第七話 追跡
前回のあらすじ
客人の正体はまさかのあの男。
不穏な交渉は、決裂し……。
朝日に雪のきらめく気持ちの良い朝のことである。
「頭いてぇ……えぼぢわるいぃ……」
「だからさぁ……毎回のことなのに、なんで毎回飲み過ぎちゃうかなあ……」
気持ちのよろしくない声を上げて悶絶する紙月に、未来はため息をついた。
風呂から上がって帰ってくれば、紙月は手足を投げ出して眠りこけており、布団をかけなおして寝てみれば、朝にはこの始末だ。保護者どうした。せめて保護者らしくあってくれ。そう思わないでもない未来だったが、いまさらと言えばいまさらである。
「うううぅ……死ぬぅ……死んじまうよぉ……」
「二日酔いで死んだ人はいないよ……多分だけど」
反射的に突っ込んでしまったが、未来はそこまで飲酒に詳しくない。父も酒を多量に飲む人ではなかった。
急性アルコール中毒で亡くなることがあるという話は聞いたことがあったが、二日酔いというのは、それとはまた別のものという認識だった。
しかしまあ、急性アルコール中毒にせよ、二日酔いにせよ、そこまで体に悪影響が出るものはもはや毒なのではないだろうかと未来などは思う。
この世界に来てすぐに、事故で飲酒してしまい我を失ったことがあったが、その時の未来はかなりの醜態をさらしたらしかった。一応覚えてはいるのだが、その時の記憶は酩酊というもののせいなのか、奇妙に歪んであやふやだ。
そりゃあ、その時は楽しかったような気もするが、それでもまともでなくなるのは確かだ。
いっそ規制したほうがいいんじゃないかなあ、とぼんやり思ったが、それを実際にやったのが禁酒法というものなので、世の中はそううまくはいかないものである。
「うぐぅう……未来ぃ……」
「はいはい、ジュース飲んでね」
昨日着たまま寝てしまった服からは、特有の甘ったるいにおいがした。
紙月特有の、ではなく、二日酔い特有の、だ。酒臭いともいう。
なんだかそれにも慣れてしまって、未来としてはもんにょり悲しい。
ベッドから上体だけ起こした紙月に、瓶入りのジュースをちびちび飲ませてやる未来。
これはただのジュースではなく、《エンズビル・オンライン》の回復アイテムで《濃縮リンゴジュース》という。
効果は大きく、《
もっとも、今は体力回復効果というより、二日酔いには水分と糖分がよいと聞いたからのことであるが。
いままで二人は、ゲームアイテムは補充できるのかわからなかったので、消耗品は割とケチっていた。
だが、ギルド《
そのレンゾーから、あまり便利に使いすぎると既存の価値観などが崩れかねないので気を付けるようにとの注意は受けていたが、個人消費においては気軽なものである。
「いやでも、二日酔いで使うのは気軽過ぎかな……?」
というか、二日酔いなどというものは、紙月が《
にもかかわらず、紙月はなかなかそうせず、こうしてだらだらと辛い苦しいしんどいともだえるのである。
マゾなの? ドMなの? 乏しい知識から、未来はそんなことを思ってしまう。まあ《エンズビル・オンライン》で最高レベルまで鍛えてプレイスタイル確立してるような連中は、多かれ少なかれマゾヒズムめいたプレイを越えてきたわけだが。
まあ、しかし、それでも。
「もう、仕方ないなあ、紙月は」
こうした頼られるのは、うれしくはあるのだ。
もしかしたら、自分が甘やかすから紙月もだらだらと甘えてくるのではないかとうっすら思うのだが、しかしそうだとしても、甘えてくれるのはうれしいのだ。
もしかしたらのもしかしたら、紙月もそういう未来のことをわかっていて、未来の自尊心とか満足感のために甘えて見せてくれているんじゃないかとか、ほんとにちょっぴり思ったりしないではないが、考えないようにしている。
まあ、それはそれとして、いつまでもダラダラしているわけにもいかない。
いまは一応仕事中なのだ。
寒いとごねる紙月から、早く起きなよと布団をはぎ取る。
鬼だの悪魔だのと罵声と悲鳴が上がったが、物事には限度がある。
甘えてくれるのはうれしいが、朝の時間は限られているのだ。
昨夜のうちに汲んでおいた桶の、恐ろしく冷たい水で手早く顔を洗い、未来は一人部屋を出た。
廊下は、恐ろしく寒い。暖められた部屋の中から出てきたから、特にそう感じる。
その冷気から逃れるように、気持ち早足に客間へ向かってみると、すでに身支度を整えたウールソが暖炉の火にあたっていた。
