第五話 なににしよう

前回のあらすじ


紙月へのプレゼントを悩む未来。

多分、紙月もいま同じことを考えているんだろう。






 さて、温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノでも飲むか、と紙月が屋台に足を向けたのは、未来とわかれてすぐのことだった。

 いくら賑やかで活気があるとはいえ、脂肪の薄い紙月には堪える寒さであることに変わりはないし、体と心を温める薬は何としても必要だ、というのが紙月の言い分だった。

 もちろん、この女装ハイエルフ男子大学生としてもその言い分に全く正当性などないことは百も承知である。承知の上で、しかし建前は大事だった。後ろめたさを誤魔化し、酩酊で歪め、アルコールで希釈しなければならなった。


 だがそれはそれとして、小さな相棒との約束を思い出して足が止まる。

 一杯だけ。そう、許されたのは一杯だけ。

 あまりにも残酷で厳しい制限がそこにはあった。

 黙っていれば分かりはしないと思わないわけでもないが、しかしそれをやったらいよいよ最後だなとも思う。子供相手の口約束、などと軽んじてしまうことは、二人の関係性にひびを入れるだけでなく、紙月自身の人間性をもおとしめることになる。


 一杯だけは許されている。

 ならばその一杯には誠実に向き合わなければならない。

 昼まで時間もあるというのに、早々に飲んでしまうというのはあまりにももったいない。

 それに手近な店で済ませようというのもあんまり雑だ。

 温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノを出す店はここだけではないし、なんなら他にもっとふさわしい酒が並んでいるかもしれなかった。いまは温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノの気分だが、後になってもそうだとは限らない。同じ一杯であるならば、よりよい一杯を求めるべきだろう。


 選ぶなら最高の一杯だ。


 と、格好つけているのやら情けないやらよくわからない決意を固めて、温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノの屋台から離れる紙月である。

 甘く香ばしい香りは魅力的だったが、抗えないほどではない。

 良い一杯のためなのだから。


 それに、と紙月は軽く自分を見下ろした。女装はしているが、胸は盛っていない。すとんと平坦な自前の胸だ。その平らな胸越しに、腹を見やる。

 別に、気にしているわけではない、と独り言つ。

 そうだ。気にしているわけではない。紙月は自分の脇腹にそっと手をやって、薄い肉をつまむ。

 ハイエルフの体は、相変わらず肉付きが悪かった。悪かったが、何度かつまんでみたりする。

 決して、決してそのようなことはないと紙月は感じているが、しかし肉がついてきたなどと未来が思っているのならば、少し気にかけた方がいいかもしれない。勿論絶対に贅肉などついていようはずもないが、それはそれとしてカロリーという言葉が頭を駆け巡った。


 ハイエルフの体は、あまり量を食べられない。だからと言ってまるで食べないわけではなく、酒の友としていくらか食べる。そうすると、少量でも満足度の高いものを選びがちになる。チーズに、揚げ物、味の濃いもの。ぱりぱりとなんとなくつまむナッツの類も、脂質が多い。


 そして油脂と塩と酒とを満足いくまで摂取した後は、心地よい酩酊に任せてぐでんぐでんとベッドに転がり、日によっては昼まで起きてこない。起きても、寒いからと暖炉の傍から動かず、また酒を飲む。ナッツをつまむ。


 ただでさえだらしない生活を送っているところに、腹の肉までだらしないことになってしまっては、さすがによろしくない。よろしくないというより、はっきり、悪い。

 気が抜けてきたのもあり、相棒に甘えているのもあり、いろいろと私生活のだらしなさを見せてきてしまっているから、今更格好つけようというのは手遅れにもほどがある。しかしそれならばせめて、これ以上悪化させたくはなかった。


