第十一話 森の魔女の悪竜退治

前回のあらすじ


無力感に打ちひしがれた学部長ガリンド。

しかし彼を慕うものたちの応援が、彼に力を与えてくれた。







「その才を、その異才を、その天才を! こんな下らん奴らのもとで腐らせるのはもったいない! この儂のもとでこそ輝けるというものよ!」

「はああああ!?」


 時は少しさかのぼって、あらためて初手誘拐ジェットコースター勧誘が繰り広げられたあたりだ。

 マールートは本気だった。本気で紙月を勧誘しようとしていたし、断られても問答無用で拉致って、そのまま東部の《竜骸塔》に連れ去ろうと考えていた。


 こうして抱えているだけでも、マールートには紙月の持つ膨大な魔力が脈打つ鼓動のように肌で感じ取れていた。これほど強大な魔力を持つ生き物を、マールートとてそう多くは知らない。

 マールート自身。かつて葬った地竜ども。五百年の間に稀に見ることのあった半神。聖王国の魔術師ども。


 それに。


 マールートは改めて紙月の顔を見た。

 美しい顔だ。万人が見ほれるような奇妙な魅力がある。単なる美醜の話だけでなく、その造形が天然自然の魔術となって魅了をかけているようでさえある。

 獣の要素を限りなく色濃く持った獣人ナワル、その変異種であるマールートにも、紙月は美しく思われた。

 だが、その美しさ以上にマールートが注目したのはその耳だった。

 人族のように見える身体の中で、唯一異なる形。

 


 五百年の生の中で、かすれそうな記憶の中で、マールートはかつてその耳の持ち主に出会ったことがあった。

 その耳の持ち主は、それがの特徴なのだといった。彼はであり、それゆえに超絶強いので敵わなくてもしょうがないなどとのたまった。

 思えばマールートの高慢さは彼譲りであったかもしれない。


 彼はマールートの師であり、友であった。地竜の殺し方も彼に教わり、はじめて地竜を殺した時も、彼に助けられた。その生き胆を食らって竜の命を得たマールートは、二百年ほどを彼と過ごした。思いがけず竜の時を得たマールートにとって、長き時間を共に歩める唯一の同胞だった。


 彼だけが、傲慢なるマールートが生涯敵わぬとそう感じた相手だった。二百年の間でただの一度とて彼に土をつけたことはなかった。

 その彼さえも、段々とものを食わなくなり、水も飲まなくなっていき、そしてある時、山を登るといって西方へ去っていった。そして今も帰らない。きっともう帰ってはこない。 


 寂しいなどと思ったわけではなかった。

 恋しいなどと涙したわけでもなかった。


 ただ、もったいないことをしたと思った。

 あの時無理にでも引き留め、塔につなぎとめておけばよかったとそう思った。

 かき集めた金銀財宝の中で死ぬまで愛で、死した後は朽ちぬようまじないをかけて飾り立ててやりたかった。


 彼はそれほどに強く、美しく、まことに宝であった。


 そのが再び現れたと聞いて、マールートは前から気にかけていたのだ。

 はじめに地竜殺しの森の魔女とやらの話が伝わってきたときは、鼻で笑いながらも少し期待した。いくらか力のある魔術師がでてきたものだと。

 在野で独学のままに高めたか、それともマールートの知らぬところに魔術の郷でもできたか。

 だがその程度だった。多少目立つ程度の魔術師は、五百年の間にいくらもいた。時にはそれを塔につなぎ、時には殺して放った。師として教えたものはもう数えきれない。実らず大成せずとはいえ、それらは塔に収めた宝であるから、マールートはそこそこにそれらを愛でていた。


 噂が広まり、冒険譚の種類が増えてくると、マールートもいささか気になり、弟子どもに探らせた。話が増えてくるということは、そいつは活動の幅を広げているということだ。死にもせず、飽きられもせず、それはつまりそいつがそれなりの力を有しているという証拠だ。


 その結果、信頼できる情報筋からその強力な魔法の可能性を聞き知って、マールートは歓喜した。

 そしてそのの特徴を聞いた時には我知らず小躍りして弟子どもを驚かせたものだった。


 最初は自ら腰を上げて会いに行こうかとも思った。しかしそれははばかられた。塔主様御自ら動かれるなどと、などと弟子どもにいさめられると、それもそうかという気もしたのだ。

