婚約破棄に効くクスリ

 わたしは主治医の先生に、彼から婚約破棄を言い渡されたことを伝えました。


「そうですか。大変でしたね。……最近は眠れていますか?」

「いえ全然眠れません。マイスリーに戻してください」

「うーん、どうかな」


 先生は困ったようにペンで頭を掻きました。

 慣れた薬に戻してほしいのに。


 でも、今はそうじゃなくて、


「先生! わたし婚約破棄されたんですよ? もっと、何か言ってください」

「……お相手はどなたでしたか?」

「前にも話した彼です。いっぱい愛してくれて、それで婚約までしていたのに」

「なるほど。……食欲のほうは?」

「食べろってうるさいからすこしは食べるようにしています」


 本当は何も食べる気がしないのですが、まったく手をつけないでいるとお小言を言われてしまうのです。

 だから、スプーンで切ったり潰したりして、食べた感じに見えるよう工夫しています。


「食欲が出る薬を追加しておきます。点滴もしますか?」

「はい。してください」


 点滴をするとその日は具合がよくなるので、言われたときには必ずしてもらうことにしています。

 べつにわたしは、先生に反抗したいわけではないのですから。


 でも、もうちょっと話を聞いてくれてもいいんじゃないでしょうか。


 そう思って話そうとするわたしに、


「では、あちらで点滴をしてからお部屋に戻られてくださいね」

「先生、婚約破棄の――」

「お部屋には看護師しか出入りしていないのは確認してあります。彼のご職業は看護師ではありませんよね?」

「彼は実業家です」


 わたしが何度も話してきた彼のことを言うと、先生は、うんうん、とうなずき、


「眠れないのはよくないですね。仕方がないのでマイスリー出しておきます」

「うれしい!」


 わたしは看護師さんに連れられ、点滴を受けるために診察室をあとにしました。

 今夜はぐっすり眠れそうです。

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