第3話『ガールズ・アドベンチャー』
私が依刃の記憶を取り戻してから数日。あれから親に頼んで夕食の量を増やしてもらい、毎度の食事で胃の限界まで食べるようにしても、私の渇きは消えることは無かった。
味覚が戻ることもなく、多すぎる食物を押し込んだ結果全部を吐き戻してしまい、しかし胃液の酸性すら舌が感知してくれない。
いつもならもっと美味しいはずのご飯は味がしなくて、でもお腹に入れないといけなくて、なんでもいいとかき込んでいた。
はじめのうちは両親も、よく食べるようになったなあとか、好き嫌いしなくなったなと褒めていてくれたけど、私の必死な形相と繰り返される嘔吐を見ているとそうも言わなくなってしまった。
昨日は私を診るため医者が来たが、よくわからないお祈りをしていくだけで、薬もなく原因も不明。それで快方に向かうはずもなく、どう考えてもヤブだった。
両親いわく、下級貴族では王室お抱えの医療系剣霊使いには手が届かないらしく、あれ以上は望めないという。
ふと鏡を見ると、明らかに目覚めた日と比べて不健康な姿になりつつある。このままでは、まるで虐待されているかのような痩せぎすになってしまう。
「だ、大丈夫? エヴァちゃん、最近様子がおかしいけど……」
「エヴァ、顔色、悪い」
メリーとグラファイトはとても心配してくれている。当然だろう、幼馴染みがある日を境にいきなり暴食と嘔吐を繰り返しながら衰弱していったら、誰でも心配になる。
正直に話すべきだろうか。
「え、エヴァちゃん! あ、あの、私じゃ頼りないかもしれないけど……辛い時には、話してほしいな。私の方がお姉ちゃんなんだし」
「メリーの言う通り。騎士はプリンセスに頼られるためにいる」
「ふたりとも……」
今は誰にだって縋りたい。相手が自分のことを思ってくれる幼馴染みなら、なおさらだ。
だが、医者を名乗る者でさえあのざまだ。私たちはまだなんの力もない女の子。それこそ祈るくらいしかできることはないであろうに。
「父上が言ってたの。この近くの森の奥には、貴重な薬草が生えてる場所があるって」
それならエヴァちゃんの病気もなんとかなるかも、というメリー。その薬草はさまざまな治療に使われるものだというが、この味覚の異変と飢餓に効くのかなんてわからない。
だが私たちにできるのがそれしかないなら、やるしかない。
「そこの森、入った奴が帰ってこないって話がある。魔剣の噂も忘れちゃいけない。
わかってるのか、メリー」
「わかってるよ。でも、大切なエヴァちゃんのためだもん」
「……ん。それが主の決定なら、私は従うのみ」
そうと決まればすぐにでも出発したいとふたりが準備をはじめ、私もまた部屋着から、比較的動きやすいものを選んで着替えた。
私は本当なら休んでいるべきだろう。でも、ここで繋がれたようにじっと待っているだけは嫌だ。暗く締め切られた部屋は私になにかを思い起こさせ、どうしようもなく逃げ出したい気分になる。
「森は遠くない。やばいものが近づいてきたら、まず私たちを置いて逃げろ。メリーは私の使い手だ、戦える」
衰弱した私が戦闘に居合わせても邪魔なだけだ。それは自分でもわかっている。せめて足手まといにならないよう、心の用意はしておかないと。
二度、両手で自分の頬をたたく。ぺちぺちと弱々しい音しかしないけれど、気合いはしっかり入っている。これは死なないための冒険なのだ。
◇
森の中にはたくさん木漏れ日が差していて、思ったよりも明るかった。時折コウモリが激しく羽ばたきながら飛び立って驚かされるが、危険な生物が現れる気配はない。
そんなのどかな森の中を、慎重に進んでいく。
メリーが周囲を警戒しながら先頭を歩き、グラファイトはそのすぐ隣、ふたりの後ろに私がついて歩いた。
奥へと進んでいっても木々の様子は変わらない。相変わらず生き物もコウモリばかり。木漏れ日さえも不気味に思え、不安になってくる。腹の虫が食事はまだかと私たちを急かす。
「……! ねぇグラファイト、あ、あれかな?」
突然声を上げたメリーが指さしたのは、木の根元にちょこんと生えた小さな葉っぱだ。私には他と見分けがつかないが、メリーとグラファイトには心当たりがあるらしい。
この木はコウモリの巣になっているらしく、うろに出入りしている個体がみられたが、根元の草を取るだけなら関係ないだろう。
そう思って、メリーが手を伸ばした瞬間だった。何匹ものコウモリが一斉に羽ばたき、彼女へと飛びかかってきたのだ。
