第三話 学部長ガリンド・アルテベナージョ

前回のあらすじ


あからさまな違法建築にひるむ《魔法の盾マギア・シィルド》の二人。

ヤバイ敵の相手は乗り越えてきたが、普通にヤバイ一般市民の相手は考えていなかった。






 学部長室、と真鍮しんちゅう製のプレートの掲げられた重厚なドアには、これまた真鍮製のヤギが輪を咥えた意匠デザインのドア・ノッカーが取り付けられていた。よく磨かれてはいるが、良い年の取り方をしていて、なかなか渋いくすみを見せている。

 現代日本人にはあまり馴染みがないが、要はこの真鍮の輪っかを打ち付けてノックの音を響かせて来客を知らせるものだ。


「ピンポンってことだね」

「まあ間違ってねえな」


 滅多に見ないだけに、ちょっとワクワクしてしまったが、紙月は大人である。ここはあくまでも大人の余裕を見せて、未来にこのノッカーを叩く役割を譲ってやろうとしたが、肝心の未来は真鍮のヤギを撫でて、こころなししょんぼりとした。


「どうした?」

「……いや、うん、期待しすぎたっていうか」

「あー……ファンタジー感、あるもんなあ……」

「うん……」


 なんとなく、察した。

 察してしまった。

 なにしろ、魔法学校的なところにある、動物モチーフのアイテムである。

 流暢りゅうちょうに喋るまではいかなくても、動いたり鳴いたりしてくれてもよさそうなものではあるのだが、残念ながらこれはただの真鍮の塊だった。


 紙月もファンタジーに胸弾む、ロマンを追うものである。手を伸ばしたら急に動き出して驚く、というサプライズを期待してしまう気持ちは、わからないもでもなかった。


「よし、じゃあ俺が代わりに叩くか」

「いやそれはそれとして普通に叩きたいけど」

「まあ、そうだよな。叩きたいよな。俺も叩きたい」

「急に素直に……じゃあ一緒に叩く?」

「ええ? なんかちょっと浮かれてる感じしねえ?」

「いや、だいぶ浮かれてるけどね」

「いつまでもそうしていないで入ってきなさい」


 不意に割り込んできた声に、二人は黙り込んだ。

 その呆れ果てたような声が、急に二人に気恥ずかしさというまっとうな感情を思い起こさせたのだった。


「えー、失礼します」

「お、お邪魔します」

「うん? 君たちはうちの学生ではないな」


 学部長室は品の良い上等な調度が並んでいた。棚に並ぶ本はみなそれ自体の重ねた歴史を思わせ、磨かれたデスクは飴色に年経ていた。

 いままで二人の知る限り最も貴族的なものは先代スプロ男爵であるアルビトロ翁の別邸であったが、学部長室の内装は品という意味ではそれを上回った。物語の貴族というものはこのような部屋に住まうのではないかとそう思わせるようなものであった。

 ただ、棚に戻されないままの本や、積み上げられた書類の束、若干の埃っぽさといった粗が、その中にどうしても目立っていた。

 それはだらしなさというよりも、いよいよ追い詰められた管理職の手の回らなさというものを思わせた。


 その追い詰められた管理職は、四十がらみの人族男性であった。いかにも貴族的といった上等な衣服に、分厚いレンズのメガネ。くすみのかかった金髪に、思慮深さを思わせる翡翠の目。神経質そうな目つきが細められて、二人をいぶかしげに見つめていた。


「ああ、どうもご挨拶が遅れまして。ご招待にあずかりました、森の魔女こと古槍紙月です」

「同じく、盾の騎士の衛藤未来です」

「おお! あなたがたが!」


 二人の名乗りに、男は思わずといった様子で立ち上がり、感極まったように両手を広げた。


「本当に流行りものみたいな恰好を!」

「すみませんね流行りものの出所で」

「ああ、いや、失敬! なにしろ当学部にも、お二人を真似するものが多いもので」


 実際、全身鎧姿はさすがに道中一人しか見かけなかったが、とんがり帽子はそこそこに見た覚えがあった。


 魔女といえばとんがり帽子というのはこのファンタジー世界においてさえ割とレトロな、おとぎ話的なモチーフであるらしく、森の魔女の登場以前は普通に失笑物のスタイルだったようである。それがいまや吟遊詩人や新聞社によってあることないこと噂が広げられた結果、魔法関係者の間ではある種のブームとなって親しまれているようだった。