 マールートは竜人である。竜の命を得た本当の竜人である。竜の骸で城を立て、君臨する王者である。そのマールートが一介の魔術師一人のために自ら出向くというのは、どうも軽薄すぎるように思われた。

 どんと構えてお待ちになれば、塔主様のご威光に誘われて向こうから顔を出すことでしょう、などとおだてられてその気になった。


 まあ、それもすぐに飽きてしまって、結局招待をいいことに暇つぶしと思って帝都くんだりまでやってきたのだが。


「まさか貴様からやってきてくれるとはのう! 僥倖僥倖! 貴様には竜の宝物庫に入る栄誉を与えようではないか!」

「やーなこった!」


 紙月ははっきりと言い放った。

 紙月は褒められるのが好きだ。容姿を、能力を、他のなんでも、褒め称えられるのが大好きだ。認められるということが好きだった。

 美しいと、強いと、強引なまでに欲しいと求められて、正直なところちょっとときめかないでもなかった。タイミングとか勧誘方法が違ったらよろめいていたかもしれない。そういう意味では未来が紙月の危機に焦ったのも間違いではなかった。


 けれど、二番目というのはどうにも好きになれなかった。

 紙月の人生はずっと二番目だった。時にはそれよりも下だった。

 何かで一番になれたということがなかった。自分を認めることができなかった。

 この竜人は言葉通り紙月を宝物のように扱ってくれるだろう。

 しかし、宝物庫の一番ではない。紙月にはあずかり知らないことであったが、マールートの宝物庫の中心はいつも欠けていて、その空白こそが宝物庫で一等価値あるものだった。

 紙月がどれだけ大事に扱われても、それは一番ではない。


 紙月はそれを敏感に感じ取っていた。

 どれだけ大事に扱われても、決して一番にはなれず、それどころかいつか別の宝物にその場所を奪われるだけかもしれない。宝物庫の隅で、時折思い出したように愛でられるだけかもしれない。

 なにより、どれだけ宝物扱いされても、それは紙月の上っ面の部分だけを評価しているのであって、紙月自身を認めてくれているわけではないのだ。

 紙月はちょろいおん男であったが、面倒くさい人種でもあった。


「あいにくと俺を世界で一番認めてくれてるやつがいるんでね!」

「なあに、この儂がそれ以上に認めてやろうではないか!」

「輝くタイミングは自分で選ぶよ! 《閃光フラッシュ》!」

「ぬうっ!?」


 紙月を抱えたまま駆け回るマールート。

 抱えられたまま、紙月は周囲のひとけがなくなるタイミングを見計らって魔法を繰り出した。

 密着状態の至近距離、マールートの鼻先で目を焼くような閃光がほとばしった。


「自爆覚悟か!」

「んな覚悟あるか!」


 《閃光フラッシュ》の魔法は強力な閃光で視界を奪うが、ダメージ判定自体はない。

 紙月は目をふさいでこれを使い、マールートの目を奪ったのだ。


 マールート自身もこの強烈な光が自身を焼くことはないとすぐにわかったが、眼前で炸裂した閃光に対する生理的な反応はどうしようもない。マールートの竜体は多少のダメージなど通さないが、感覚器官への刺激自体が攻撃となっているのだから耐えようがなかった。

