第十三章 ザ・ウィッチ・トゥック・オフ・ヒズ・ドレス
第一話 退屈以上に、出不精
前回のあらすじ
風邪を引いて小学生に看病され、枕もとで甘い言葉をかけられたうえ同衾する女装ハイエルフママ男子概念。
西部の冬というものは、ひどく冷え込む。
雪はさして積もらないが、朝にはきしきしと音を立てて一面に霜が降りるし、風は身を切るように冷たい。
往来はすっかり少なくなり、どうしても家から出なくてはならないものは、動きづらくなる程に着ぶくれし、首を肩にうずめるように身を縮めて、ほとんど小走りと言ってもいいくらいの速足で寒空の下を急ぐ。
俗に隣近所のことを「スープが冷めない距離」と言うけれど、この時期はそれもすっかり狭い範囲に収まってしまい、冬に入ってからすっかり顔を見ないというのもよくあることだ。
冬は西部だけでなく、帝国中に訪れる。
西部はあまり雪が降らない土地柄だが、例えば北部はすっかり雪が積もって人の行き来はできなくなるし、各地を結ぶ街道も所にとっては通行が厳しくなる。雪で家がつぶれることも多く、人が一番死ぬ季節と言っていい。
帝都は雪が積もると言ってもたかが知れているが、代わりに石畳が凍り付いて足を滑らせるものが増えるという。流通も滞り気味ではあるがすっかり途絶えることはなく、生活にはあまり困らない。ただし町の造りなのか家の造りなのか、いやに冷え込むという。
東部は土地によっては北部並みに雪が積もるが、おおむね気候は穏やかで、ただ、海辺の町などは凍った風が堪えるという。温泉街などはこの時期、湯治客、観光客の方が住民より多いと言われるほどで、ひと月ふた月ほど腰を据えるものも多い。
南部などは一年中暖かい常夏の印象があるが、やはり冬はある。雪はとんと降らないが、一応ほどほどに寒くなる。とはいえそれも南部人からしてみれば寒いという話で、他の地域、特に北部の貴族などは、南部を避寒地として別荘を持つものも多いそうだ。
そんな冬の間、冒険屋というのは暇を持て余す。
なにしろ、世間が活動を軒並み停滞・縮小しているから、冒険屋にも仕事がないのだ。
冬ならではの魔獣狩りや、素材集めもあるにはあるが、そういうものは大抵専門と言っていいほどに手慣れた連中がほとんど独占状態であり、横からはいれるものではない。
人足としての雇用は、ないではないが、たかが知れている。
北部であれば雪かきなどをはじめ、却って仕事が増えるらしいが、西部ではそうもいかない。
実家が近いものなどは、土産を手に帰省して農民に混ざるものも多い。
土地にもよるが、冬でも作物が取れるところはそうするし、そうでない場合は、農具の手入れや、柵の補修など、することはある。
もっとも、ただでさえ大変な冬場に食い扶持を増やしてもいいことなどないので、いい顔はされない。
なので、非生産者である冒険屋は、冬のためにある程度の備えを蓄えておかないと、食う飯にも火を焚く薪にも困る。一年の間に頑張ってため込んだ稼ぎのほとんどは、冬場に消えると言ってもいい。
仕事がないからと言って食っちゃ寝するばかりでは当然やっていけないので、嵐のときと同じく冒険屋たちは内職に励むが、それもすぐに金になるわけではない。たとえ金になったとしても、買い付けるものがあまりない。
収穫は減り、流通も滞るので、金があれば手に入る、という状況ではないのだ。
冬は、厳しい季節なのだ。
とは言え、薄い皮肉を通して骨までしみる寒さと、質量さえ感じるほどに時間の進まない退屈を天秤にかけて、ぎりぎり暇つぶしに町中を観察する方に傾いた紙月からすると、スプロの町の冬は地獄というほどではなかった。
少なくとも、想像しうる中世風異世界の中で最悪のものをチョイスして比較してみたところ、大分マシ、というよりかなり優遇されているのではないかと思えた。
例えば薪だが、これは豊富な森林から大量に得られたし、そして「場合によっては逆に森に食われる」と称されるほどに異常に活発な植物の生育速度によって、伐採しすぎるということがない。
土壌が枯れて砂漠化するのではないかという疑念も、何百年と森と戦い続けている歴史から見るに杞憂だろう。
土壌がよほどに富んでいるのか、精霊をはじめとするファンタジー要素によるバフなのかは不明だが。