 つまりこの世界に転生してきたばかりの紙月のスタイルというのは、コスプレで実戦に出てくるヤベーやつだったわけで、ブームの火付け役になった今となっては頭おとぎ話の格好で実績ガン積みしてきたヤベーやつなのであった。しかも顔だけはいい。むしろ顔がいいから流行ったのかもしれない。


 なお全身鎧はとんがり帽子に比べるとさすがに流行っていない。全身鎧を着込める肉体派はそう多くないし、そもそも鎧というものは基本的に高価なのである。

 それに鎧というものは本来戦闘に用いられる防具であって、まっとうなメンタルの持ち主なら普段からその姿で過ごしたりはしないのである。


「失礼いたしました。私は帝都大学魔術学部長、ガリンド・アルテベナージョと申します。本日はご足労いただきまことにありがたく存じます」

「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」


 挨拶を交わして、それから紙月は困ったようにちょっと笑った。未来も少し落ち着かないようだった。

 立派な身なりの、立派な肩書の人物に、こうもかしこまられるとどうにも居心地の悪い思いだったのだ。

 二人はいくつかの功績をあげてきたとはいえ、いち冒険屋に過ぎない。その功績にしても、世間的に広まっているのは地竜殺しの一件くらいであり、他は胡乱なものばかりだ。

 その地竜殺しだけでも結構な名誉とはいえ、実のところ二人にはあんまり実感がない。一般モンスターみたいな顔で普通にエンカウントして場当たり的に退治してしまったからだろうか。

 酒場ではそれなりに知られた名かもしれないが、しっかりした身分のあるものに敬われるほどのものではないように二人には思われた。


「すみませんが、なにぶん庶民の出なもので、偉い方にそう畏まられると落ち着きませんから。見学の学生かなんかと思っていただければ」

「フムン、それは、いや、そうかね。元老院議員の紹介とはいえ、まだ年若い。あまり堅苦しいのも息が詰まるというものか。よし、ざっくばらんに行こう」


 学部長ガリンドがそう頷いて気さくに手を指し伸ばし、二人と握手を交わした。

 それにしても、と未来は小首をかしげた。


「元老院議員?」

「ああ、レンゾー殿のことだな。あの方の紹介とあれば、私も安心というわけだよ」


 未来の困ったような視線が──兜越しなので多分だが──、紙月をちらりと見た。今までにもちらっと聞いたかもしれないが、小学生の未来は元老院議員というもの自体がよくわからなかったのである。

 紙月は非常に大雑把ではあるが「たぶん国会みたいなやつ」とささやいてやった。それを受けて未来は「立法機関かな。でも皇帝がいるんだよね。議会君主制ってやつ?」と何となく理解した。義務教育を割と忘れつつあるちゃらんぽらんな大学生と違って、小学校教育は意外と教えることは教えているのである。


 実際のところ帝国における元老院は皇帝の助言機関という名目の合議制統治機関である。皇帝は頂点ではあるが絶対ではなく、元老院と憲法の制限下において、合議によって国家の意思決定を行っている。

 議席は内席と外席に分かれ、内席は各部門に分かれた行政機関の長たる大臣が占め、外席は有識者や有力貴族などが席を持つ。


 などという話は今後たぶんしばらくは絡んでこないので、なんかそういうのあるんだねーくらいに覚えておくと何となく世界観の厚みとか深みとかそういう雰囲気が出てくるのかもしれない。


「はあ、安心、ですか?」

「うむ、うむ。レンゾー殿は商人ではあるが、魔術に関してもよくご存じだ。森の魔女などと聞いておとぎ話か吟遊詩人の流行り歌かと思ったが、彼の紹介だったら腕前の程も疑う必要はない。そして少し話しただけとはいえ、人品の程も全く申し分ない!」

「いやあそんな、普通ですよ、普通」


 特段謙遜というわけでもなく、むしろお世辞が過ぎると紙月は苦笑いしたが、ガリンドはそれこそ苦笑いを返して小さく首を振った。


「普通というのはだね、」


 ガリンドが口を開いたとたん、ずん、と重たい振動が部屋を揺らした。

 本棚の本が少しずつずれ、埃がぱらりと降って落ちる。

 すわ地震かと警戒する紙月と未来に、ガリンドはすっかり慣れたしぐさで揺れに耐え、口の中で腹立たしげな悪態までついて見せた。そして口元を手で覆ってそれをすっかり飲み込んでしまうと、「またどこかの愚か者が爆発したようですな」となんでもないことのように言ってのけた。