 咄嗟に目をつむったが、薄暗がりに慣れた目は一時的に無力化され、あまつさえ脳まで激しく刺激が届き、寸時意識が飛んだ。


 体に染みついた戦闘技能が、もつれる足で咄嗟にたたらをふみ、担いだ紙月の体を振り落として壁にたたきつけんとする。

 ほとんど無意識のうちに行われた暴力はあまりにすみやかだったが、紙月とてそれを予想してすでに次の魔法をセットしている。


「《燬光レイ》! そんで……《突風ブロウ・ウインド》!」


 あらかじめあたりをつけておいた軌道で、数条の熱光線が石造りの壁を切り裂く。違法建築の尖塔の壁がさほど分厚くないことをはここまでの道のりで確認済みだ。

 体を叩きつけられながら突風の魔法を押し付ければ、切り裂かれた瓦礫とともに紙月の体は塔の外へと放り出された。


 見下ろせば下は中庭。まばらな木々。薄く積もった雪。高さは何階だ。低くはない。受け身。無理。装備で耐えられるか。落下ダメージ。

 一瞬の無重力感のうちに、紙月は次の魔術を選定する。


「《飛翔フライ》!」


 それは使用者を宙に浮かせる魔法。速度はあまり出ず、自由自在に飛べるというほどではないが、落下速度を和らげるには十分──否、紙月はあえて地面に向けて加速した。

 その刹那、紙月の後を追うように、どす黒い炎が空をよぎった。


「げあはははは! 思い切りが良いのも高評価じゃ!」

「面接はこっちから願い下げなんだがな!」


 大講義室の壁をぶち抜いた時にも、恐らくあの炎が使われたのだろう。

 強力な魔力を秘めた黒炎は、瓦礫を焼き、焦がし、ぼろぼろと朽ちさせてしまう。

 軽くあぶられただけの肌が、異常にしびれ、痛む。

 《飛翔フライ》の魔法で速やかに中庭に軟着陸を決めながら、紙月はステータスを検めた。


「ダメージだけじゃないな……『毒』『呪い』……かすっただけでデバフまでか」

「目もよいのう。この儂の毒炎を一目で見抜くか」

「ちっ……《浄化ピュリファイ》」

「おまけに解呪の法も! ますます欲しいのう!」

「俺はますます嫌になってきたよ……」


 紙月を追って、マールートも中庭に降り立つ。

 しかも別に魔法か何かの補助ではなく、純粋に身体能力だけで平然と数階の高さを飛び降り、技術も何もなく頑健さだけで着地している。

 ドラゴンじみているのは見た目だけではないというわけだ。 


 紙月は慎重にインベントリを操作し、装備を整えた。

 対毒、対呪い、対炎。対策の幅が広くなるほど、一つ当たりの効果は低くなる。ゲームの制限から解き放たれたこの世界では、無理に重ねていくつも装備することもできないではないが、そうすると今度は動きづらくなる。

 フィジカルも優れた相手に、それはあまりうまい考えではない。


 マールートが見せた驚異的な身体能力。凶悪な破壊力と厄介なデバフ効果を併せ持つ毒炎。

 それだけでも面倒極まりないのだが、マールートは戦闘魔術師集団の長であるという。こいつ自身が魔術師であるという。

 あの毒炎がドラゴンとしての権能であると考えれば、そもそもこいつは魔術師でありながらいまだに一つも魔法を使っていないという可能性さえあるのだ。


「探り探りやるしかねえか……」

「いいぞ、いいぞ、はねっかえりめ。じゃじゃ馬ほどしつけ甲斐がいがあるというものよ」

「調子に乗りやがって。こちとら地竜殺しでデビューしたんだ。竜人だか何だか知らねえけど、怖かねえぞ」

「試してみるか。この儂とて地竜殺しよ」


 このレベルの相手に、ソロで挑むというのは、ゲーム内でも随分やっていない難行だ。

 紙月は我知らず唇をなめた。緊張と高揚、興奮と不安に、渇きにも似た感覚を覚えた。


 毒。炎。ドラゴン。

 紙月はそれらへの対策、弱点、注意点を頭の中に巡らせる。

 この世界は《エンズビル・オンライン》ではない。ゲームの世界の法則は必ずしも合致しない。それでもあの邪神プルプラ様がゲームの駒として紙月をあつらえたのであれば、ゲームの知識や感覚がまったく無駄ということはないはずだ。


 聖属性、氷または水属性の攻撃は定番だ。一部ドラゴンには雷も効いた。

 火属性を吸収する土属性で防御に徹してもいいが、毒の炎を吸収した場合、回復以上にデバフが効いてきそうだ。

 それに、紙月は攻撃に比べて防御面はいささか頼りない。優秀な《楯騎士シールダー》のサポートが前提だからだ。


 となれば、と紙月はあえてふてぶてしく腰に手を当てて胸を張り、堂々と身をさらして見せた。


「ほほう! 噂に尾ひれがついた俺が言うのもなんだが、いったいどんな武勇伝があるってんだか。俺はあんたのことなんざちっとも知らないぜ。せっかくなんだ、ご本人から聞かせてもらいたいもんだな!」


 ハッタリ!

 あえて無防備な姿をさらし、実際以上の余裕を演出!

 その上で口八丁で時間稼ぎを決行! その間に仕込めるだけ仕込む! あるいは未来が追い付くのを待つ!

