第九話 狂炎にまみえる

前回のあらすじ


追跡行のさなかに遭遇したのは、村長。

不穏な会話に不穏な行動。果たして……。






 吹き飛ばされ、跳ね飛ばされ、それでもなお追いすがろうとしてきた村人たちをはるかに置き去りにし、阻む木々を悪気なくいくつか圧し折り、小さな地竜タマはようよう足を緩めた。

 未来の広げていた風の盾はとうに収められ、静かな山の気配がしみいるように感じられた。


 手狭なタマの背から、巨躯の武僧と大鎧の少年は雪上に降り立った。というより半ば沈んだ。

 山中の雪は、人の手も入らず、深く、そして柔かった。

 膝までたやすく埋まるほどだから、それを見て紙月は降りるのをあきらめた。こんな雪の中に、自他ともに認めるもやしが沈んでしまったら、今度こそ正真正銘のお荷物である。


「さーて……いよいよ完全に山ン中だな」

「とはいえ、この辺りは浅いところですな。ご覧あれ」


 武僧ウールソが指さしたのは、なんの変哲もないような木立である。


「このあたりは馬栗ヒポカシュターノばかり。植林したのでしょうなあ」

馬栗ヒポカシュターノ……そういえば、言ってたっけ。保存食にもなるっていう」

「雪崩対策にもなるっつってたな」


 未来は、ワドーにもらった苦いクッキーを思い出していた。

 決しておいしいものではなかったが、しかし馬栗ヒポカシュターノは貧しい農村にとって貴重な食糧だ。

 どの家も屋根裏には馬栗ヒポカシュターノを備蓄しているというし、どれだけ手間がかかっても食べるために、食べていくために労を惜しまない。

 この村では雪崩の影響を減らすための防雪林としての役目もあるようだったが、そうでなくとも馬栗ヒポカシュターノというものは貧者の糧であり、たとえ領主であっても軽々にこれを奪ったり、まして木を切れと命じることはできないという。


馬栗ヒポカシュターノ一揆などというのも、一昔前にはあったそうですなあ」


 飢饉の折に、乏しい農村から税としてほとんどの作物を持っていくばかりでなく、愚かにも非常食の馬栗ヒポカシュターノまで取り上げようとした領主に村人が激怒し、立ち上がったのだという。

 これが実際にあった事件なのか、それとも領民を追い詰め過ぎれば酷い目に遭うぞという教訓譚なのかは判然としないが、各地で語られる馬栗ヒポカシュターノ一揆の結末はたいてい、「そうして悪徳領主の首は柱につるされました」となるらしい。


 ブランフロ村においても馬栗ヒポカシュターノは重要で、一つに食料、一つに木材や薪、一つに雪崩対策と、重宝されている。

 それは村の開拓がはじまったころからそうであり、そして今ではアンドレオなどの若手によって計画的植林や伐採などが行われ、村の帳簿にも事細かに記されるほどだという。


「てーことは、この辺りは結構人がうろつく程度の浅い所って感じか」

「で、ありましょうな。雪のない時期であれば、村人も柴刈りや、家畜の餌やりにうろついておりましょうなあ」

「そうなると、そんな人の目があるところには氷精晶グラツィクリスタロは隠しておかないよね」


 この段になっては隠しておいても仕方がないと、《魔法の盾マギア・シィルド》の二人はウールソにある程度の事情を話していた。

 一応依頼人に関しては「さるやんごとなきお方」と曖昧な言い方でごまかしておき、氷精晶グラツィクリスタロの過剰備蓄の疑いがあり、二人は冒険屋としてその調査に来たのだということにしておいた。

 ウールソもベテランの冒険屋らしく、つまり貴族がらみの依頼の面倒くささなどをよくよく承知していたから、深くは突っ込んでこなかった。


「さっき村の連中は、氷室がどうとか言ってたな」

「三号とか二号っていうのは、いくつもあるってことかな」

「話の中では五号まで聞こえ申したが、それですべてとも限りませぬなあ」


 氷室というのは、自然の洞窟や、断熱材で作った小屋などに、冬の間に雪や氷を詰め込み、夏の間も少しずつ溶けながら保ち続けるある種の保冷庫だ。氷自体をもたせるためのものもあるし、食材の保管に用いることもある。

 この世界では氷精晶グラツィクリスタロというものがあるから、それを詰めた保冷庫も氷室と呼ぶ。


 村人が漏らした「氷精晶グラツィクリスタロが空っぽに」なっているという発言からして、くだんの氷室は後者のものであろうし……穿って考えれば、氷精晶グラツィクリスタロだけを備蓄したものと見てもよさそうだった。

