第八話 知っているということ
前回のあらすじ
憧れは理解から最も遠い。
でも、理解して憧れがなくなるばかりでもない。
ふりっふりのピンクのドレス着た紙月は多分とってもかわいい。
という現実逃避は、目の前にピンクの化身がいる状況ではあまり賢い選択ではなかった。脳裏に一瞬浮かんだ甘やかなロリータ・ファッションは、次の瞬間にはマッスル筋肉大喝采|(ピンク)に上書きされてしまった。
どんな地獄だ。
地獄を煮詰めたようなピンク・ファッションにも慣れてきたとはいえ、どうにも、このロザケストという男は
顔もあっさり目とは言い難い濃い目のダンディであるし、印象的な深みのあるバリトンが繰り出すオネエ口調も濃い。服装は勿論キャラクター性が濃すぎるし、その下ではちきれんばかりに躍動する筋肉も濃い。
ただ、一番の問題は、それらから繰り出されるロザケスト自身の人間性は、むしろ至ってまともな常識人だということだった。少なくとも彼の仕事であるファッションが絡まない限りにおいて、ロザケストは一般常識からかけ離れた発言をしないのである。
そのことが、見た目から一層乖離して、脳を混乱させた。
未来は、最初から最後まで
まあ、ピンクはもういい。
頭を切り替えていこう。
ロザケストに聞かれたことを、未来は何も知らなかった。
思えば、知ろうともしてこなかったかもしれない。
なんとなく知っているつもりになって、いつも隣にいることに甘えて、実際は紙月のことを全然わかっていなかった。
紙月は未来のことを大切にしてくれているし、守ってくれてもいるが、未来はその庇護に甘えて、紙月に何もしてあげてこなかったのではないか。
今更ながらにそのことに気づき、未来の胸は暗い思いでかげった。
そしてそれをどうすればよいのか、わからなかった。
うつむいた未来に、ロザケストは小さく唸って、それから努めて明るい声をかけた。
「じゃあ、ねえ、あなた、ミライ、彼について知ってることはなあに?」
子供に話しかけるみたいにしないで、と思ったが、しかし実際、いまの未来は困り果てた子供なのだった。
むにむにと脳をこねるようにして考えてみたが、まるで思い当たらない。
そりゃあ、異世界から転生してきたんだとか、《エンズビル・オンライン》というゲームでフレンドだったとか、そういうことは思いつくが、しかしもちろん言えるわけもない。
第一それは未来も同じだ。それに形ばかり知っていて、じゃあ元の世界でどんな生活をしていたのかとか、《エンズビル・オンライン》を始めたきっかけはとか、そういうことはまるで知らないのだった。
ますますうなだれていく未来だったが、ロザケストは難しく考えなくてもいいのよと肩を叩いてくれた。
「ちっちゃなことでいいわ。好きな食べ物とか」
「えっと……お酒が好き、かな。銘柄とかはわかんないですけど」
「お酒ね。じゃあ塩気のあるものが好きなのかしら」
「かもしれない、です。甘いものより、塩辛いものの方が食べてるかな」
小さくともきっかけができると、ぽろぽろと少しずつ言葉がこぼれ始めた。
しっかりしているように見えて、朝が苦手なこと、意外とずぼらなこと、爪を切る時に無精するから、どこかに飛んでいった爪が後から見つかったりすること、小器用で何でもできるけど、面倒くさがること。
確かに何も知らないわけではなかった。
でもそのくらいのことしか知らないのだ、と未来はがっかりした。
そんなことは、知っていることにも入らないじゃないか、と。
僕は紙月がどんな音楽が好きかも知らないんだぞ、と。
しかしロザケストはよくできたとでもいうように笑ってみせた。
「十分じゃない!」
「ええ?」
「あたしもねえ、贈り物に何かっていうお客さんの相手結構するのよ。そういう人たちってね、何か重大な秘密だとか、特別な癖、他の人が知らないことなんかを知ってると、相手のことをよくわかったような気になるものなのよね。でもあたしに言わせればそんなの、それこそ酒が好きですって言うのと変わらないわ」
そうかなあ、と首を傾げたくもなるが、自信満々に言い切られると、妙な説得力があった。フルパワー・スマイル・ウィズ・ピンクには妙な圧迫感もあった。