 未来さえくれば誰にも負けないという、それは本人に言ってやれよという信頼が、紙月のふてぶてしい笑みにも表れていた。


 老獪にして悪辣なる竜人マールートも、この猪口才な小細工を察してはいた。

 しかし、わざわざそれを暴くような無粋はしない。

 マールートは竜人である。悪竜である。最強にして無敵である。竜は小細工を弄さない。竜が必死になって策を潰そうとするなど、矜持にもとる。


「げあははははは! 可愛いものだのう、可愛そうなものだのう! 小さきものよ、よいだろう、乗ってやろうではないか!」


 どんな策であろうと、どんな技であろうと、正面から受け止め、そして踏みつぶす。

 それが竜人マールートの流儀スタイル


「この儂の討伐した地竜は! ──(確か)四柱! しかも貴様が目にした雛などではない、神話の頃より生き延びた生体の地竜どもよ!」

「おいおいおい……一頭だけじゃねえのかよ」

「しかもこれは単独討伐記録! 一党を組んで狩った数はもう少し増えるかのう! 東部の地竜はこの儂によって絶滅したといってもよいぞ!」

「あんたみたいなヤベエ奴が他にもいるっていう方がおっそろしいが……命は大事にしましょうって教わらなかったのかあんた?」

「おう、おう、命は大事よのう。この儂の前に立ったのだから、奴らは命を大事にできんかったのう」

「なんつー傲慢……しっかし、そんなにあっけなく狩られちまうなんて、地竜ってのは存外大したことないのか?」

「ひよっこの奇跡に恵まれたおこぼれと一緒にしてもらっては困るのう! この儂はよく覚えとらんしいちい測っとらんが、学者どもの言うことにゃ、でかいものは一六〇尺余りはあったそうじゃ!」

「一六〇尺っつーと……五〇メートル!? 怪獣じゃねえか!」


 およそ一六〇尺、現代帝国で用いられている交易尺において五〇メートルというのは、《竜骸塔》の装甲に用いられている甲羅のうち、同個体と考えられるものをつないだ際の推定全長から仮定されたものだが、推定値の最小であっても、現在確認されている最大個体よりも巨大であることは事実である。

 また、古い時代にはそれだけ巨大な地竜が存在していたというのはいくつかの文献からもおよそ間違いないことだという。


「ビルでいやあ十階とか十五階とかってとこか……どうやって倒したんだそんなもん」

「げあははははは! 地竜とて生物よ! 傷つければ血を流す! 血が流れれば死にもする!」


 そんな無茶苦茶な、とは思うが、紙月とて地竜の雛の討伐には生命力を吸収する《寄生木ミストルティン》の魔法を用いて絞り殺したのである。

 マールートには恐るべき毒炎がある。熱するだけで毒が通るのであれば、どれだけ巨大でも生命をむしばまれるのかもしれない。マールートは実際に伝説として、歴史として、そして単なる事実として、それを成し遂げたのである。

 タマの体形から考えても、地竜というものは縦にも横にも大きく、高さもさほど変わらない、おおよそ箱型で考えられる。超大型巨人じみた高さで、それが横たわったような横幅を持つ、バカでかい亀の怪物を想像して、さすがの紙月もひきつった。

 そんなのはレイド戦用のボスでも早々見ない。もはやステージギミックみたいなものではないか。真正面から戦うようなものではなく、条件を満たすことで勝利するような、そんな。


「それか巨大ロボでも欲しいとこだな……」

「なに、貴様もで、なのであれば、地竜殺しもすぐに覚えられるであろうよ! 地竜殺しは容易い業ではないが、しかし所詮はすでに成し遂げられることの判明したただの作業にすぎん!」