咄嗟に後方へ跳ばなければその牙の餌食になっていたかもしれないメリーは、慌ててグラファイトを剣として引き抜き、身構える。
私は逃げられるように体勢を用意しておきながら、あたりを見回した。やがて声がして、その主が姿を現す。
「あらあら、ずいぶんと可愛らしい来客ですこと」
先程までコウモリ以外の気配などしていなかったはずなのに、いつの間にかそこには少女がいた。長い前髪で目元の隠れた、私たちとそう年の変わらない少女だ。
だが、気配が違う。人間のメリーとも、剣霊のグラファイトとも。
目の前の彼女は私たちを舐めまわすように眺め、今度は本当に舌なめずりをしてみせた。
「ふふっ、そろそろ新しいエサが欲しいなと思っていたところなの。感謝するわ、自分から来てくれちゃって」
コウモリの群れがざわめき、一斉に飛び去っていく。彼女は自らの胸元に手をやると、体内から槍を現出させて引き抜いた。柄はあまり長くない手槍であるが、それでも少女が持つには十分長い。
夜の闇にも似た深い群青の刃が木漏れ日を受け、鈍く光っていた。私はその光に涎を垂らしながら見惚れていて、ふと気がついたときには慌てて拭った。
『こいつ、自分で自分の身体を引き抜いて……!?』
「ま、まさか、噂の魔剣ってこのヒトのこと?」
私たちの言葉を聞き、目の前の彼女はくすくすと笑う。
「魔剣……ふふ、魔剣ね。そう呼ばれて悪い気はしないわね。でもせっかくだから名乗ってあげるわ。
私は剣霊『エコロケイト』……さあ、お嬢ちゃんの血はどんな味かしら?」
エコロケイトと名乗った剣霊は自分そのものである槍を構え、メリーのほうへ飛びかかってくる。
同時に私は駆け出して、少し離れた木陰に隠れた。
一方、メリーはエコロケイトを相手とした剣戟に臨んでいる。
勢いを乗せて繰り出される突きはグラファイトの刀身で逸らしていた。一撃が重く姿勢が崩れかけるが、踏みとどまって横に斬り払う。
だがバランスが悪い。エコロケイトはひらりと躱し、お返しの一突きを放った。剣でどうにか軌道をずらして避け、その動きを利用して回転斬りを繰り出す。
今度はしっかりと力が入っていた。エコロケイトは槍の柄を脇腹に添えてグラファイトを受け止め、にやりと笑う。
次の瞬間、メリーの左手の血管が破れ、血液を噴出させた。
何が起きたのか、やられた本人もわからなかったらしい。目を丸くし、しかし驚き呆けている暇はなく、後ろへ跳んだ。
『メリー、大丈夫か!?』
「……うん、へいき。ちょっと痛いだけ」
右手がやられていなければ剣は持てる。それよりも、今なにが起きたのかの方が大事だ。攻撃を受け止めた一瞬の間にメリーの左手を破壊したものがあるはず。
エコロケイトは余裕の表情で、槍が浴びた返り血を残さず舐め取っている。痛みに耐えるメリーの表情を、血の味と同時に楽しんでいるのだ。
「やっぱり可愛いお嬢ちゃんは血まで美味しいのだわ。
ふふ、今なにが起きたのか知りたいでしょう? 私は『反響』の剣霊。音で貴女の手を破壊したの」
わざわざ説明したのは、私たち程度ならば手の内を知られても変わらないと思っているのだろう。いずれにせよ殺すのだから関係ない、と。
「ふふ、貴女の居所もわかってるわよ。ちょろちょろ隠れてるお嬢ちゃん。
そうねぇ、こっちの子の方が美味しそうだから、貴女を先に食べてしまいましょうか」
その言葉は間違いなく、私に向けて放たれている。背筋が凍る。口の中に溜まっていた唾液を飲み込んで、なんとか恐怖も飲み込もうとした。
メリーはその言葉を聞くと、血の滴る手をしっかりと握り、敵を睨みつける。
「エヴァちゃんに手出しはさせないんだから……ッ!」
今度はメリーが飛び出して、攻撃に出ていった。
上段から斬り下ろし、エコロケイトは穂先で受け止めるべく槍を振るう。
槍の柄とグラファイトの刃が接触し、それを通じて超音波が彼女の身体に直接響いた。
ただでさえぼろぼろの左手から再び血が飛び散り、苦痛に顔を歪め、グラファイトから手を離しかけてしまう。
それでもメリーは抵抗する。相手の腹を思いっきり蹴りつけ、その反動を利用して半歩退いた。
予想外の攻撃にエコロケイトはよろめいている。体勢が整う前に槍の間合いのさらに内側へと踏み込み、今度こそ斬撃を届かせる。
黒いドレスが裂け、血が迸った。
剣霊といえども、人の姿をしている間は血が通っているらしい。あまりの木々に鮮血が付着して、まるで果実で作った甘いソースみたいだ。
「ふふ、いい一撃だったわ。でも駄目よ?