「禁酒、は、自信ねえなあ……まあ、午前中くらいは控えるか」


 第一、わざわざ分かれて行動したのは目的があるからなのだ。

 その目的を思って、紙月は苦笑いした。

 言い出した未来も、おそらく同じようなことを考えていたことだろう。

 つまり、クリスマス・プレゼントを選ぼうと。

 紙月が察しているのと同じように、未来もまた察しているだろう。お互いに察していながら、せめてものサプライズを気取るように隠れてプレゼントを探すというのは、何とも気まずいというか、落ち着かないものがあった。

 思わずため息も出てくるというものだ。


 プレゼント選びは、紙月にとって慣れたものだった。

 母と三人の姉の誕生日が近づくたび、プレゼントに悩まされてきたのだ。

 それでもまだ、家族は好みを把握しやすかった。普段から生活を共にしていたし、あれが欲しいこれが欲しいと露骨にアピールまでしてきたのだから。好みの判断が難しい化粧品などを外して、財布と相談しながら適当な品を選べば、まあ及第点は得られる。


 ところが今回は話が違った。

 何せ相手は小学生の男の子であり、ここは文化さえ違う異世界なのだ。

 あの年頃の子供が何を欲しがるのか、かつて同じ年頃だったはずなのに紙月にはいまいちわからなかった。新作のゲームか。はやりの漫画か。ブランド物のスニーカーとか。トレーディング・カードということもあるのだろうか。だがそのどれにしても、ここにはない。


 未来は姉たちとは違い、あまりものを欲しがらなかった。必要なものは自分で買ってくるし、それさえも本当に必要最低限で、部屋には私物が全然増えない。

 稼いだ金の大半は共有財産として、いくらかを個人資産として分けているが、あまり使った様子はない。燃費が悪いとぼやくように確かに食費はかさむが、なんだかんだ高い酒を買ってみたりする紙月に比べるとそこまででもない。おまけしてもらうことが多いようで、払った分より多く貰っている。


 事務所では本を読んでいることもあるが、自分で買ったものではなく、ムスコロなどから借りたものが多い。ジャンルもばらばらで、熱中して食事にも出てこないということもなく、時間つぶしというか、読むために読んでいるという程度である。


 日課はトレーニングで、雨だろうが風だろうが元気に走って師匠であるアルビトロ元男爵の邸宅に向かい、格闘技を学び、また走って帰ってくる。実際どんなことをやっているのか、紙月は詳しくは知らない。以前見に行った時と同じなのか、違うことをしているのか。


 こうしてみると未来が金を使うのはもっぱら食事のことだけで、よくよく考えてみるにその食事の好みさえ紙月はよく知らなかった。なんとなくざっくりと肉が好きそうとは思うが、そもそも好き嫌いをしたところを見たことがない。好き嫌いがあるのかもしれないが、少なくとも出てきたものを残すことはない。


 案外、俺は未来のことを知らないな。

 それはどうにも居心地の悪い気付きであった。

 素直で、聞き分けが良く、手がかからない。そのことに甘えていたのかもしれなかった。


 あまりにも乏しい手掛かりに、紙月は立ち並ぶ店々をぼんやりと眺めた。

 二人で並んで見て回ったときには一つ一つの品々まではっきり見えたのに、いまはなんだかぼんやりと形のない、あやふやなもやのようにさえ思われた。

 前世と違い、頼りになる雑誌もなければ、流行を垂れ流すメディアもない。これこそと勧めたいものもない。そして相手のことも知らない。これではどうしようもない。


「あれ! 森の魔女!」


 呆然と佇む紙月の耳に甲高く響いたのは、少年冒険屋クリストフェロの空気が読めない叫びだった。






用語解説


・アルビトロ元男爵

 先代スプロ男爵その人。

 普通は亡くなる時かよほど体を崩してから爵位を譲るものだが、この爺さん、実に健康体の内にさっさと子に爵位を譲ってしまったようである。

 武術の達人で、大酒飲み。

 縁があって未来に稽古をつけてやっている。


・クリストフェロ

 《レーヂョー冒険屋事務所》の駆け出し冒険屋。

 成人したばかりの十四歳。

 未来とかかわる事件で問題を起こし、現在は罰として無償で奉仕依頼をこなしている。

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