婚約破棄か死か選べ

「さあ、姫さん。その毒杯を手にとるか婚約破棄を宣言するか、好きなほうを選ぶがいい」


 わたしは自室のドアに目をやりました。

 すぐ外には衛兵がいるはず。

 この堅牢な城に忍び込んだのはたいしたものですが、ひとりで軍隊を相手に何ができるものでしょう。


 ですが、


「声をあげても誰も来やしないよ。もうあらかた殺ってある。平和ボケした兵士ほど殺しやすいものはない。……さあ、あんたにできるのは婚約破棄か死を選択することだけだ。理解したか?」


 男は布で顔を覆っていますが、そこから見えている目をぎらつかせてわたしに迫ります。


「破棄か……死……」


 わたしは口に出して言ってみました。

 二択。


 王女であるわたしの婚約は、隣国の王子との政略的なものです。

 愛によるものではありません。

 そもそも、お相手は王子とはいえかなり年配のかたで、長年連れ添った奥様を亡くされたため、わたしに話が舞い込んできました。


 隣国との関係が強化されれば、二国と接する他の国はたまったものではないでしょう。

 長く続いた均衡が崩れ、国土を広げるための戦争が始まることになるかもしれません。


 今わたしのまえにいる男は、それを恐れたどこかの国が雇った暗殺者に違いありません。


 婚約破棄か死。

 どちらにしても隣国との繋がりは切れることになります。


 でも、わたしはふしぎに思いました。


「なぜ婚約破棄なんていう選択肢があるの? わたしがそれを選んだとして、本当に破棄するかなんてわからないじゃない」

「そのときは、死者が増えるだけだ」

「うーん、脅して必ず破棄させるってこと? それはそうかもしれないけど……」


 確実性に欠ける、と感じました。

 そこまでして二択にする必要がありません。


 そもそも、死のほうも、わざわざ毒をワインに入れて用意してくれました。


「さっさと殺せばいいのでは?」

「……そうしてほしいのか」

「いえ、違いますけど。なんだか、ちぐはぐに感じてしまいまして」


 兵士は殺しても、わたしは殺したくない。

 そんな雰囲気を感じざるをえません。


 理由はわかりませんが……。


「このワイン、本当に毒なんて入ってるの?」

「入ってるに決まってるだろ」

「そうかしら」


 わたしはおもむろにグラスに口をつけました。

 すると、


「おい、姫さん馬鹿かよ! 本当に本物だからやめろ」

「っ!?」


 グラスを奪われてしまいました。


「あなた何をしているの……?」

「あんただよそれは。毒だって言ってるだろ、死ぬんだぞ?」

「もうそれでいいじゃない。貸して」


 婚約破棄はきっと認められません。

 どんなにわたしが嫌がっても、国と国との決めごとに干渉できる力などひとりの王女にはないのです。


 だったら、選択肢はない。

 死ぬだけです。


「そもそもわたし、戦争の引き金になるくらいなら、婚約なんてしたくなかった」

「……わかってるよ」

「そうなの? だったら死なせてよ」

「わかった」


 彼はそう言うと、わたしに近寄り、着ていた夜着を乱暴に剥ぎ取りました。


「……? なっ!?」

「襲うんじゃないよ。あんたは死ぬんだ」


 毒のワインを、床に落とした夜着にかけます。

 純白のネグリジェに、その紅は血のように広がりました。


「これでいなくなりゃ、死んだも同然だ。一緒に来い」

「……理由だけ教えて」

「はっ、理由なんてわからねーよ。ただ、あんたが産まれたときのパレードに、子どものときのおれが参加していた。そのとき見たあんたの幸せそうな顔が頭から離れてくれないだけだ」

「そう……ありがとう」


 幸せな顔。

 たしかに婚約が決まってからのわたしは、その表情を失っていたかもしれません。


「姫さん、あんたは死を選んだ。ワインを手にとったんだからな」

「ええ。ここから先は王女ではない、わたしの人生ってことね」

「そうだ」


 彼に抱きついたまま、わたしは彼とともに闇の中へと消えてゆきました。


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