痛みを感じる素振りすら見せず、エコロケイトはメリーを襲う。木陰に潜り込んでは刺突を放ち、そうして次々と連続して繰り出される攻撃になんとか穂先を逸らして対応し、食い下がっていく。
槍と剣で戦ったならば、たいていは間合いの広い槍が有利だ。威力も高く、一撃が命取りである。
そのうえ、エコロケイトは自分自身の扱いに慣れている。メリーとエコロケイト、双方が私の肉眼ではなにが起きているのか把握しきれないほどの戦いを繰り広げていた。
素人目にでも、一瞬でも気を緩めれば敗北へと繋がることはわかる。
「……グラファイト。行くよ」
『了解、メリー』
そんな中、静かなやり取りとともに仕掛けたのはメリーの方だ。あろうことか、今まで躱してきた攻撃の防御をやめ、エコロケイトの懐へと飛び込んでいこうとした。
槍撃は空を切る。だが、エコロケイトは笑った。手を伸ばし、メリーの頭を掴もうとした。彼女に触れられれば即ち超音波による破壊が待っている。頭に食らえば、無論死ぬ。
それを承知の上だったのだろう。メリーは表情を変えずに踏み込んだ。エコロケイトの手が迫り、そして破壊が行使される。
──次の瞬間、エコロケイトの片腕は、彼女の身体から離れていた。
「……!?」
『おまえが「反響」の剣霊なら、私は「硬化」の剣霊だということだ』
私の目の前に落ちてきた彼女の腕が掴んでいたのは、超音波によって破壊された黒鉛の塊だ。グラファイトの名の通り、彼女がその場に作り出したものだろう。
エコロケイトは文字通り、囮を掴まされたというわけだ。
だが片腕がなくなったからといって、エコロケイトが戦意を喪失してくれるとは限らなかった。むしろ彼女は愉快そうに声を上げ、さらに片手で槍を操りメリーを襲う。体力はすでに限界に近く、苛烈さを増すエコロケイトにどうにかついていっていた。
──だがそれよりも。私の足元には、エコロケイトの斬り飛ばされた腕がある。か細い少女の腕が、生々しく落ちている。
それを見ると、どうしてか唾液が止まらなかった。腹の底から込み上げる食欲を抑えることができなかった。
私はまだ温度の残っているその肉を拾い上げ、躊躇いなく口をつける。歯を立て、抉りとる。
私の牙はそのためにあったかのように容易く肉を裂いてくれ、舌はこの世界で初めての味を感じさせた。
美味しい。
血の生臭さも、金属の匂いもしない。少女らしいふわりとした甘みと、なめらかな舌触りが感じられて、気がつけば二口目にかぶりついていた。
「……っ、ぐ、ぁあっ!? な、なんなのかしらッ、この、痛みは……!?」
私が咀嚼した肉片を呑み込んだ瞬間から、エコロケイトは苦しみ始める。ないはずの腕を押さえ、攻撃の手を止め、剣霊が感じるはずのない苦痛に呻いた。
でも、私はやめられそうにない。ひとくち、またひとくち。初めて食べる少女の身体は、ただ硬いだけの飴よりも、香りだけのアップルパイよりも、ずっと美味しかった。
「っ、な、わ、私を食べて……!? や、やめなさっ、餌のくせにっ、私を食べようだなんて……ッ!?」
私に食い尽くされ、落ちていた腕が骨だけになるころには、ぴきりと音を立ててエコロケイトの槍に亀裂が走った。
それを好機とみたメリーは剣を振るい、亀裂からエコロケイトを叩き割る。
割れた瞬間にあげた短い断末魔を最期にしてエコロケイトは脱力し、息絶えたようだった。
『終わった』
「……う、うん。あぁ、し、死ぬかと思った」
力が抜けてしまったのか、その場にへたり込むメリー。私がそちらへ駆け寄っていくと、無事だったことで安心したみたいで、深い安堵の息をついていた。
だが私は、メリーと生還の喜びを分かち合うよりも、やらなければならないことがある。この飢餓を満たすことだ。
動かないエコロケイトのドレスを裂き、露になった腹に口をつけ、食い破り、啜る。
「……え、エヴァちゃん、なにしてるの? ねぇ、も、もしかして、剣霊のこと」
『喰ってる、のか』
信じられないものを見る視線が向けられている。当然だ。人型をした剣の精霊を、あろうことか食べるだなんて。私がメリーだったら、同じように呆然としているだろう。
しかし、私はただエコロケイトの遺骸を貪った。これを喰わなければ、きっと私は生きられない。
ぴちゃぴちゃと卑しい音が、コウモリの消えて静まり返った森に響いていた。
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