第九話 埋め合わせ
前回のあらすじ
魔女の秘宝に心奪われ魔が差して、うっかり手が出た現行犯。
やるとわかっていてやらせる、悪い子であった。
居心地の悪い数分間が流れ、ようやく麻痺が解けた職人は、まず真っ先に土下座した。
なりふり構わぬといった様子で勢いよく額を床にたたきつけ、謝罪の言葉を叫んだ。
意外だったのは、その謝罪というのが、ただ許してくれというものではないことだった。
「どうか! どうかこのことは俺の身一つでお許しを! 親方も工房も関係ねえんです! 俺の! 俺の身一つだけでなにとぞご勘弁を!」
最悪、開き直ってくるかもしれないと思っていた紙月としては、いまにも腹を切りそうなほどの勢いは全く予想外だった。
また土下座まではいかないまでも、この職人の傍で跪き、親方であるロザケストがどうか許してやってほしいと懇願しだすのにも驚いた。
「こ、こいつは普段はとてもじゃないけど、盗みをするような男じゃあないのよ。ただ、いまは奥さんが病気で臥せっているって言ってたわ。その薬代が高くて困ってるって……もちろん、それで許されることじゃあないわ! でも、こいつが手を出してしまったのは、面倒を見てるあたしの責任よ! こいつのやったことを許してくれなんて簡単には言えないけど、部下のやったことは親方のあたしのやったこと、どうかあたし一人で!」
「いやいや! 親方は悪くねえんです! 俺が一人でやったことなんで!」
「あんたはあたしの手足なのよ! 手足のやったことはあたしの責任よ!」
「悪いことした手足は切り捨てて下せえ!」
俺が、いやあたしがとわめく二人を抑えて、紙月は顎をさすった。
「うーん。ロザケスト、あんた、貴族御用達の大工房の親方じゃないか。切り捨てた方が工房のためにもいいんじゃないか」
「うちの職人のやったことだもの。それはあたしの責任だわ。魔が差したっていうんなら、それはちゃんと守ってあげなかったあたしのせいだわ。それに、誰かが何かしでかす度に切り捨てていったら、あたしには何にも残らないもの」
「損切って考えてもいいと思うけどな」
「切って切れないのが縁だもの」
親方ロザケストと職人は互いに自分が悪い自分だけを罰して許してくれと庇い合い、周りの職人たちもつられたように頭を下げはじめ、未来などはなんだか自分たちの方が悪者のような感じがして大層居心地が悪くなったものだが、紙月はむしろ冷淡な顔を作って見せた。
「やめろやめろ、俺はお涙頂戴が聞きたいんじゃないんだよ」
「ねえ紙月、許してあげようよ。こんなに謝ってるんだしさ」
「未来、それは駄目だ」
何かと未来に甘い紙月だが、なんでもかんでも未来の言う通りにしてくれるわけではない。
むしろ未来のためを思ってとか、未来の教育に悪いとか、そういう優しさが良くも悪くも頑固な面を引き出すことが多々あった。
「俺も実はさっさと許してやりたいんだけどな」
「じゃあ許しちゃおうよ」
「そうするとどうなる」
「どうなるって……どうなるの?」
「どうにもならないんだよ」
紙月は困ったように肩をすくめた。
「俺がここで、いやいやいいんだよ、魔が差しちまっただけさ、今回は許してやるよ、って言ってやるのは簡単だ」
「うん。それじゃ駄目なの?」
「一度許すと、二度三度と同じことがあるかもしれない、一度許してくれたんだから、ってな」
「そうかなあ」
「人間、悪いことして怒られたら反省するんだよなあ……『次はばれないように』って方向で」
「そんなこと……あるかも」
ないと言い切れない程度には、未来にも身に覚えがあった。
悪いことをしたな、もう二度としないぞ、と思うことは、案外まれだ。
むしろ、次はうまいことやろうと、そういう風に考えてしまうかもしれない。
ましてそれが、怒られもせず罰されもしなかったら、大したことなかったと記憶してしまって、気軽に同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
夜更かしして父に心配された時も、未来がしたのは早寝することではなく、明かりを消して布団に隠れて寝たふりをすることだったのだから。
「じゃあ許してあげないの?」
