。エコロケイトと戦ったあとの日々は、何事もなく過ぎていた。


 相変わらず、この世界の食事は味がしない。メリーの血を少しだけ舐めさせてもらっても鉄の味は感じられなかった。

 さらには試しにご飯を抜いてみたところ、それによる空腹は生まれなかった。この身体はエコロケイトから得たエネルギーだけで動いているのか、普通の食事は受け付けないみたいだ。


 怪我をしたうえに叱られたメリーは大人しく療養していて、私のところによく遊びに来ていた。幸い利き手に怪我をしていないため、日常生活に支障はなさそうだ。

 一方グラファイトはよくひとりで特訓していた。剣霊としての固有能力である『硬化』をうまく使うため、いろいろ試行錯誤しているらしい。メリーが安静にしているぶん代わりに、という意味合いもあるのだろう。


 そしてやってきた今日この日は、エヴァ・フォン・スペードル11歳の誕生日である。朝から両親も使用人も準備に奔走し、忙しそうにしていた。なんでも、領地の人々を集めて豪華なパーティを開催するとのことである。


 お昼になると、母やメリー、グラファイトとともに馬車に乗せられ、いつもの広場を通っていった。朝から大勢の人達がおり、馬車の窓から外を見ているだけでも皆恭しく挨拶をしてくれる。よく利用するお店の人の姿もあった。


 今の私は一帯の領主であるスペードル家の令嬢だ。それらしく手を振って応える。私の母もまた、小さく手を振りながら優しい微笑みを浮かべていた。

 ただし、私とグラファイトの間に挟まっていたメリーはより縮こまって、外から見えないように努めている。


「うふふ、エヴァとメリーちゃんを見ていると、ふたりのお父さんたちの若い頃を思い出すわ。メリーちゃんのお父さんも引っ込み思案でね」


「え……そ、そうなんですか?」


 メリーの父はいつも彼女に稽古をつけている。それを見る限りでは、厳しくていつもしかめっ面のおじさん剣士といった印象だったのだが、少年時代は気弱だったらしい。

 いや、だからこそ、気弱な娘に自分のことを思い出し、剣の稽古をつけているのかもしれない。


 なんて話をしながら、広場の真ん中に到着する。私たちが降りると、親と使用人に迎えられ、お誕生日特別席に案内される。この日のために奮発しただろう豪華料理が並んでいる。いい匂いだ。

