第八話 魔が差して
前回のあらすじ
夢現でぶつぶつと呟きながら部屋をうろつきまわる凄味のあるピンク。
夢に出そうだ。
ロザケストが再起動すると、職人と徒弟たちの動きは速かった。
この鋼の筋肉をピンクで包んだ親方が何を考えているのかは理解できなくても、作業手順として何をして行くのかはわかっているのだ。
あるものは作業台に紙束を積み上げ、あるものは筆記具をそろえた。
またあるものは衣装をかけるためのマネキンを並べ、またあるものは小物を並べるための台を用意した。
濃い目の茶を煮出しに走ったものもいれば、決して安くはない油を燃やして照明をつけ始めるものもいた。
彼らはみな一端の職人たちであり、そのもとで学ぶ徒弟たちだったが、その彼らをして手足のように扱える凄味と実績とピンク色がロザケストにはあるようだった。
「早速、このぶっ飛んじゃいそうなくらいにステキな意匠を書き留めていくわ! 表も! 裏も! 縫い目ひとつまで書き留めたいくらい! ちょっと時間がかかるわね――ちょっとどころじゃなく! しばらくの間貸し出してもらえないかしら!? 大丈夫! 絶対傷つけないし汚さないし、そりゃちょっと匂いを嗅いだりは」
「駄目だ」
「そうね! 匂いを嗅ぐのは駄目ね! わかったわ! 残念だけど、でも貸し出してくれるだ」
「駄目だ」
「けで――えーっと、なんて?」
「駄目だ。貸し出しはできない」
凄まじい勢いと圧で迫りながらまくしたてるロザケストに、未来などは思わず頷きそうになってしまったが、そこに断固としてノーを叩きつけたのが紙月だった。
紙月は何しろ、背こそ帝国平均値より高めの一七〇はあるけれど、体つきはいっそ頼りないくらいに細い。
そのひょろりとした身体の癖に、紙月二人分か三人分はありそうなほどのみっちりとした筋肉ウィズサイケデリックピンクを前に、実に堂々と胸を張ってノーと言ってのけたのである。
あれだけノリノリで衣装を並べていき、なんなら嬉々として解説までしそうなくらいだったくせに、いざ本件であるところの衣装の貸し出しを依頼されたとたんにこれである。
これには依頼人のロザケストでなくとも困惑する。
未来も首を傾げたし、職人や徒弟たちもざわめいた。
探るようなロザケストの視線がねめ回してくるのも気にかけず、いやまあちょっとは気にしたのか、覗き込んできたピンク色から二歩三歩と距離を取り、紙月は強気な笑みを浮かべた。
「貸し出しは、できない」
「ちょ、ちょっとちょっと、どういうことかしら!?」
「魔女の装いは御覧の通り貴重品でな。そして、例外なく魔法の力を持っている」
「とんでもなく貴重なのは見ればわかるわ。だから絶対に傷つけないし、汚さないし、」
「例えばこの《蠱惑のファシネーター》は」
ロザケストを遮るように、紙月はアクセサリー装備を一つ手に取った。
ファシネーター、つまり簡易的で小振りな帽子ともいえるし、帽子のような髪飾りともいえる装飾品だ。
《蠱惑のファシネーター》は紫色を基調とした、柔らかな羽を広げた蝶をモチーフとしたもので、クリップで髪に留める形になっている。単純に優美なだけでなく、角度によってその光沢は揺らめき、まるで生きているかのように見る者の目を幻惑した。
もちろん、ゲーム内アイテムであり、実用的な装備として紙月がインベントリに入れていたものだから、ただ見栄えの良いだけの装飾品ではない。
「隠しパラメータである《
「それは……それは、ええと、すごい魔法だと」
「
「えっ?」
「これを身に着けたものは、
囁きかけるような、しかし部屋中によく通る声が語る意味を、全員が理解するまでそれほど時間は必要なかった。最初はただ漠然と、しかしゆっくりと染み渡るように、その
息をのむような沈黙の中、先程までの新奇なデザインに興奮していた職人たちの目は、今や全く違った色を見せ始めていた。
MMORPG 《エンズビル・オンライン》においては、この装備の効果はあまりはっきりしたものではない。
特定のNPCの対応が変化するだとか、一部の商品を少し安く購入できるとか、ある種の敵が攻撃してこなくなる、あるいは積極的に襲い掛かってくる、そう言った効果があった。
ゲームをプレイする上では、極々一部のイベントにかかわる他は、とても必須とは言えない、少々便利な品という程度でしかない。
しかしそれが現実に存在するとなると、話は変わってくる。
ただ付けるだけで、他人から好かれやすくなる。
ただそれだけ、と言えば、ただそれだけだ。
しかしそれは、それほど簡単な軽い言葉にしてしまえるほどに呆気なく、
そしてその効果を、魔法使いでも何でもない、平民でさえ享受することができる。
魔法が実在し、奇跡が濫用される世界にあっても、人の心を操ることは簡単なことではない。
ましてそこにまっとうな倫理観が絡めば、このアイテムがどれだけの危険物かは想像に難くない。
そんな代物が、あまりにも無造作に細腕に乗っている。
いともたやすく奪い取れそうな、細腕の中に……。
この露骨な誘惑に、しかしロザケストは耐えた。
ごくりと息をのみ、唇をなめて湿らせ、それから細く吐息を漏らした。
「そして、それは魔女の秘宝の一端に過ぎない、っていうのね」