「それそれ、それだよなあ……! あんたプレイヤーを知ってるのか!? 俺の他のエルフを!」


 紙月は叫び、そして帰ってきた悪辣な笑みに身をすくませた。

 しまった、と思った。

 時間稼ぎをしているつもりだった。

 相手から情報を引き出しているとさえ考えていた。

 だが違った。むしろ読まれていたのはこちらだ。

 マールートが本当に求めていた一言が、紙月の口から飛び出たのだ。


「やはり! やはり! 一人一種の特異種族かと疑っておったが! ついに見つけたぞ!」

「ああー、待て待て待て、そう、そうだな、せっかく見つけたってんならもうちょっと楽しくおしゃべりをだな」

「それは貴様を宝物庫に並べた後でじっくり楽しむとしようではないか!」

「ああーっ! お客様困ります! あーっ!」


 もはや問答は無用とばかり、胸が大きく膨らむほどに息を吸い込んだかと思えば、そのすべてがどす黒い炎となって吐き出される。

 ドラゴンは毒の息を吐くというが、これはまさしくそれだ。

 軽くあぶられただけで雪は溶け、地面は焦げ、草木は腐り落ちていく。


 そんな炎をまともに受けるわけにはいかないと、紙月も咄嗟に魔法で迎撃する。


「まとめてくらえ! 《火球ファイア・ボール》!!」


 人間一人を軽く丸焼きにしてしまうような火球が、十六個まとめて毒炎に叩きつけられ、大爆発の果てに消し飛ばす。

 毒の炎に少しでも触れてはいけないと咄嗟の反撃だったが、中庭全体を揺さぶる衝撃に、紙月も少々焦る。個体強度の高い人間との戦闘経験が少なすぎて、手加減というものがわからなかったのだ。


「やっべ、生きてるか……?」

「無論だとも」

「おわっ……!?」


 ぶわり。

 何かの魔法を使ったのか、爆炎を一薙ぎで吹き飛ばし、竜人マールートは平然とそこにたたずんでいた。その身には傷どころか煤の一つもついてはいない。


「ただの蜥蜴人とでも思うたか? この儂の竜鱗りゅうりんはちゃちな魔法などとおしはせんぞ」


 それが高い魔法耐性を持つということなのか、単純に生物種として頑健すぎるということなのかはわからないが、とにかく、殺す気で攻撃しなければそもそも通りそうにないというのは驚愕である。


「どうしたどうした? よもやこれが精一杯などとは言うてくれるなよ、森の魔女ぉ?」

「へっ、まさかよ。とはいえ、これ以上の威力じゃ学部棟が危ないからな……どうしたもんかね」

「げあはははは、ならばおとなしく身を任せよ。それが一番というものだのう」

「やーなこった!」


 強がっては見たが、しかし虚勢だというのは自分でもわかっていた。

 紙月にはもっと強力な攻撃手段はいくらでもある。しかしこの世界での魔力の制御というものをまだ訓練し始めたところである紙月には、どうしても威力を高めようとすればの時間が必要になる。

 普段ならば未来の背中を見ながら余裕で仕込みができるのだが、身一つでそんな無防備をさらせば、あの竜人は見逃してはくれないだろう。

 こちらの攻撃を正面から踏みつぶすスタイルと言え、考えなしの迂闊な醜態をさらせば、興ざめとばかりに蹂躙じゅうりんされかねない。


「しゃあねえ……《水鎖アクア・ネックレス》!」

「ほほう、水遊びか。年寄りの冷や水とでもいうのかのう。それともかような水遊びで我が毒炎を鎮められるとでも思うたか?」

「その口ぶり、迂闊に水で攻撃しなくてよかったぜ……だが、これならどうだ、《冷気クール・エア》! 《突風ブロウ・ウインド》!」


 紙月の操る水の鎖が二人の間に張り巡らされ、結界じみて囲い込む。

 マールートはそれを毒炎対策かと嘲笑ったが、紙月の狙いはそこではない。

 水の鎖を通して繰り出されたのは、流れる水をも瞬時に凍らせる異界の冷気。さらに生み出された冷気は突風によって激しく打ち付けられる!

 ただでさえ厳冬で気温の下がっているところに水気すいきを満たし、急速冷凍もかくやの冷気が吹き付けられれば、やってくるのはマイナス三〇℃の凍結世界!

 張り巡らされた水の鎖が素早くマールートに巻き付き、瞬く間に氷柱へと変えてしま


「そおら! 凍えっちま、い、な……ああ?」

「げあはははは……蜥蜴は寒さに弱いとでも思うたか?」


 わない!

 変えてしまわない!


 マールートに襲い掛かった水と冷気は、瞬時に凍結して白い柱となったかと思えば、内側からの熱に容易く溶かされ、バキバキと音を立てて砕かれていく。

 零下の世界で、もうもうと湯気さえ立ち上っているではないか!