 それが最低でも五つある。


 紙月たちの何の根拠もないざっくりとしていい加減な想像では、どこか一か所に大量に氷精晶グラツィクリスタロが積み上げられている、という非常に大雑把な絵面が展開していたのだが、そう単純でもないようだった。


 しかも、複数の氷室を探さなければならないのか、となるところが、その氷室はすべて空っぽにされてしまっているのだという。

 紙月たちが何かするよりも前に、すでに氷精晶グラツィクリスタロは何者かに奪われてしまっていたのだ。

 村人もそれに気づいて先ほどのように慌てていたのだろうが、これには参った。


 村人たちの隠し事を、紙月たちが暴くというシンプルな構図が、第三勢力の密やかにして速やかな犯行によって大きくこじれてしまった。


「あれ? でも誰かが持ってっちゃったなら、いまは一か所に集まってるんじゃない?」

「……おお! それもそっか!」

「しかしそれがどこかはわからぬままですなあ」

「おおぅ……それもそっか……」


 氷精晶グラツィクリスタロが一か所に集まっている、というのは分散しているよりもいいことのように思えるが、結局はそれがどこにあるか探さなければいけないのは変わらない。

 むしろ村人以外の第三勢力の仕業ということもあって、余計難易度が上がったかもしれない。

 紙月たちはこれから手掛かりなしでその場所を探さなければいけないし、行く先ではその第三勢力の妨害や、ともすれば交戦もあるかもしれない。

 それだけでなく後方からは、引き離したとはいえ、この土地を知り尽くした村人たちが追いかけてきているのだ。


「タマに乗って逃げれば引き離せるけど、僕らは山の中のことわかんないもんね」

「ウールソさんはここらへんのことはどう?」

「多少はわかり申すが、山籠もり中は村のものを避けておりましたからなあ」


 かえって村の施設や、村人の通るルートなどは詳しくないという。

 とはいえ、山の中の歩き方などはよくよくわかっているし、なによりここでもベテラン冒険屋としての勘が冴えわたっていた。


「とりあえずは、あちらですな」

「えっ、なにかわかるんですか!?」

「うむ、足跡が」

「あっ」

「あっ」


 ウールソの指差す先を見れば、そこには山奥へと向かういかにも乱れた足跡が見て取れた。

 山の入り口あたりは、まだ村人たちの足跡が錯綜していたが、このあたりまでくるとほとんどが踏み荒らされていない新雪ばかりである。

 その中を、まっすぐに山奥へと向かう真新しい足跡が一組。

 注意力のなさを露呈して恥じる二人を生暖かく見守るウールソとタマであった。


 足跡を追って、一行はさらに山奥へと向かっていった。

 奥へ向かうにつれて、空気は一層冷え込み、時折吹く風は勢いを増し、柔らかな新雪を散らしては強烈な地吹雪となった。そうなると、足を止めざるを得ない。

 そして、止めばまた進みだす。進めば進むほどに、この山は険しい冬を深めていくようだった。


 こんなに雪深く寒い中でも、濃い緑を広げる針葉樹が、一帯にはまばらに広がっていた。

 極寒の世界にも適応する自然の強靭さに感心し、また思ったよりも障害物が少なく歩きやすいことに感謝した二人に、しかしウールソは浮かぬ顔をした。


「木々がまばらということがどういうことかわかりますかな」

「んんー……土がやせてる?」

「標高が高いとか、伐採しちまったとか?」

「いろいろと理由はあり申すが……この辺りは雪崩が多いとのことでしたな」

「ってことは……雪で流されちゃったってことですか?」

「少なくとも、若木が育ちにくくはありそうですなあ」


 木々が密に育っていれば、雪崩は起きづらいし、起きてもそれに押しとどめられる。

 しかしすでにまばらであるということは、頻繁に雪崩が起きて、木々が生育しづらいのではないかと想像できる。

 遠くに目をやれば密な森林も見えることから、この辺りが特に雪崩の起きやすい、雪崩の道とでもいうべき地帯であるとあたりはつく。

 あるいはアンドレオたちが被害を減らすために、小規模な雪崩をここで起こしているのかもしれなかった。


 雪崩を恐れるならば、道をそれて木々の密なあたりに避難したいところだが、地吹雪にさらされながら見え隠れする足跡は何の根拠があってか、このまばらな山道をひたすらに上っているのである。

