第十話 空っぽのガランドウ

前回のあらすじ


悪竜人マールートの恐ろしさを語る学部長ガリンド。

邪悪なるかの怪人は、気ままに現れては書類に茶をこぼし、

高価な本を汚し、バスケでいい汗を流すのだった。







 帝都大学魔術学部長ガリンド・アルテベナージョは、見上げるような大鎧を何とかなだめながら、しかし彼に止めるだけの力もなければ、命じるだけの権威もないことを知っていた。

 いまこの強大な力を秘めた大鎧が……その声からしてずっと年若いだろう少年ミライがいまなおとどまってくれているのは、ガリンドのみっともない引き留めに同情してくれているからに過ぎない、


 森の魔女と盾の騎士。物語の中で盾の騎士はあくまでもその従者であり護衛という印象だったが、実際の彼らはそのような関係には見えなかった。二人は互いに対等であり、友人であり、仲間であり、相棒であり、それ以上のつながりが感じられた。

 その相棒を、守護者たるべきだった彼が目の前でさらわれてしまった動揺は強かっただろう。あのたおやかで儚げな、それでいて気さくで飄々とした魔女を今も思い、心配していることだろう。それでも彼は気丈にふるまい、いまも無事でいてくれることを信じて耐えてくれている。

 素晴らしい信頼だと思う。あの魔女、シヅキの気丈さと、悪竜如きに穢せるものではないという強い信頼だ。


 ガリンドは彼を、彼らを助けたいと思う。

 この場に招いてしまった者として、このような事件を見過ごしてしまった責任から、いや、それらがなくとも、ただ人として助けてやりたいとそう思うだろう。当たり前のことだった。苦難に立ち向かう若者を助け支えてやりたいと思うのは。


 だが、ガリンドは無力だった。嘆かわしいほどに無力だった。

 マールートに対して発言力がない。《竜骸塔》に抗議できるほどの政治力も影響力もない。みなを率いてあの悪竜を取り押さえるだけの人望も統率力だってない。

 だがそれだけではない。

 ガリンドには力がなかった。それは比喩的な意味だけではない。

 ガリンドは本当に無力で、無能だったのだ。


 助けたいと思う気持ちは本心だった。

 しかし湧き上がる気持ちは、その端からしぼんでいくのだった。

 彼は恐ろしかった。マールート。あの怪人の暴力が恐ろしかった。

 抗えないと思った。逆らえないと思った。

 なぜならガリンドは無力だからだ。

 その身に受けた暴力が、彼をますます無力感でさいなませた。


「……すまないな。ミライ。本当にすまない。私は君を助けたい。心から助けてやりたいと思う。だが……すまない……すまない……」

「そんな……学部長には、立場があるんですから、仕方ないですよ。誤らないで下さい」

「違う、違うんだ。私は……私は無力なんだ。私には何もしてやれないんだ」

「何をいってるんです?」

「私は……使


 根本的なところで、根本的な意味で、ガリンドはだった。

 帝国最高峰の学び舎帝都大学の魔術学部長という身でありながら、ガリンド・アルテベナージョは魔法が使えなかった。どんなにやさしい魔法も使えなかった。指先に火をともすこともできなければ、気づかないほどのかすかなそよ風を吹かせることだってできなかった。


「才能がないなどという言葉を、私は学生たちに断じて使わない。しかし、その私自身は、本当に、本当の意味で、才能がない。無才で、無能なんだ」


 それは魔術学部公然の秘密であった。

 ガリンド・アルテベナージョが学部長という職を任ぜられたのは、彼の類まれなる才能からでも、強い縁故があったからでも、また積み上げた金の力でもない。

 ただ、たまたまそのとき、そこにいたからだった。

 先代学部長が急病で亡くなり、その席を、その責任を、その職務を引き継ごうというものがいなかった。嫌々でもやろうというのが彼以外の誰もいなかった。そして断るには、彼は力がなさ過ぎた。非才で無能、魔法の使えない魔法使いに選択肢はなかった。

 誰もが嫌がる面倒ごとの尻拭い係というのが、学部長という威厳ある名の裏にある実態だった。


 それでも、なんとかやってこれた。

 混沌とした魔術部学部をまがりなりにも運営するにあたって、必要だったのは魔術師としての才能ではなく、事務屋としての、中間管理職としての才能だったからだ。

 ガリンドは日々問題を片付け、積み上げ、ときに押しつぶされながらも、彼なりに人脈を作り、学部を把握しようと努め、何とか日々を回し続けてきた。


 その間も、学ぶことだけはやめなかった。

 それをやめた時、自分は本当にただの事務屋に成り下がるのだと思ったからだ。

 たとえ実態がすでにそうなっていたとしても、意地まで捨てるわけにはいかないと。


 学んで、学んで、学んだ。

 書を読み、論文を読み、教授や博士たちの実験を検め、自らもまた思索を深め、検証を重ね、それで、それで。

 それで、どうにもならなかった。なんにもならなかった。

 なにをどうしようとも、彼には魔法が使えなかった。


「魔法に憧れた。魔法使いに憧れ、魔法の世界に憧れた。子供の頃からずっと憧れていた。だが、私にはんだ。魔法使いたちの言う精霊とか言うものは、私の目には何一つ見えやしない。記述だとかいうものを、描くことが私にはできない」