「この儂は竜を殺し、竜の肝を食らった。卑小な竜もどきに過ぎなかったこの儂は、まことの竜と成ったのよ。竜焔りゅうえんは絶えぬ! 世の果ての冬でさえ、竜を凍らせることなどできぬわ!」


 気炎を吐く、などという言葉があるが、マールートは文字通りに大言とともに毒炎を吐き出した。

 紙月の作り出した氷と風のフィールドが中心から焼き尽くされ、溶かされ、蝕まれていく。

 咄嗟に後ずさったというのに、わずかに熱を感じただけの場所さえが毒と呪いのバッドステータスにむしばまれていく。

 炎だけではないのだ。その熱さえもが毒を帯びている。


「《浄化ピュリファイ》……へっ、参ったな。こいつ、俺より強くね?」


 莫大な魔力のこもった炎を吐きながら、しかしマールートの体内にはなお膨大な魔力が輝いて見える。それどころか、それはいまなお回復し続けている。

 神の恩寵篤き公式チートの紙月の自動回復速度よりも、あるいはそれは早いのだった。






用語解説


・えるふ

 恐らくエルフのプレイヤーが五百年前にこの世界に転生していたもの。

 現在帝国では笹穂耳の特徴などは語り継がれておらず、また何かしら伝説的な所業が遺っているわけでもない。

 スローライフものとかも流行っていたので、マールートに功績を押し付け、本人はあまり目立つ気がなかったのではないか。

 なお《エンズビル・オンライン》においてエルフの寿命は少なくとも千歳以上とされ、イベントキャラには二千歳という設定も見られる。


・《閃光フラッシュ

 ゲーム内魔法|技能《スキル》。光属性の初級魔法。

 洞窟等の一部視界が制限されるエリアを明るく照らす特殊効果がある。

 ダメージはないが、レベルを上げることで「暗闇」「気絶」のデバフを与えることができるようになる。

 エフェクトがシンプルで派手なこともあり、エモーションの一環として活用されることも。

『光の魔術を練習するときは、画面を明るくして部屋から離れて見るんじゃぞ! ん? 逆かのう』


・《燬光レイ

 光属性の最初等魔法スキル。閃光を飛ばしてその熱で相手を攻撃する。

 光属性の特性として、「発動した瞬間に当たっている」という描写のためか、極めて命中率が高い。

『《燬光レイ》というのは気軽に使っていい呪文ではない。見えた瞬間には当たっている、この恐ろしさがわかるじゃろう。もっともわしにはいくら撃ってもきかんぞ。言い訳を聞いてやるのは今のうちじゃからな』


・《突風ブロウ・ウインド

 《魔術師キャスター》やその系列の《職業ジョブ》が覚える最初等の風属性|技能《スキル》。

 突風を生み出し相手にぶつけるというシンプルな魔法で、まれに転倒させる。

『ここには何がある? 無ではない。ここには大気がある。目には見えず、肌にも幽かに、しかしそれは大いなる力を秘めて居るものじゃ。少なくともわしのランチをひっくり返す程度にはな』


・《飛翔フライ

 《魔術師キャスター》の覚える風属性環境魔法|技能《スキル》のひとつ。

 空を飛ぶことで多少の地形を乗り越えることができるが、ゲームの都合上乗り越えられない地形もある。

『空を飛ぶというのは人類の夢の一つよな。羽ばたくがよい、若人たちよ。わし? わしは良いんじゃよ。爺さんのローブなんぞ覗いても仕方あるまい』


・《浄化ピュリファイ

 魔法|技能《スキル》の一つ。汚泥、汚損、毒、呪いといったステータス異常を回復させる。

『《浄化ピュリファイ》の術で気を付けにゃならんのは、カビの生えたパンにかけても、腹を下すか下さんかは運しだいちゅうことじゃな』


・一人一種の特異種族

 神々の遊戯盤たるこの世界には多種多様な種族が生きており、それは今も増えたり減ったりしている。

 時には雑種や、突然変異、また特殊な発生の仕方によって世界にたった一人の種族というものも生まれ得る。

 マールートもまたその一人である。

 

・竜鱗

 鱗に限らず、竜種の体には魔力が張り巡らされている。

 そのため、生きている間は恐ろしく強靭でありながら、死した後には素材として加工可能な程度には落ち着き、魔力を通せばまた強度を取り戻す。


・竜の肝

 正確には竜胆リンドウ器官。

 竜種の持つエーテル臓器。心臓の裏側にある、手で触れることのできないもう一つの心臓。

 ただそこにあるだけで、ただそこにあることが、ただそこにあるために、魔力を生み出し、生み出し続ける魔力炉。いのちの湧き出す泉。

 逆説的に言えば、竜胆器官を持つものが竜である。

 マールートは伝承の幻想としての竜の獣人ナワルであったが、地竜を食べた際に、竜ではあるが竜胆器官をもたない「空の器」として認識され、竜胆器官を取り込んで獲得した後天的な竜種。


・竜焔

 別にマールート火焔嚢(かえんぶくろ)的なものがあるわけではない。

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