 危険度の高い道を堂々と歩いているあたり、少なくとも村人ではなかろうという予想は立つので、逆説的に考えて第三勢力のそれであろうから、これを見失うわけにもいかない。


 しかし焦りも不安も、割とすぐに解消された。

 山道とはいえ、木々がまばらで割合見通しがよく、そして相手は雪道に慣れていなかったので、結構すぐ見つけたのであった。

 その露骨に目立つ背中を見つけた時の二人の気持ちは、なんとも言えなかった。

 恐れはある。警戒もある。不審もある。

 なぜここにいるのか。なぜこいつがいるのか。


 そこにいたのは因縁深い細身の鎧姿であった。

 身にまとうマントは揺れる炎のようにきらめく。

 溶岩をそのまま杖の形に冷やし固めたような艶のない黒い杖には、汲み出してきたばかりのマグマのように輝く宝石がはめ込まれていた。

 その男を、二人は知っていた。

 その男もまた、二人を知っていた。


 聖王国の破壊工作員。

 恐るべき炎の魔術師。

 三度にわたり《魔法の盾マギア・シィルド》の二人と対峙しながら、いまなお勝負のつかない因縁の宿敵。

 その名は、絶えぬ炎のウルカヌス。


(……またこいつかあ)


 ぶっちゃけ、そんな気持ちだった。

 正直、薄々そういう展開もあるんじゃないかなあとか、思っていないでもなかったのだ。

 こういう重大なイベントには、なんか出てきそうというか、そんな予感が。


「ええいくそ、なんだこのふざけた歩きにくさは……! 貴重な水資源をこんな形で浪費しおって、ふざけた自然だ……! ぐおっ、また視界が……!」


 いまも地吹雪にあおられ、自然現象にケチをつけるというなかなか見ないキレ方をする男を、できれば見て見ぬ振りしたかった。

 聖王国の破壊工作員であるし、実際に帝国に通商破壊作戦を仕掛けていたような危険な男であるし、聞いたところでは指名手配もされているらしいので、捕まえてやるくらいの気概でいたほうがいいのかもしれないが、しかし。


「割と面倒くさいんだよなあ……」


 紙月、心底からの一言であった。

 実力があるからまともに戦闘をするのも面倒なのだが、それ以上にこう、なんというか、面倒くさい人間なんだよなあという気持ちでいっぱいだった。

 横でそれを聞いていた未来は、多分向こうもおんなじこと思ってるんだろうなあ、とは口に出さないでおいた。

 できれば積極的に相手をしたいような安い相手ではないのは確かだったからだ。


 しかし二人が見逃したくても、向こうのほうから気づいてしまっては、もはや仕方もない。

 先ほどまで雪に足元をとられてキレていた男は、追いかけてくる一行の気配に気づくや、マントを翻して振り返った。


「貴様……フルヤリ・シヅキ」

「ああ……出遭っちまったな、絶えぬ炎のウルカヌス」


 互いに心底面倒くさそうな声なのがまた、妙なシンクロである。

 互いにライバル意識のようなものはあるが、それはそれとしてお互いに今はそれどころではないのだった。


「ほんっとに、どこにでも湧くな……」

「ええい、人を害虫のように! 貴様こそ邪魔ばかりしおって!」

「邪魔してんのはそっちだろ!」


 低レベルな言い争いをする二人を眺めて、はてさてと未来をうかがったのは事情を知らぬウールソである。しかしうかがわれても、未来としてもなんと説明したものか困る。

 あまり詳細に説明するとどこで機密に引っかかるか分かったものではないし、そもそも詳細というほどこの男について知っているわけでもない。

 謎の怪人物としか言えぬ男なのである。


「えー……なんなこう……妙な因縁のある、凄腕の魔術師、かなあ」

「フムン。どちらが?」

「え? ……あ、そっか。この言い方だと紙月も当てはまらないでもないですもんね」


 しれっと二人して凄腕の魔術師たちをコケにしている。


 未来は強力な炎遣いであるウルカヌスに合わせて、一応水属性の盾である《グラの水瓶》に切り替えた。これは大きな水瓶のような意匠を持つタワーシールドであり、上部から常にあふれ出る清らかな水が、盾全体を流れて濡らしているものだ。