 でも、私はこれを味わえない……そう思うと、なんだかとっても悲しくなった。


「では皆様! 本日は我らがスペードル家の一人娘、エヴァの11歳の誕生日! 盛大に祝いましょうぞ!」


 グラスを掲げ、そう宣言する我が父。親バカなのか、これがこちらの標準なのか。どっちにしても、歓声をあげる民も民で、私は愛されているなあという感じだ。

 それぞれが思い思いに祝福を表現し始め、豪勢な昼食が民にも振る舞われていく。もはやお祭りである。


 そんな騒がしくなる中、私はひとり父親に呼び出された。


「エヴァ。君は今日、11歳になった。ということは、剣霊の主になれる歳になったということだ」


 メリーから聞いていたとおり、私にも剣霊が与えられるらしい。

 それを楽しみにしていたのはどうやら私よりもメリーの方だったみたいだ。すごい、どんな子かな、仲良くできるかな、と喋り続けて落ち着きがない。


 その様に口元をゆるめながら、父は私の相棒となる少女を呼びつけた。


「出てきなさい」


 物陰から、女の子が姿を現した。

 剣霊には十代前半の少女の姿をとる者しかいないという例に漏れず、私たちと変わらない外見年齢だ。金髪のツインテールが可愛らしい。


 彼女はその気の強そうな碧眼に私たちを映し、早足でこちらにやってきた。


「ふぅん。あんたがあたしの主なの?」


「はじめまして。私はエヴァ・フォン・スペードル。よろしくね」


 まずはにこやかに。手を差し出して握手を求めてみる。だが彼女は応じる気などないらしく、品定めするように私を見つめる。

 エコロケイトのようないやらしい目ではなく、自分につり合うかどうか考えているのだろう。

 私は彼女の目を見つめ返した。視線が重なる。


「……ふん、まぁいいわ。

 あたしの名前は『アネクメネ』よ。

 よろしくなんて言ってあげないけど、あたしの主になるなら相応に頑張ってみせなさいよね」


 少女​──アネクメネはそう言って、私が差し出している手を握ることなく、食事のテーブルについた。なんだか少し気難しい子なのだろうか。


「どうか嫌わないであげてくれ。あの子は少し事情があるみたいなんだ」


 父曰く、彼女は壊滅した村でひとり泣いているところを、立ち寄った商人に保護されたんだとか。

 その村というのが、ついこの間、一夜にして砂に埋もれて砂漠と化したところだそうだ。

 いちおう私も、街の人が噂をしているところは聞いたことがあった。なにかの怒りに触れただの、魔剣の仕業だの、憶測が飛び交っていた。


 その唯一の生き残り、ということは、彼女のかつての生活はそこで崩壊してしまったのだ。


 私は自分の席につく。アネクメネは私の剣霊ゆえに、席は隣だ。彼女は自分で取り分けたパスタを巻くのに集中している。


「……なに、見てるのよ。面白いことでもあったかしら」


「いや。巻いて食べるんだな、って」


「巻いちゃだめだって言いたいの? 食べやすいし、こっちのほうが美味しいわ」


 そう言ってまた一口。かなり大きめだ。剣霊にも味覚があるのはグラファイトで知っていたが、こうも美味しそうに食べているアネクメネは少し羨ましい。


「あたしを見ててもお腹は膨れないでしょ。それより食べればいいじゃない、あんた主役でしょ」


「いいよ。私、味わかんないから」


「貴族の娘なのに庶民舌なの? 笑い話かしら」


 私は黙っておくか少し考え、口に出すのを躊躇った。だが彼女はこれから一緒に暮らす少女。こちらのことを知ってもらわなければ。


「私、味覚がなくて。匂いとかはわかるんだけど」


「……は? なによそれ。最悪じゃない、ご飯もおいしく食べられないとか。綺麗なくせに辛気臭い顔してるのはそのせいなのね」


 これは元々の顔つきなので関係ないと思うのだが。


「でもほら、食べなきゃ倒れちゃうわ。むしろ好き嫌いしなくてすむわね、ほら」


 アネクメネも見た目年齢相応の味覚なのか、皿に盛りつけられたピーマンとにんじんの群れが渡される。ただアネクメネの嫌いなものを押し付けられているだけのような気もする。

 試しにかじってみると、他よりも食感が心地いいぶんスナック感覚でいけそうだった。


「ふたりとも、意外と仲良さそう」


「私も最初は話しかけづらくて困っちゃったけど、仲良くなれたもん。エヴァちゃんなら大丈夫だと思ってたよ!」


「話しかけづらかった……のか、私」


「でもね、エヴァちゃんがパートナーなのはとっても喜んでいいよ! だってね、エヴァちゃんは​──」


 隣に賑やかなメリーとグラファイトが座り、いろいろと料理を取り分けつつ、アネクメネに話しかけはじめた。

 最初になぜか私を褒めちぎるところから入った。続けて、お料理おいしいねとか、剣霊使いの先輩としてアドバイスとか、ちょっと早口で話しかけ続ける。

 いつも他人を怖がるメリーだが、今回は例外らしい。彼女にとっては妹分が増えたも同然で、とても舞い上がっている。


「あ、あら、そうなの……で、だ、誰なのよこの子。エヴァ、あんたの妹とか?」


「い、妹!? どちらかといえばお姉ちゃんなんだからねっ!」


「幼馴染み兼護衛のメリーメオン。年上。親が主従関係で、そのまま私たちも一緒にいるの。そっちはメリーの剣霊で、グラファイト」


「よろしく、アネクメネ」


「よろしくね、アネクメネちゃん!

 あ、でも、アネクメネちゃんって呼びにくいよね。なにかないかな?」


 本人を置いてけぼりに、騒がしく喋るメリー。楽しそうである。一方でアネクメネもまた少し楽しくなってきたのか、表情に棘がなくなっていた。


「なんでもいいわ。好きに呼びなさい」


「じゃあ……エヴァちゃん、考えて! 相棒の愛称なんだから!」


 言い出しっぺはメリーだというのに全部ぶん投げられてしまった。それまでピーマンとにんじんを何の気なしに口に運び続けていたところだったので、そのままかじりながら考えてみる。

 アネクメネ、確かに少し言いづらい。文字数は長くないが、咄嗟に呼ぼうとしたら噛みそうだ。


「……アニー、とか?」


 確か、英語圏の愛称は最初の音節を取ったり最後を伸ばしたりするはず。そもそもここは英語圏ではなく、アネクメネが英語だという保証もない。

 そんな状況での発言だったが、意外にも本人は嫌がっていないみたいだ。


「アニー……えぇ、仕方ないわね、センスはないけどそれで呼ばれてあげるわ」


「じゃあ決まりだね、アニー!」


 さっそく使いたくなったのかメリーはひたすら連呼して、グラファイトはその様を見てむくれていたり、そのまま楽しく食事会が続く。


 私のもとにやってきた剣霊、アネクメネ。彼女ともなんとか、うまくやっていけそうではあった。

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