第6話 約束
サトちゃんの家の扉は開いていた。妹を自分の家に置いてきてから、またサトちゃんの家の前に戻った。
「さと、さとちゃん、大丈夫?」
「あら、その声はみっちゃんね。どうぞ上がっておいで。――外は暑いでしょ。アイス食べる?」
さとちゃんのお母さんの声に甘えて、靴を脱いであがる。さとちゃんに会いたくない気もしたが、アイスが食べたかった。
「何色にする?オレンジ、黄色、白があるけど」
おばさんは三本の棒アイスを私に差し出す。
「……あの、サトちゃんは?」
いきなり、アイスを取るのも気が引けた。さとちゃんはベランダにいるという。
「……じゃ、白いのをもらいます。ベランダに行ってもいいですか?」
プラスチックに入った棒アイスを手に取りベランダに向かう。
「……何しに来たの?あんたも私の事、ヘコき虫ってバカにしてるでしょ!」
「……えっ、そんなこと思ってないよ!―それよりサトちゃんはオレンジなんだね。どっちにしようか迷ったんだ。オレンジも美味しいよね⁉」
「あんた、私の事、ヘコき虫って思ってないなら、食べなさいよ!ホラ、オレンジも欲しかったんでしょ!ホラ、そっちのよこして」
サトちゃんは半分残ったアイスを私の顔に突きつけ、まだ口をつけてない私の白いアイスをむんずとつかみとる。その先っぽを口にくわえて、グルグル回す。歯で先端を噛んで回すとプラスチックが千切れる。
――私のアイス。もう食べられない。サトちゃんの唾液がついた。そんなアイスなんていらない!
「……もう、溶けてる。……とけちゃったからいらないよ。うっ、サトちゃんの意地悪」
「あんたがいらないなら返してよ!」
自分の唾液がついた物を口に入れるかどうかを試したんだ。拒否されたサトちゃんは金切り声をあげて、私からアイスを取り返した。
「もう、私帰る!せっかく心配して来てあげたのに!みんなからいじめられてかわいそうだったから、来てあげたのに!」
そんなこと微塵も思っていなかったが、アイスを取られたショックで泣き真似をした。
「……ごっごめん。はい、これ返す」
サトちゃんは単純だ。うそ泣きにまんまと騙されていいきみだ。笑いをこらえるのが必死だった。サトちゃんは、私の泣き声をお母さんに聞かれるのが嫌だったんだろう。
「……ねぇ、もうみっちゃんに意地悪しないから、仲直りしよう。――みっちゃんも持ってるんでしょう?ヨシばあにもらった巾着袋。あの中の玉を合わせて仲直りしよう。持ってきて!」
さとちゃんはなんだかんだ命令したがる。私は、急いで階段を昇り、自分の家に入った。
「光子、ダメでしょ!友子が無理矢理帰されて泣いてたんだから。また連れていってくれない」
本当に世話がかかる妹だ。巾着袋を探していると電話がなった。サトちゃんの催促かな。お母さんが手を止めて、受話器を取り、誰かと話している。
「そうですか!今日咲いたんですね。えー、ベランダから覗いてみますね。教えて下さってありがとうございます」
「光子、やっとアオノリュツゼツランが咲いたらしいの。今ヨシばあさんが教えてくれたのよ。とても珍しい花だから光子も見てみる?ベランダから見えるそうよ!」
広場でお母さんたちが、話していたアオノリュツゼツランの話だった。アオノリュツゼツランは四十年から五十年に一度しか咲かない珍しい花だそうだ。メキシコ産でテキーラの原料になる。薄き緑の小さな花をびっしりつける。葉の形が竜の舌に見える事から名前がついたらしい。
「そんなのどうでもいいよ!またサトちゃんちに行ってくるから!」
幼稚園カバンから巾着を取り、握りしめてサトちゃんちに戻った。
「わぁ、本当に。すごいですね。さっそくベランダから見てみます。……あっ、みっちゃんも一緒に見る?」
受話器を置いたサトちゃんのお母さんからベランダに来るように言われた。
「……ゼツラン?……アオノ?」
「アオノリュツゼツランよ。今、ヨシばあさんから電話があって教えてくれたの。四十二年ぶりに咲いたそうなのよ」
ヨシばあが言うには、自分が四十二年前、何もなかったこの団地の敷地に植えたものらしい。団地はそれから五年後に、この木を避けて建てられたとの事だ。ヨシばあは生き証人なんだろう。
「すごいわよね。……団地のみんながベランダから見てるわよ。みっちゃんもいらっしゃい!」
サトちゃんのお母さんが指を指す。あまり興味がなかったが覗きこんだ。
「あっ、これってさっきサトちゃんが缶を投げつけた木だ。こんなに大きかったんだね」
「……四メートルくらいあるから木に見えるわよね。でも木じゃないのよ。花が見える?花が咲いたら枯れてしまうんですって。よく見ておいた方がいいわよ」
花が咲いたら枯れてしまう……四十二年ぶりに咲いたら、来年はもう花を咲かせないんだ!
「……お母さん、今度はいつ咲くの?またアオノリュツゼツランの花はいつ見られるの?」
サトちゃんが珍しくしおれた声で質問する。枯れる事が悲しかったんだろう。
「根元にある子供を大切に育てれば、そうね、また四十年後か、五十年後に咲くのかもね」
「……ねぇ、みっちゃん、またこのアオノリュツゼツランの花を一緒にみようよ。それまで友達だよ」
サトちゃんがしおらしく巾着を差し出す。
「……うん。四十年後も、五十年後もずっと友達でいようね」
サトちゃんのお母さんの手前、適当に約束した。
正直、五十年後まで友達でいる自信なんてなかった。
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