 幸いにもその水は、何かしらの神秘的なものらしく、滴り落ちて足元を濡らすということはなく、また寒さに凍り付くということもなかった。

 まあ、ただのそういうエフェクトだし、などと言う夢もロマンもないことは口には出さない。


「ええい、いまは貴様らの相手をしている暇などない! とっとと失せろ!」

「そうはいくか。いったい何を企んでやがる!」

「貴様らには関係のないことだ」

「力づくで吐かせてやってもいいんだぜ……?」

「ほほう、ここでやりあう気か。もろともに雪崩に巻き込まれる覚悟はあるか?」


 互いに杖を構えて、いまにも壮絶な魔法の撃ち合いを始めそうな剣呑さだが、このふたり、前回会ったときはクッソくだらない意地の張り合いで倒れるまで魔法使って引き分けてるんだよなあ、などと未来は遠い目をした。

 熱くなったような演技をしているが、実際のところ紙月にその気がなさそうなので、安心してみていられるのだ。本当にやりあうつもりであれば、まず真っ先に未来に合図が飛んでくるのだから。

 むしろこれは、相手のほうを熱くさせて反応を引き出しているのだろうが……あいにくと、時間がないのは確かなのだ。


 未来はちらと紙月に目をやる。

 紙月もそれに目で答えた。


「あなたも氷精晶グラツィクリスタロを狙ってきたの?」


 投げかけた問いかけに、ウルカヌスは答えず、まず呼吸をいくつか重ねた。

 思案。兜に隠された表情は変わらないが、思考を巡らせているのがわかった。


「何をしに来たかと思っていたが……調べはついているようだな」

「じゃあ、やっぱり……!」

「そうだ。この村の連中は情報素結晶体を……氷精晶グラツィクリスタロをため込んでいた。それも臨界量に達するに十分なほどにな」


 絶えぬ炎のウルカヌス。

 この男もまた、この村の裏で進行していた冬の強まりを抜け目なく見抜いていたのだ。

 紙月たちは錬三や帝国の諜報のもたらす情報をもとに確認にやってきた。この男は単身でそれを探り当てたというのだろうか。あるいは、帝国もまだつかめていない、聖王国工作員による何かしらのネットワークが存在するとでもいうのだろうか。


「最初は単なる備えだったのだろうよ。領主が税として認める財だ。値崩れを起こさぬよう放出量を慎重に抑え、たとえ不作であっても代わりとできるように、常に余裕を持たせていたのだろう。常に少し余る程度、毎年ほんの少しずつ。だがそれが何十年と積み重なれば、山にもなろう。一つの倉庫では収めきれず、いくつもの蔵を建て増して……ただの備えはもはや呪いのごとき因習となって、捨て時を見失って肥大していくばかりというわけだ」


 男の目には、積み上げられたその山が見えているようだった。

 誰かがはじめた小さな習慣が、もはや誰にも止められない秘密になってしまった。

 どうにかしようにも、その莫大な量のやりどころなどあるわけもない。

 自然下の氷精晶グラツィクリスタロなど春になれば溶けるのだから、採取をやめて、ため込んだ分を少しずつ切り崩していけばいい、などとは、もはや誰も考えられなくなっていた。

 それは冬を長引かせる害悪となり果ててしまっているかもしれないが……それでも、莫大な財であることも確かなのだから。

 いつかのため、もしものため、何かあった時のため……来るかどうかもわからない万が一に備えて、手放すことなどできないのだ。


 炎の魔術師は、そんな村人たちの弱さを嘆くように頭を振った。


「あれだけの量だ。いくらかの塊が励起状態になれば、連鎖してすべての氷精晶グラツィクリスタロが反応を起こすだろう」

「精霊災害……!」

「そんなことになったら、大変なことになるぞ!」


 できの悪い生徒の珍しい正答に喜ぶように、ウルカヌスは盛大に両手を広げて見せた。


「そうだ。大変なことになるだろう。だからこそ、私はこんなクソ寒い山を登ってきたのだ。凍り付きたくなければ、とっとと下山するがいい」

「そこまで聞かされて、黙って行かせるかよ!」

「ええい、物わかりの悪い……! !?」

「なに……!? 何を言ってる!?」

「だから、!」


 激昂した男の言葉に、一行は顔を見合わせた。

 混乱。当惑。戸惑い。


「あんたが……氷精晶グラツィクリスタロを奪ったんじゃないのか?」






用語解説


・《グラの水瓶》

 ゲーム内アイテム。

 水属性高レベル盾。

 装備者に水属性を付与。

 水属性の《技能スキル》の効果を底上げする。

 《技能スキル》使用時などに水があふれだすエフェクトを生じることから、プレイヤー間では「おもらし」などと言われることも。

 『人々は女神の水瓶を畏れた。時に癒しを与え、そして時にはすべてを押し流す』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る