大柄なウールソが、小さくさえ見える椅子にちょこなんと座って火にあたっている姿は、なんだか絵本のクマのようで、すこしほっこりする。
とはいえそのウールソは取り込み中のようだった。
そのそばに寄り添ったポルティーニョが、なにやら真剣な顔で言い募っているのである。
「おはようございます……どうしたんですか?」
「ああ、ミライ君! ちょうどよかった!」
「ええ……?」
「うむ、うむ。なにやらこちらのお嬢さんがお困りのことでしてな」
ポルティーニョは困ったようにこう切り出した。
「おとんがいないの」
「アンドレオさんが?」
日が昇る前から、ポルティーニョは起き出して朝の仕事を始めている。
いつもは父のアンドレオも同じような頃合いに起き出して、軽く朝食を済ませてから仕事に出る。
ところが今朝は、ポルティーニョが朝食を用意しても姿を見せず、不審に思って部屋を訪ねても返事がない。入るなとは言われているものの、気になって開けてみると、父の姿はなく、山歩きに用いる装備もなくなっていたのだという。
「そりゃ、朝早く出ることもあったのよ。夜の内になにかあったとか、山の空気がおかしいとか、あたしにはまだよくわかんないけど、そういうので。でも、そういう時だって、ちゃんとあたしに一言残してくれてたのよ」
父一人娘一人の暮らしである。
まだ寝ているから起こすのも忍びないと考えるよりも、無理に起こしてでも事情をきちんと説明して、行き先を説明してから出ていくのが常であったという。
もしそうしなければ、どこかで行き倒れでもしても、なんの手掛かりもないのである。そして残された娘は、父の安否どころか居場所さえも分からずに不安のままに過ごすことになるのだから。
だから、このように黙ってどこかへ行ってしまうというのは、今までになかったのだという。
「おとんのお客さんにも聞いてみたんだけど、知らないって、すごく驚いて……」
「フムン」
未来は昨夜会話したあの客人を思い出した。
とても理知的で、なんならこちらの世界で接した人間の中では一番大人なんじゃないかというくらいできた人だったように思う。
アンドレオとの関係はあまり親密というほどではないようだったが、それでも頼って訪れたその人が行方不明というのは、あの客人も落ち着かないことだろう。
「じつは昨夜、仕事を終えて、おとんにお休みを言いに行ったの。でも、部屋の中から言い争うみたいな声がして……」
結局、怖くなってその夜はそのまま部屋に戻ってしまったらしいのだが、目覚めてみれば父の姿がないのだ。あのとき多少強引でも顔を出していれば、とポルティーニョは嘆いた。
客人もそのことを言い立てられて責任を感じたのか、捜索に手を貸してくれるとは言ってくれたが、雪にも慣れていないようだし、土地勘もない。期待はできないだろう。
「ウールソさんは冒険屋なんでしょう? 山にも慣れてるって。だから、おとんのことを探してほしくて……」
「拙僧も気がかりではありますが、何分雇われの身ですからなあ。勝手はできぬ次第で。雇い主殿はいかがなされるか」
未来はその場で頷こうとして、踏みとどまった。
それから少し待つように言って、部屋まで駆け足で戻るや、端的にいま聞いた話を紙月に告げたのである。
相談とも言えないざっくりとした報告を聞くと、あれほど二日酔いでうなっていた紙月はするりとベッドから起き出して、プリセット登録していた戦闘用の装備に瞬時に切り替えた。
未来もまた、燃え上がる炎を模したような
そこに雪山であることを考えた装備をつけ足しながら部屋を出て、歩きながら未来に詳細を聞いた紙月は、静かにうなずいてこう言った。
「わかった。行こう。…………ところで臭うか?」
「お酒臭いよ」
「《
感謝して頭を下げるポルティーニョに、もしかしたら入れ違いで帰ってくるかもしれないから留守番をしているように伝えて、《
厩舎でまどろんでいたタマも、呼べば寒いのにすんなりと起き出して、三人についてのしのしと歩き出した。
とはいえ、行き先がわからないのだから、探すにも方策がない。
朝も早く、出歩く村人も少なそうで、証言も期待できない。
「なあ未来、お前の鼻で追えないか?」
「どうやってさ。においを嗅げとでも?」
「ああ、そうさ。獣人だし、できないもんかな」
「…………うーん。だめかな。におわない」
「なにも?」
「うん」
「まったく?」
「そうだってば」
