婚約破棄を描けってあなたが言う⁉︎

「……? ちょっと待って。それって全部ボツってこと? そういう意味なわけ?」

「他の意味はむしろないよ」


 喫茶店で興奮のあまり立ち上がったわたしに、彼は座るよう手で示しながら言いました。


「新連載のプロット、全部読ませてもらったけど……なんで今回6つも書いた?」

「がんばったのよ。認めてくれてもいいじゃない」


 6案も新しい設定とキャラクターを考えるのに、どれだけ頭をひねったことでしょうか。

 漫画編集者という連中は、そこらへんの苦労をまるでわかってくれません。


 案の定、彼は、


「自信がないから1案にできなかったのでは?」


 はい、きました。

 自信がないから。

 そう言われると思っていました。


 だって本当だから……。


「ぐはあッ」

「はいはい先生、吐血の真似はいいから。自信ないならアイディア出しから相談に乗るっていつも言ってるよね?」

「だってえ……」


 甘えづらいのです。

 わたしは彼との距離感がわかりません。


 なぜなら、昔、付き合っていたから。


 もう5年は経ちますが、担当編集となってからわりとすぐに交際に発展し、結婚の約束までしていました。


 それが、大喧嘩で台無しに……。


 わたしが彼にべったりで、彼に似せたイケメンが女主人公をとにかく愛しまくる話ばかり描こうとしていたのが原因です。

 だって仕方ないでしょう?

 頭の中を紙に描くんだから、頭の中が彼でいっぱいなら当然そうなります。


 大好きなんですよ。

 だから別れてからもずっと担当でいてもらって、二人三脚で漫画を描き続けてきました。

 ただ愛しあう話より、互いの得意を活かして支えあう話のほうが読者ウケもよかったので、これはこれでよかったのだと思います。


 でもやっぱり、好き。

 甘えると止まれなくなりそうで、そうなると今度こそ本当に彼を失うことになりそうで、作家として心から頼るまえにブレーキをかけてしまうようになっていました。


 そんなわたしの気持ちを知らずに彼は、


「最近、婚約破棄モノが結構いいんだよね。先生もここらでひとつやってみない?」

「こ――」


 この男ぉ~!

 わたしと婚約破棄しておきながら、婚約破棄を漫画にしろと言い出しました。


「じ、実体験レポってことかな? はは……」

「いやそういうのはガラじゃないでしょ。ちゃんと主人公を立てて、お話として描いてみてほしいんだ」

「うう……」


 マジで言ってませんかね、この男……。


 涼しい顔をしてコーヒーに口をつける彼に、わたしは恨みがましく言いました。


「あんた記憶喪失にでもなった? わたしがどんだけ――」

「このテーマで面白いものが描けたとき、きみは本当の意味で作家になれると思う」


 きみ、って言いました。

 先生じゃなくて、きみ。

 付き合っていたときの呼びかたです。


 わたしが真意を計りかねていると、


「ぼくはいつまででも待ってるから」

「えっ……」


 いつまででも待ってる。

 それって。

 それってもしかして。


「あ、待ってるのはプロットのことですからね、先生」


 ですよねー。


 わたしはテーブルに突っ伏しておでこをぶつけながら思いました。

 絶対に面白い婚約破棄モノを描いてやる。


 そんで、こんな素晴らしい作家と婚約破棄したことを後悔させてやる!


 ……って、


「べつに後悔はしなくない? 芸の肥やしになったね、とか平気で言われそう」

「何をひとりでぶつぶつ言ってるんだ。おでこ打っておかしくなった?」


 その声も好き。

 そばにいてくれるなら、今の関係でも全然OKだと思っている自分がいたりするのです。


 ああこれ、沼ってやつですね……。

 お仕事がんばろっと。

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