「許してやらないわけじゃあない。でもただ許すんじゃ意味がないから、ペナルティをつける」
「ペナルティ?」
「ただ許すだけじゃ、またやるかもしれない。罰がいる」
「罰、かあ」
「それに罰がないと、俺達だけじゃなくて相手も困る」
「どうして?」
「悪いことをしたのに罰がないんじゃ、納得ができないんだよ」
「納得?」
「そうだ。俺は被害を受けた。だから罰する。罰したら、それ以上はしないし、できない。この人は悪事を働いた。だから罰を受けた。償ったんなら、誰もそれ以上罰することはできない。勿論、実際はそんなに単純じゃない。だがお互い引きずってしまうものを、少しは軽減できる」
「そういうものかなあ?」
「そういうものだといいなあ、とは思う」
「じゃあ実際は違うの?」
「難しい所だ。あんまりしっかりと白黒付けちまうと角が立つし、かといって何もしないとほんと何にもならない」
「うーん」
「だから、お互いに水に流せる感じが一番なんだけどな」
それはあまりしっかりとしたロジックではなかった。
感覚的で、非言語的で、曖昧で、いい加減な、そう言う理屈だった。
しかし、「嫌なものは嫌」というのは、存外甘く見ることのできない重みのある感性だった。
「ロザケスト、今回は未遂だし、情状酌量の余地もありそうだし、十分反省もしていそうだし、許そうと思う」
「それは、あたしとしては助かるけれど」
「でも事件があったのは確かだし、有耶無耶にするのも後に引きずりそうだ。だから、被害の補償として追加で報酬をもらいたい」
「契約自体はまだだけど、違約金みたいなものね。あたしたちに払えるものなら、もちろん払うわ。借金してでもね。これは工房の面子にもかかわるもの」
「よしきた。じゃあ、今後ロザケスト工房は、《
「…………なんですって?」
紙月がポンと放り投げた条件に、ロザケストは困惑した。
未遂とは言え貴重な魔法道具の盗難事件が発生したのだ、莫大な賠償金を提示されてもおかしくはない。
ただの魔法道具でさえ、結構な高額なのだ。明らかに一点物であり、ともすれば帝都の魔法使いでも作れないような森の魔女の秘宝ともなれば、その価値は天井知らずだ。少なくとも金貨は確実だろうと思われた。
貴族の依頼の内で、竜殺しの英雄相手に、盗難事件など、よそに知られれば工房自体の生命線が完全に断絶するレベルの不祥事だ。
その程度はありうるはずだった。
それが、まさかの、割引である。
工房の利権をよこせだとか、
「割引って……その、うちで服を仕立てるとき、いくらか安くしてくれって、そういうの? そう言うこと言ってるのよね?」
「おお、そうだ。さすがに九割引とかは言わないが、三割くらい、欲張って五割くらい割り引いてくれると嬉しいね」
「無料で仕立てろとは言わないの?」
「言ってもいいが、そこまでふてぶてしくはなあ。その代わり、無期限だ」
「無期限って言ったって……」
「ハイエルフってのはな、つまり俺の種族なんだが、人族よりもよほど長生きなんだよ」
紙月はにやっと笑って見せた。
「お前たちが死んだ後も、店がなくなるまではずっとずーっと、いつまでも割り引いてもらうぜ。何しろ俺自身、俺の寿命なんざわからないからな」
厳正に懲罰を決めれば、厳正に物事は片付く。とは限らない。遺恨が残り、わだかまりも残る。
だから、表向きはきっちり解決したことにして、実際は曖昧な所でどこまでも先延ばしして、
ロザケストはしばらくわけのわからないものを見るような目でこの
「末永くご贔屓に」
用語解説
・ハイエルフ
多くの創作でエルフの上位種として描写される種族。
《エンズビル・オンライン》においては、抽選でのみ選ぶことのできる種族で、サーバー内でも数えるほどしか存在しなかった。
精霊と生身の生き物の間にあるとされるエルフよりも精霊の度合いが強く、魔法的素養が極めて高い代わりに、肉体的にはむしろ貧弱で、はかない。
設定資料上、エルフやドワーフの寿命が明記されている中、ハイエルフの寿命は記載されておらず、ほとんど精霊であることから、外的要因で死ぬか、世界が滅ぶまでは生きるのではないかとされている。
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