犬扱いされているようでちょっとムッとはしたが、しかし獣人としての未来の感覚が、使える道具なのは確かである。
とはいえ、計画性もなく鼻をひくつかせても、さっぱりわからない。
一応アンドレオのにおいは覚えていたが、このあたりはもともとアンドレオが日々を過ごしているのだ。古いにおいも新しいにおいも混ざりあって、よくわからない。
この新しい鋭い感覚を未来はまだうまくあつかえていなかったし、あるいはそもそも本物の犬ほどは強くないのかもしれなかった。
「フムン、ここは拙僧が」
「ウールソさんが?」
ウールソは迎賓館のぐるりを見て回って、それから一つの足跡を示した。
「これですな。これを追いましょうぞ」
「これがアンドレオさんの足跡なんですか?」
「おそらくは」
足跡にも新しいもの古いものとあって、これは新しいものであるという。わかりやすい特徴で言えば、ほかの足跡の上などを踏んで、いちばん上に残っているのだ。そしてそれは迎賓館から外へと向かっているから、出ていったアンドレオのものとみていいだろう。
ほかに新しいものとしては、少し出て戻っていった小さな足跡はポルティーニョのものであろう、またどうにもぎこちなく歩きなれていないようなものは例の客人のものであろう、とこの武僧は看破して見せた。
そしてその足跡ををたどりながら未来が鼻先を寄せてみると、なんとなくアンドレオのにおいがするような気もする。
「この先……ってことは」
「山奥に向かってるね。二の村か……三の村まで行ったのかも」
「あるいは
「密猟ならぬ、密採掘って? それだとまだ平和でいいんだが……」
この村には
そしてアンドレオはその
昨晩、客人と言い争った結果、何らかのアクションに出たとすれば、絡めて考えてしまうのも無理はない。
途中、村の若者に会って話を聞けば、アンドレオが山に向かう姿を見たという証言も得られた。
嫌な予想が、固まり始めていた。
一行は雪道を急いだ。
◆◇◆◇◆
一行を見送って、ポルティーニョは崩れるように椅子に座り込んだ。
父の客人も捜索を手伝ってくれると言って出ていった。いかにも強そうな冒険屋を護衛にしたミライたちにもお願いした。でも、どうだろうか。父はどこに行ったのだろうか。父は見つかるのだろうか。
近所の人にも相談したけど、みんな考えすぎだと取り合ってくれなかった。アンドレオが村のあちこちへと仕事に出向く姿は、みんなが知っている。でも、娘の覚えたわずかな違和感は、ポルティーニョにしかわからないものだ。
ポルティーニョだって、そう信じたい。
ちょっとした勘違いなのだと。父はすぐ帰ってくるのだと。
声を荒げる娘に、「そうか」と短く返してくれるのだと。
だがきっとそうではない。そうはならない。
ポルティーニョはどこかでそう感じていた。
父は強い人だった。
腕っぷしを自慢するような、喧嘩を好む人ではなかった。でも、誰よりも忍耐強く、誠実に仕事に取り組む人だった。驚くほど大きな魔獣を仕留めてきたこともあったし、突然の雪崩をしのいで生きて帰ってきてくれたこともあった。
父に何かがあったなんて、想像することさえ難しい。
けれど、父が声をかけてくれなかったのは、これが初めてだった。
ポルティーニョが幼いころは、父はどこに行くにも娘を連れて行った。村長が家で預かってやるといっても、腰に縄でつないででもかたくなにポルティーニョを見守り、その成長を支えてくれた。
大きくなって、一人で留守を守れるようになってからも、父は何くれとなくポルティーニョを気にかけてくれた。出かける前には必ずどこに何をしに行くと教えてくれて、いついつまでには帰るといってくれた。予定が急に変わった時も、必ず村の誰かに頼んで
反対に、その父のまめまめしさを綺麗に受け継がなかったポルティーニョが、何にも言わずによその手伝いに行ったり、遊びに行ったりしても、父は必ずポルティーニョを見つけてくれた。
友達と喧嘩をして一人で泣いていた時も、仕事道具を壊してしまって怖くなって隠れていた時も、自分の体が変化していくことが急に恥ずかしくなって家を飛び出してしまった時も、その度に父は夜遅くまでだって探して、ポルティーニョを見つけ出してくれた。
ポルティーニョも、父がそうしてくれたように、父を探しに出るべきだろうか。
けれど、父が留守を任せてくれた迎賓館を、黙って空けられるものだろうか。
迷う。悩む。苦しい。