「魔法・魔術というものは、様々なことができるのだ。既知のことも、未知のことも。素晴らしきことも、愚かしきことも。そして残念ながら、それを学びきわめんとするものたちには、神官たちのような慎重さや敬虔けいけんさというものがいちじるしく欠ける傾向にある」

「あー、つまり、その……人品が?」

「在野の魔術師にこう尋ねるのも失礼だが、魔術師にまともなものが多いとでも?」

「うーん、否定できない」

「自分でそう言えるあたりが、ここでは人格者と呼ぶにふさわしい」

「よかったね紙月。僕たち人格者だって」

「ギルメンに聞かせてやりたいなあ」


 半ば現実逃避じみた顔で賛辞を受け止める二人であった。

 ゲーム時代に二人が所属していたギルド《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》のメンツは、基本的に言葉は通じるが会話をする気がないものばかりだったのだ。そしてそれは二人も例外ではない。

 合言葉は「こんにちは死ね!」だった二人が常識人扱いされていることを喜ぶべきか、異常者集団の巣窟に足を踏み入れてしまったことを嘆くべきか。


「改めて、ようこそ素晴らしき魔術の園へ。歓迎しよう」


 学部長の皮肉まじりの笑みとともに、再びの重低音と振動が部屋を揺らした。







用語解説


・真鍮

 銅と亜鉛の合金。黄銅(おうどう)とも。

 最も身近なものとしては五円玉硬貨があるだろうか。

 配合比で色味が変わるが、よく知られるのは黄金色であるため、小説などを読んでいて真鍮というワードが出てきたらだいたい金色なんだなあと思っていて間違いはない。

 比較的融点が低く加工が比較的容易、鉄鋼材よりさびにくく、また価格もほどほどと優秀な金属で、非常に多くの場面で用いられている。

 英名はブラス(brass)であり、いわゆるブラスバンドは主楽器である金管楽器の主材料が真鍮であることから。

 なお、ややこしい話ではあるが、金管楽器は音を出す仕組みによる区分であり、非金属の金管楽器も存在するし、金属製の木管楽器も存在する。


・メガネ

 メガネは帝国ではそれなりに高価ではあるものの、一般民衆でもがんばれば買えないことはない。

 また視力に合わせたレンズが高価というだけで、平面ガラスは比較的安価なため、伊達メガネは意外と普及している。ただそれも装飾が施された奢侈品ではある。


・流行りもの

 新聞社などで報道された結果、紙月のとんがり帽子スタイルは発祥地である西部よりも先に帝都で流行の兆しを見せているようだ。帝都人が流行りに乗りやすいというのもあるだろう。

 そして帝都で流行したものはほどなく各地へと伝えられていくので、もしかしたら地の果て辺境でも二人をモチーフにしたお菓子とかが売られているかもしれない。


・ガリンド・アルテベナージョ(Galindo Altebenaĵo)

 帝都大学魔術学部長。歴代最長の就任期間だが、比較対象は三日で飽きてやめたやつとか一年で胃に穴が開いたやつとか三か月くらいで行方不明になったやつとかなので、本人も誇るに誇れない。

 専門は理論魔術学であり、実践においてはこれといった実績を残しておらず、学部の教授や博士からは論文屋として侮られることが多い。


・元老院

 どうせ本筋には絡んでこないので、なんか皇帝と大臣とかが悪だくみしてそうなやつと思っておけばそんなに間違いではないかもしれない。


・「こんにちは死ね!」

 出会い頭に攻撃を仕掛ける、常在戦場といえば聞こえはいいが蛮族すぎるスタイルを揶揄する言葉。

 紙月と未来は基本的に相手との相性を事前に調べてしっかり準備してから挑むスタイルではあったが、GvGつまり対人の集団戦においては見つかったら防御固めて相手が死ぬか自分が死ぬまで砲撃するという脳死プレイになりがちだったので、大体間違ってない。

 というかおおむねほとんどのプレイヤーは敵を見つけたらこの合言葉が出てくるのが基本ではある。

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