「そうだ」
「それでも……それでもお願いするわ。絶対に傷つけない、汚さない、身に着けない、そう約束する。なんなら契約書を書いてもいいし、罰則には命を懸けてもいいわ。この仕事にはそれだけのものがかかっている」
「それだけのもの?」
「あたしの矜持よ」
紙月は少し考えて、それから《蠱惑のファシネーター》をそっと台に戻した。
「あんたのことは信じてもいい」
「じゃあ!」
「ただし――《
まるで世間話でもするかのように自然に、指月の指先から閃光が走った。
ちかりと走った《
「何を!?」
「ロザケスト、あんたは信じてもいい。でも誰でも信じるってわけにはいかないみたいだ」
紙月がごろりと転がった体をひっくり返せば、職人の前掛けから腕輪が零れ落ちた。
細身ながらも輝かんばかりの黄金製で、幾何学的な彫金の施された一品だった。
貴族御用達とはいえ、一介の工房の職人が持てるようなものでは当然ない。
並べられたアイテムのうちから、こっそりとくすねたのだろう。
ぎょっとしたロザケストがぐるりと見まわすと、職人や徒弟たちはみな両手を見えるように挙げてあとずさり、ぶんぶんと激しく首を振った。
自分たちはそんな不届きものではない、という必死なアピールは、しかし、ともすれば自分たちも同じことをしていたかもしれないという後ろめたさがさせたものであったかもしれない。
それだけの魅了の魔力が、魔女の秘宝には秘められていた。
ロザケストはしばし呆然と倒れ伏した職人を見下ろし、それから我に返ったように振り向いたが、しかし、言葉は出てこなかった。信頼していた職人のまさかの犯行である。それも現行犯。
しかも相手は貴族が目をつけるまでに至った名高い冒険屋である。
下手な弁明は、首を絞めるだけだろう。
紙月はそんなロザケストに、軽く肩をすくめて見せた。
「正直なところ、誰やかやるだろうなと思ってたし、その方がお互いわかりやすいだろう?」
「わかりやすい、って」
「俺のアイテムが魔を差させちまうってのは、そりゃ仕方がない。それだけの代物だってのはわかってる。でも仕方ないからで放置するわけにもいかないからな。こんなことが間違いなく起こるから、お互いのために、貸し出しはできない」
「………そう、そう、ね。実際こうなったんだから、言い訳できないわ」
ロザケストは消沈した様子で頷き、それから徒弟たちに命じて《
目の前で起こったどたばたに困惑する未来の頭を、紙月の手がそっと撫でた。
「ちょっと刺激が強かったな。悪い」
「ああ、いや、うん、ちょっと、驚いたっていうか」
「人を信じるのはいいことだ。俺だってただ信じられるなら、その方が気分がいいよ」
「うん」
「でもな、信じるときは、同じくらい疑わないといけないんだ。信じるためにな」
「信じるために、疑う?」
「そうだ。世の中、全くいい人とか、まったく悪い人ってのはいないもんなんだよ。同じ人でも、その時々でいい人だったり、悪い人だったりするもんさ。ふと気が向いて募金なんかしてみたり、かと思えば魔が差して手癖の悪いことしたり。だからどのくらい信じられるかは、疑ってかからないといけない」
未来にはよくわからなかった。
いい人とか悪い人とかいうのは、もっとはっきり分かれているように思っていた。
しかし考えてみれば、いままでだってまるっきりいい人だとか、まるっきり悪い人なんていなかったのだ。
例えばムスコロなどは、いい例だ。酒を飲んで気が大きくなれば振る舞いも乱暴になるが、懐が温かくなって余裕が出れば、面倒見も良く気の利く男だ。
「ねえ紙月」
「なんだ?」
「紙月にも悪い人になるときがあるの?」
未来がなんとなく尋ねてみると、紙月はちょっと目を見開いて、この幼い相棒を見下ろした。
それから唇の端をひん曲げるように少し笑った。
「俺はあんまりいい子じゃないよ」
用語解説
・《蠱惑のファシネーター》
ゲーム内アイテム。頭部装備。
隠しパラメータの一つである《
一部のNPCとの会話内容が変わることでイベントにかかわる情報を入手出来たり、特定の店舗で商品を値切ったりできる。
また一部のMobは、《
『惹きつけ、惑わし、誑かす。卑怯とは言ってくれるなよ。か弱い蝶には、美しさ以外に武器はないんだから』
・《
ゲーム
効果はシンプルで、使用した相手に確率で状態異常:麻痺を付与するというもの。
低レベルの場合、麻痺耐性や、魔法攻撃耐性によって簡単に防がれてしまう。
序盤では役立つかもしれないが、高レベル帯ではまず通用しない。
『麻痺というのは厄介なもんじゃ。呪文を唱えようにも舌がもつれる。解毒剤を飲もうにも手がしびれる。なのに意識ははっきりしとって、相手が何をしてくるか見えるのは恐怖じゃろ。こんな風にのう』
・腕輪
ゲーム内アイテム。
装備することで《
また、装備した状態で「しゃがむ」体勢をとることで、経過時間とともに効果が増大するという特殊効果がある。つまりじっとしていればいるほど、回復量・速度が増えていくのだ。
『其はドラウプニル。滴るもの。九夜毎に、八つの腕輪を滴り出す』
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