第19話裏切り者は誰だ


 完全にダイニングルームに戻るタイミングを逃したような気もする。


 あまりにいたたまれなくなって、自分の部屋に戻ったけど、ダイニングルームにいる年の離れすぎた兄弟の中に入っていくのは、きつい。

 二人とも嫌悪の仲みたいだし。


 食事になったら呼びに来てくれるのかな?もう、いっそのこと、マリアの料理の手伝いでもした方が、いたたまれない思いをしないで済むかも知れない。こういう時に、和ませてくれそうなミトンはいない。逃げたな……!


 私は、決心して二階に戻った。


 案の定、空気は悪かった。エーミルは、ふてくされた猫のような表情で、ソファに座っていたし、ジェームズのほうは苛立たしそうに、キッチンとダイニングルームをうろうろしながら、何かをマリアに言ってる。


 ちょっ……そんなところでうろうろすると、私がマリアの手伝いに参加しにくい……!


 私は、なけなしの勇気を振り絞って、キッチンに向かった。


「つまり、今回の事件で弟は採血され、その血は特殊な物であることに気がついた人間がいるということだ!」


「そうね」


 マリアは、ジェームズの話を聞きながら、手を止めようとはしない。卵を四個、フライパンに割り入れて蓋をした。どうやら、あのフライパンの中にはクリームで煮ている何かが入っているみたい。クリーミーな香りはフライパンからする。


「重要機密だ。我々の保護と秘密厳守を引き替えに、英国と女王に協力しているのだ。裏切り者がいる」


「どこに?」


 マリアは、こけももを小さめのボウルにいれて、塩、砂糖、白ワインビネガーをいれて、フォークで潰し始めた。


「MI6だ」


 ジェームズの話が大きくなってきたところで、私はキッチンにはいった。やっぱり、何か手伝おう。


「マリア、私、手伝うことある?」


「じゃあ、このこけもも潰してて。すこし身が残る感じで。ドレッシングにするから」


 私は、マリアにボウルごと手渡され、フォームでこけももを潰すことを引き継いだ。その間にマリアは、グリルを開けて、カボチャの種、刻んだケールを取り出す。彼女は、冷蔵庫からチーズと茹でて冷ました大麦を大きめのボウルに入れて、先ほどグリルから取り出したものも加える。


「こけもも、ちょうだい」


 マリアに小さなボウルを手渡すと、彼女は半分の量を大きめのボウルに入れて、さっと混ぜ合わせる。


「ナオ、ディルとチャイブを刻んで」


 マリアは、出来上がったサラダを大皿に盛り付けて、残ったこけももドレッシングをかける。

 緑と赤と白のコントラストが鮮やかだ。美味しそうなサラダ。


 私はキッチンの棚に置かれているハーブの鉢からディルひと枝とチャイブを数本切り取った。


「MI6に裏切り者がいる、と貴方の長年の友人がおっしゃったの?」


 マリアは「長年の友人」を妙にアクセントで強調して言った。彼女は冷蔵庫から赤タマネギのピクルスを取り出して、みじん切りにし始めた。


「あのお方は、そのようなことはまったく」


 ジェームズは、マリアの言葉に苛立ちが急激に冷めたらしく、この部屋に入ってきたときと同じように冷静で理知的な話し方に戻った。


「在野の研究者にも、勘が良いのはいるわ」


 マリアは、みじん切りにした赤タマネギをココット皿に入れた。次に、フライパンの蓋を開けて、様子を見た後火を止める。薄切りにしたバケットをグリルに入れて焼き始めた。

 マリアは、私のみじんぎりにしたチャイブとざっくりと切ったディルをフライパンの上に散らした。


「ジェームズ、テーブルセッティングしちゃうから、向こうへ行っていて。ナオ、パン焼けたら出しておいて」


 キッチンの出入り口を塞いでいたジェームズを、ふてくされているエーミルの方へと、マリアが押しやった。


 マリア、勇気あるね……!


 マリアは、まったく気にした風も無く、白地にグレーの細いストライプの入ったテーブルクロスを引いて、中央にキャンドルを並べて火を灯す。

 日本と違って、陽が落ちると家の照明の殆どを白熱灯に切り替えるロンドンで、キャンドルの光は優しくて雰囲気にとてもあっている。

 最近は、白熱灯を模したLED電球らしいけれど。


 パンが焼けたようなので、いつもパン籠として使っている大きめの籠にオーブンから取り出したパンを入れた。


 マリアがすでに盛り付けの終わったサラダをテーブルに並べる。つぎに、フライパンをそのままテーブルに置いた鍋敷きの上に。私はトーストしたパンをテーブルに持っていく。


 なぜか、さきほどまで、ふてくされていたエーミルが積極的に、マリアの手伝いをしている。カトラリーを並べたり、冷蔵庫からレモン水を持ってきたり。


 席順をどうするのか、私は不安だったがエーミルの隣にジェームズが座り、エーミルの向かいにマリア、その隣に私、で落ち着いた。


 あれ?なんだかんだといって、仲の良い兄弟なんだろうか。


 それにしても、マリアの作った料理、どれも美味しそう。色がとても鮮やか。フライパンの中は、クリームの「白」と、ほうれん草、先ほど刻んだディルとチャイブの「緑」、赤タマネギのみじん切りの「赤」で色彩豊かで綺麗だし、サラダも同様。


 センスの良さを感じる……!


 フライパンの中に入っているのは、ほうれん草のクリーム煮。卵は一人一つ、半熟になっている。サーブ用のスプーンで掬って、取り皿に盛り付ける。


 卵を割ると、とろっとした黄身がクリーム煮の上に流れ落ちる。赤タマネギのみじん切りと、チャイブのみじん切りが不揃いのドットみたいで、かわいい。口に入れると、ほうれん草のグラタンのようにクリーミーで、でも赤タマネギがピクルスになっているので、酸味と辛みを感じる。


 この舌にくるぴりっとした辛さ、唐辛子も入ってるみたい。気がつかなかった!


 赤タマネギの酸味と唐辛子の辛みがあるおかげで、単調なクリームにを、飽きずに食べれそう。


「おいしい……!」

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