 彼の唱える学説さえも、誰かからの借り物だった。

 彼自身には何も見えなかった。ただ、積み重ねた事実と結果だけが、彼に見えるものだった。


 魔道具の設計図をいくつも書いてきた。

 誰かの翻訳済みの言葉を組み合わせれば、それは動いたからだ。

 彼自身には何一つ見えない世界の、見えない理屈は、それでも言葉さえ正しければ答えてくれるのだと。


「だがそれは、誰だってできるってことだろう。誰にでも扱える道具を、誰にでも作れる道具を、作って慰めにしていただけだ。おもちゃみたいなものだった」


 誰かの力になりたかった。

 なぜなら、魔法というのはそういうものだったからだ。

 素晴らしい力。素晴らしい輝き。この世界をもっと素晴らしく変えていける、そんな。


「私が学部長なんぞやっていられるのは、私が理屈屋で、書類仕事がいくらか得意だというだけだ。魔法も使えない魔法使いなど、誰にも尊敬されない。馬鹿みたいに増築された塔を見ただろう。それが隙を見ては爆発を繰り返すのも。馬鹿げた景色だ。誰かもっと素晴らしい人間が学部長だったら、そんなおかしなことにはならなかっただろう」


 マールートのように悪辣で暴虐なものでも、まだ尊敬を集め、人々の信頼を集めていた。

 ここしばらくの間やつが繰り広げた騒乱の中、学生たちは楽しげでさえあった。教授たちでさえ、その知見に触れ、恐るべき魔力の一端を知って盛り上がっていた。

 それらはすべてガリンドには与えられなかったものだ。


「魔法は信じる心だなどといったが、信じたところで何も起きやしない。私は君を、助けられない。すまない。すまないミライ」

「そんなことはないですよ」


 項垂れて、虚しい繰り言を重ねるガリンドの肩に、未来の手がそっと置かれた。


「そんなことはないんです。あなたは立派な魔法使いじゃないですか」

「魔法が使えない魔法使いがいるものかね」

「あなたが魔法を使えなくたって、あなたの魔法はみんなを助けているじゃあないですか」

「私の魔法だって?」

「たくさんの魔道具を見ました。廊下の照明や、この大講義室の床暖房。きっと他にもたくさん、あなたの魔道具がみんなを助けている」

「こんなことは誰にでもできる。私じゃなくたって、いつか誰かが、もっとうまいやり方で成し遂げていただろう」

「それでも、やり遂げたのはあなたじゃないですか。僕はあなたの書いてくれた回路図ほど精巧な魔道具を、他で見たことがありません。誰が書いても同じような魔道具が作れるというのなら、それこそあなたの魔法じゃないですか。誰にでも使えるものを、誰もが使えるように教えてくれたのはあなたじゃないですか」


 未来の生きてきた現代日本には、たくさんの便利な道具があった。

 科学技術が進み、どんな仕組みで動いているのかわからないような機械があふれていた。

 父の働いていた会社も、そういった機械の製造に携わっていた。それらは目立たなくても社会を動かす力だった。それらを生み出す知識や技術は、何もしないでも生まれてくるものではなかった。誰かが考え、その考えを積み重ねて誰かに伝え、その誰かがまた新たなものを生み出していった。

 それは魔法のような仕事だと未来は思う。


 未来が何気なく通っていた小学校で教えられることも、みんなそういう魔法の産物だった。

 誰が覚えて、誰が使っても、全く同じ結果を出せる。それはそうなるように磨かれ、大事に受け継がれてきたからだ。

 教えるということは、どんな魔法にも負けない素晴らしい魔法なのだ。


「ふふ……息をするように魔法を扱う、君たちのような天才に言われてもね」

「そんなことないです!」

「そうだそうだ!」


 うなだれたままのガリンドの背に、繰り返されたのは未来の声ではなかった。

 顔をあげればそこには学生たち。そして教授たちも。


「学部長、あなたがそんなに悩んでおられたとは……」

「確かに我々は、あなたのことを便利屋扱いしすぎていたかもしれません」

「だがあなたの論理的な考察や指摘は、我々の研究を整理する力になりました」

「あなたが新しく取り入れた教育課程は、旧態依然の漠然とした指導よりもはるかに効率的だった。悔しいことにね」

「先生に教えてもらったから、私は魔法が使えるようになったんです!」

「全然うまくいかなくって泣いてた俺に、付きっ切りで指導してくれました!」

「魔力が暴発しちゃって困ってたけど、魔道具ならって、魔道具科を勧めてくれてありがとうございました!」

「学部長が魔法使いじゃないなんて、私たち誰も思っていませんよ!」

「先生は誰より素敵な魔法使いだって、僕たちみんな信じてます!」

「みんな……みんな!」


 ガリンドのまなじりから熱い雫が零れ落ちた。

 こんなところで情けない泣き言など繰り返している場合ではないと、心に活力が満ち溢れていった。


「先生から学んだ知識でより強力な爆発ができるようになったんですぜ!」

「するなと言っているんだこのたわけッ!!!」

「ちょっとなにいってるかわかんない」


 かくして、さらわれの魔女を救出すべく、一同は動き出したのであった。






用語解説


・魔法無能力者

非常に稀ではあるが、魔法を扱えない、魔力を扱えない、見ることもできないという体質を持つ者がいる。

精霊が見えないものは多いが、ほんの少しも魔力を扱えない魔法無能力者は極めて稀であり、現代でも社会に理解を得られないことが多く、しばしば日常生活において不便を強いられることがある。

ガリンドは本人が魔法無能力者であることから、起動に最低限の魔力も必要としない魔道具を数多く設計してきている。

現代においては魔力暗室下での作業などに必須の体質であり、当時とはだいぶ扱いが変わってきている。

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