「例えばそうね、あたしはあんたらの全身はもちろん靴の寸法だって知ってるわ。あんたはすぐ育つからそのうち測り直さないとだけど。体の寸法の正確な数字なんて、十分秘密だって言える情報だけど、でもそれで中身を知ってるわけじゃないわ」
確かに、他人の寸法なんて普通は知らない。そしてそれを知ったところで、本人のことを分かったつもりになるのは無理だろう。もしかしたらロザケストなら、その体つきとか、癖とかから、二人の普段の生活なんかを見抜くスキルを持ち合わせているかもしれないが、それにしたって推測であって、知っているわけじゃあない。
「そっか……」
「あんたみたいに、言葉にするまでもないような些細なことを共有してるのって、十分知ってるって範囲だと思うわよ。何十年と寄り添ってる夫婦だって、意外と相手のことなんでも知ってるってわけでもないんだから」
「そうかもしれない……そんな気がしてきました」
もっと深く知りたい、と思うけれど、でも確かに、今知っていることも十分に知っているという範囲なのかもしれない。一緒に暮らすまでは、知らないことばかりだったのだ。全くのゼロではない。いまはまだすっかり分かち合えているわけではないかもしれない。それでも未来は紙月は紙月だという人となりを知っているのだ。
まあでも。
それはそれとして。
「紙月の欲しいものはわからないんですけど」
「それはまた別の問題よ」
「別の問題」
「そもそも欲しがってるものを贈るのって、おつかいに行くのと変わらないわよ。そりゃ喜ぶでしょうけど、初心者向けといってもいいわ」
「初心者向けでいいんだけどなあ」
「がっつり心つかみたいんでしょ!」
「ベ、別にそういうつもりじゃ」
「そういうつもりじゃなきゃ男が贈り物なんかしないわよ。ついでに
「なんて?」
ロザケストはどうにも盛り上がってきてしまったらしかった。
ピンクの怪人らしい奇天烈さが出てきて来たと言えば、かえって納得感が出てくるかもしれない。それをお望みではないのだが。
「いい? 贈り物には感性と技術が要るわ!」
「気持ちは?」
「あって当然よ。そしてなくてもいいの」
「ええ?」
「なくてもいいっていうか、下心でもいいのよ。歓心を買いたいとか、賄賂とか」
「それは本気でそういうつもりじゃないんですど」
「あんた子供だから汚く思えるかもだけど、そういうの大事なのよ。貴族や商人に贈り物するのってとーっても大変なんだから。本人の好みとか、流行とか、政敵の好みとか、領地の特産とか、いろいろ考えないといけないの」
確かに、子供心になんとなくそういうのは端的に悪いものと思っていたが、しかし関係性をよくしたいという思いで何かを贈ることに変わりはない。未来のそれだって、悪く言えば物で釣ろうというのと変わりはない。
純粋に相手のために何かを贈りたい、と胸を張って言うには、幼い未来にだって下心というものがあるのだ。
「じゃあ、えっと、その感性と技術って言うの? それを教えてもらえるんですか?」
「教えてもいいけど、一朝一夕で身につくもんじゃないわね。それに授業料とってもいいような内容になるわ」
「そこまで本格的なのじゃなくても……」
「わかってるわよ。だからあんたにはとっておきの品をおススメしてあげるわ」
むきり、とロザケストは微笑んだ。ほかに擬音が思いつかない自分の感性がなんだか呪わしくなった未来ではあるが、物理的にも心理的にも、確かに力強い微笑みではある。
力強過ぎて、夢に出そうだったが。
用語解説
・男が贈り物なんかしない
極めて偏見のある物言いだが、そもそも贈り物をするというのは下心ありきのことが多い。
悪い言い方をすれば、「お礼の品」などの贈り物も、感謝を表明したいという下心だという言い方もできる。
大切なのはこれは下心などではないと潔癖に思うのではなく、素直に仲良くしたいと自分の気持ちを肯定することではないだろうか。
・タマ
自動翻訳がこのように訳してしまったが、果たして命や心、大事なものという意味のタマなのか、物理的なタマなのか、そのどちらをも意味するものなのかは不明である。
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