本当なら、誰かに頼むなんてまだるっこしいことをせずに、すぐにも駆けだしたかった。
父の背中を探して、村中だって探し回りたかった。
でも、怖かった。
父がいつだってポルティーニョを見つけ出してくれたのは、父がポルティーニョのことを誰よりもよくわかっていてくれたからだった。
でも、ポルティーニョは自分もそうだとは言い切れなかった。言い切る自信がなかった。
ポルティーニョの世界は父で埋まっていたが、けれどポルティーニョは父のことを全然知らなかった。父が何を思って、いまどこで何をしようとしているのか、まるで思い当たらなかった。心当たりすらなかった。だって、いつもわかっていなかったのだから。
思えば、父には叱られたことだってなかった。
言いつけを守らなかった時も、危ないことをしてけがをした時も、友達と喧嘩をして泣かせた時も、仕事に出る父に縋り付いてぐずった時も、父は一度だってポルティーニョを叱らなかった。
ただ、静かな声で、ポルティーニョが頷くまで諭してくれた。
黙って言うことを聞けと、そう強いる人ではなかった。
これこれこういう理由や理屈があるから、そのようにしたほうがいいと思うと、理屈でもって丁寧に言い聞かせてくれる人だった。
父はいつも、静かだった。
ポルティーニョは父が何に怒り、何に泣き、何に笑うのか、まるで知らなかった。
短い夏に、木陰でまどろむ姿を見たことがあった。けれどすぐにすっくと立ちあがり、仕事に出てしまった。
冬に暖炉の前で、ぬくめた酒を時間をかけて舐めるように飲んでいたことがあった。でもその酒の味を語りはしなかった。
怒りもせず、笑いもせず、苦にもせず、喜びもせず、父はいつも変わらなかった。
茶化すようにかかしと呼んだりもしたけれど、それにだって父は、ただ「そうか」というだけだった。
父が優しいことだけは知っていた。
ポルティーニョを見守り、育て上げてくれたことを知っていた。
そばにあることを苦にせず、成長していくそのそばで支えてきてくれたことを知っていた。
娘を見守るそのまなざしはいつも静かだったけれど、そこには娘を厭う色なんて一つだってなかったことを、知っていた。
でもわからなかった。知らなかった。
父が本当は何を考え、何を思い、いま何をしようとしているのか。
そのことが怖くて、恐ろしくて、ポルティーニョは椅子から立ち上がることさえできなかった。
大声でその名を呼びながら、村中を探し回りたかった。
その背を追いかけてどこまでだって走り、見つけ出したら泣きながら抱き着きたかった。
でもできなかった。
怖かった。
怖くてたまらなかった。
何がって、父が見つからないことが、怖かった。
村中をくまなく探しても、父の背中が見えないことが怖かった。
どこか遠くから来た父が、自分を置いてどこか遠くへと行ってしまうのではないかと、怖かった。
そうだ。
本当はずっと怖かった。
父は静かで、優しくて、そしてどこか遠いくにの人だった。
同じ屋根の下で過ごしても、父の心は遠くにあった。
世界の終わる音が、そこまで近づいていた。
用語解説
・《濃縮林檎ジュース》
《エンズビル・オンライン》の回復アイテムの一つ。
《濃縮林檎》を材料にして作られる。
《
『もぎたて新鮮な禁断の果実を使用! 搾りたて禁忌のお味はいかが?』
・《ポーション》系統
《エンズビル・オンライン》の回復アイテムシリーズの一つ。
すべてが固定の数値で《
《ポーション(小)》、《ハイ・ポーション》、《ポーション・ゴールド》、《プレミアム・ポーション》、《プレミアムロイヤル・ポーション》、《ポーション2000》など、さまざまな種類が存在し、かゆい所にも手が届くラインナップ。
ただし、多すぎて回復量がわからなくなるプレイヤーも。
・《朱雀聖衣》
ゲーム内アイテム。火属性の鎧。
いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
炎熱属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
見た目も格好良く性能も良いが、常にちらつく炎のエフェクトがCPUに負荷をかけるともっぱらの噂である。
『燃えろ小さき太陽。燃えろ小さな命。炎よ、燃えろ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます