第2話『ハロー・ブレードワールド』

 私​──エヴァ・フォン・スペードルは、元女子高生の剣屋依刃だ。異世界転生して目が覚めたらものすごくお腹が空いていた。

 自分でもなにが起きているかはよくわからない。あっさり受け入れてはいけないことな気もする。けど、転生してしまった以上、信じられなくても世界は進む。

 なによりも腹が減ったし、なによりも死にたくない。だから、この世界で生きていこうと思った。


 そんなエヴァは現在、水色ロングのメリーメオンと黒髪褐色肌のグラファイトの幼馴染み二人に連れられ出かけていた。

 おもに先導していたのはグラファイトで、人が多い場所に着くとメリーメオンは私の陰に隠れてしまっていたが。


「よう、嬢ちゃんたち!」


 私たちは屋敷から抜け出したら、よくこの広場に遊びに来ているらしい。だから顔見知りのおっちゃんに声をかけられることもある。

 恥ずかしそうに縮こまるメリーメオンの隣で、私はできるだけ笑顔で挨拶を返し、グラファイトもそれに続いて微笑みながら手を振った。


「魔剣が出るって噂が流れてるんだ、嬢ちゃんだけで出歩いてたら危ないぜ?」


「だ、大丈夫、です。私、剣霊使い、なので」


 メリーメオンの言葉に、おっちゃんはガハハと笑ってなぜか棒付きキャンディをくれた。明らかに子供扱いされている。10歳程度の子供だから仕方がないが、メリーメオンはそれが不満らしく、頬を膨らませた。

 キャンディはありがたく私がいただいて、さっそく袋から出して舐めながら、歩き始める。


 飴は意外と甘くなく、そんなに味がしなかった。

 これでは硬いなにかを舐めているだけだが、多少はなにかを食べている気分になれる。


 さて。先程メリーメオンが言った『剣霊使い』という言葉。

 依刃にとっても、エヴァにとっても聞き慣れない単語である。そのまま受け取るのなら、剣霊というものを使う人なんだろうが、その剣霊がわからない。

 ここはメリーメオンに聞くのが一番だ。私は舐めているのがもどかしくなった飴を噛み砕き、飲み下しながら聞いてみた。


「ねぇ、メリー。剣霊ってなに?」


 私のすぐ後ろにくっついて恥ずかしそうにしていたメリーメオンだが、質問を聞くや否や目を輝かせ、ぴょこぴょことグラファイトの隣に急いでいく。


「そ、そうだよね。エヴァちゃんまだ10歳だから、剣霊をもらってないんだ」


 そんなポケットに入るモンスターみたいなものなのか……と言っても伝わらないので黙っておいた。

 メリーメオン曰く、剣霊は11歳になった子供にパートナーとして与えられるものだそうだ。彼女はもう12歳なので、その剣霊を連れているらしい。一応お姉ちゃんだったのか。


 いったいどこにいるのかと聞くと、彼女は自信満々にグラファイトの隣に立ち、呼吸を整え、そしてグラファイトのお腹に勢いよく手を突っ込んだ。

 血が飛び散ったり、殴打の勢いで彼女が倒れることも無い。ただ、メリーメオンの手は明らかにグラファイトの腹へと突っ込まれている。


 私の理解が追いつかないうちに、彼女の手は何かを掴み、それを引き抜いた。


 それは少女が振るうには大きい長剣だった。

 切っ先までしっかりと引き抜かれると、グラファイトの身体が光に包まれ、剣の中に吸い込まれていき、次の瞬間に彼女の姿はない。自慢げに長剣を手にして、胸を張るメリーメオンがいるだけだ。


 私はどうしてか溢れる唾液を呑み込んで、目の前で起きているファンタジー現象を理解しようと試みる。無理だった。情報が少なすぎる。


「どう!?」


 どう、と聞かれても。


『メリー、説明、足りてない。

 剣霊とは武器に精霊が宿り、人の姿をなしたもの。私もその一人。

 主と認められた人物​……剣霊使いは、こうして剣霊を引き抜いて武器にすることができる。

 こっちが私、剣霊グラファイトの本当の姿』


 人の姿をした武器が剣霊で、その主は彼女たちを武器として使うことを許される。それが剣霊使い。

 なるほど、元の姿に変えるための工程が、先程の手を突っ込むあれだということか。


 そう考えると、11歳の少女に与えるには、剣霊は物騒な存在かもしれない。

 けれど同時に、大型犬のように友達としても護衛としても優秀なパートナーと捉えられるか。


『メリー、戻る、降ろして』


 街中で剣の姿で持ち運び続けるのは危ないため、グラファイトは元の少女の姿に戻った。


「エヴァちゃんのお父様なら、誕生日プレゼントにくれるんじゃないかな。そのときは、一緒に鍛錬しようねっ!」


 誕生日は一週間後。私が記憶を取り戻してから10歳でいたのがたった一週間だけというのも変な話だが、その日になれば剣霊が家にやってくるみたいだ。

 こんな小さい女の子が二人、いや四人でやることが剣の鍛錬というのもおかしな話だけど、そういう世界観なんだろう。下手に突っ込むのはやめだ。


「教えてくれてありがとね、メリー」


「とっ、当然だよ。私はエヴァちゃんの……そ、その、き、騎士になるんだから!」


 街では私の陰に隠れていたメリーメオンだが、剣霊使いとして成長してエヴァのことを守ってやりたい、という夢があるらしい。

 私たちの家に親交があるのも、昔から主と騎士の関係にあったゆえだ。きっとそれに憧れている。


 説明も終わり、飴も呑み込んでなくなってしまった。腹持ちはゼロに等しい。

 私たちは、再び目的地であるお菓子屋さんに向かって歩き出す。


 すると自然に、グラファイトが先導している数歩後をメリーメオンにくっつかれた私が歩いていく、なんてことになっていた。

 彼女に騎士の道はまだまだ遠そうだ。


「着いた」


 到着したのはお菓子のお店だ。強面だが優しいおじさんが経営しており、近所でもかなり評判のお店である。

 私たち三人が扉を押し開けると、店員のお姉さんがこちらに気づき、招き入れてくれる。


「エヴァちゃんたち! 今日はどうしたの? いつもならもっと早く来るのに」


「私の要望です。なんか急に食べたくなっちゃって」


 お姉さんはそれを聞くと、私たちをテーブルに案内した。味のある木のイスはちょっと高く、幼い身体ゆえに苦戦しつつ、なんとか座ることに成功する。

 そして、いつものアップルパイでいいかと確認を受け、すぐに運ばれてきた。


 幸いなことに、前の世界とこちらで食文化にそう差があるわけではないらしい。さすがに中華や和食は入ってきていないだろうが、見たことも無い生物のキワモノ料理を食べることにならなくて一安心だ。

 焼きたてのアップルパイは甘い香りが鼻腔をくすぐり、りんごがきらきらと輝いているふうにも見える。


 真っ先に隣のメリーメオンが大きな一口で頬張って、笑顔でもぐもぐ食べはじめた。

 グラファイトは静かに口に運んでいる。自然と口角があがっているのか、その表情はいつもの真顔より柔らかく、剣の精霊もお菓子を食べるんだな、と感心した。


 さあ、そろそろ私も食べないと。


「いただきます」


 さくり。パイ生地の食感はやはりいいものだ。それに焼きたてであたたかく、ちょっと熱いくらいだ。煮詰められたりんごの香りが鼻に抜けていく。


 ​──それだけ、だった。


 私は首を傾げた。エヴァの記憶にあるこのお店のアップルパイは、もっといろんな甘みがあるものだ。

 なのに、なにも感じられない。


 怪しみながらもう一口。食感、熱、香り。それで終わりだった。確かにそれらは味を構成する要素ではあるだろうが、味覚が反応していない。

 飴のときもそうだった。あれも、甘いはずのものが感じられていなかった。


 ありえない。エヴァにも依刃にもちゃんと味覚は備わっていた。でも、もしかしたら、私がとして目覚めた時からすでに失われていたのかも。


「……エヴァちゃん、どうしたの?」


「いつもとリアクションが違う」


「あ、え、いや、うん。美味しいよ」


 私は残りを口の中に押し込んだ。熱くてりんごの匂いがしてさくさくして。それだけで美味しいと言えるのかもしれないが、肝心な部分が抜け落ちているではないか。


 このあと、試しにいくつかのお菓子を頼み、食べてみたのだが。結局どれも味わうことはできなかった。

 メリーやグラファイトの方が先にお腹いっぱいになってしまい、私は煮え切らない気持ちのままお菓子屋さんを後にしようと、立ち上がる。


 その時、お腹の虫が鳴いた。飢餓感はなくならないままで、いまだ私につきまとっていたのだった。

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