それに薪以外の燃料として
これは薪より高価だが、サイズに比べて長時間かつ高火力を発揮するし、使い方も様々だ。
火山地帯などからの輸入品ではあるが、安定して産出するようで、冬のために買い込んでおく人も多いようだ。
農業に関しても、紙月が漠然と想像していたよりかなりの収穫量があるようだった。
最初は税が安いのかと思っていたが、単純に母数が大きいのだ。
町の外に出た時など、村に広がる農地などを見かけることがあったのだが、小さい畑では鍬で、大きい畑では
途中経過を見ていないので何とも言えないが、いかにも豊作といった感じで、そしてそれは別に特別というわけでもなく、例年並みであるらしい。
虫を取ったり肥料をやったりなどしていたのだろうが、それにしても立派なものだ。
一面に黄金色に広がる麦畑など、未来と一緒にしばらく眺めてしまうほどだった。
一面、そう言えば一面だったと紙月は気づいた。
あたり一面畑で、空いているところはなかった。つまり、休耕地がなかったのである。
同じ土地で作物を育てると、当然土壌の養分は減る一方である。
なので、安定して肥料をつぎ込めないのであれば、休耕地つまり作物を育てない期間を作り土地を休ませ、放牧した家畜の糞などを肥料に回復させてやる必要がある。
休閑地を作らない代わりにクローバーなどの牧草やジャガイモ、カブといった家畜の飼料を育て、家畜をふやし、耕作効率を良くしたものが輪栽式農業とか言ったはずだ、と紙月は漠然とした曖昧な知識からそう思いだしていた。
知識としては日曜菜園程度のものしか持ち合わせていないのでしっかりとしたことは理解していないが、しかしその程度の知識しかない紙月から見てもこの世界の農業はちょっとおかしかった。
休耕地はないし、輪栽式でもなさそうだが、そのくせ収穫は多く、家畜の飼料も十分にあり、冬場であっても十分な数の家畜を養えている。
なんでだとぶしつけに尋ねられたムスコロは、農家の出であるらしく、さほど困らずに答えてくれた。
「そりゃ姐さん、セマトのご加護でさ」
「なんだいセマトってのは」
「神様でさ。農耕の神様なんで」
「神様に祈ると豊作になるのか」
「そりゃ、なりまさあ」
当たり前だと言わんばかりの態度であるが、しかしムスコロもこの問題児の非常識ぶりには慣れたもので、農民なら子供でも知っているところから教えてくれる。
「どの村にもちいせえ社くらいありやして、供えもんしたり、祈ったり、掃除したりしやす」
「うん、そのあたりは想像できる」
「それで、新しく畑を拓いたり、種まきの時期になったりしたら、それぞれ畑の大きさやらに応じて供えもんをするんでさ」
「供え物は決まってるのか?」
「まあ、大体は昔っからの習慣で決まってまさあ。麦一袋で畑がこれくらいだとか、酒だったらこれくらい、金だったらこれくらいってね。まあ、村によって違うんで、土地の具合にもよるんでしょうなあ」
先立つものがない貧農などは、実際に収穫してからの後払いもいいという。
その代わり、後になってお供えを渋ったりすると、土地が荒れたり、他の者たちにも影響が出るので、かなりしっかりと村全体で管理するらしいが。
「投資家みたいだな」
「まあ神様も篤志家ってわけじゃねえですからな。子供のしつけみたいな話でやすがね、怠けもんやろくでなしの畑にゃあ加護が弱いてぇのはよく言いますな。そもそも実らせてくれる以外、耕して、虫をとって、獣を追い払って、なんて働きはせにゃならんですからな」
「あれ、そうなのか」
「そういうのは別料金でさ」
「別料金」
「供えもんも多く要るんで、働き手があるとこは自分でやりますな」
畑の中にちらほら見える
この案山子がある種の目印となってセマトの加護を賜るとされ、そのため案山子に悪戯をしたり、壊したりする者には罰が当たるという。
この話を聞いて紙月などはファンタジー世界は都合のいいものだなと思いもしたが、実際のところそこまで親切な神でもなかった。
「神様てえのは割と容赦のねえもんでしてね、草木の生えねえ荒れ地を開墾しようとしてお伺いを立てたら生贄を要求されたり、後払いしようとした農民が流行り病でおっ死んで供えもんが出せなくなった時も容赦なく他から取り立てたり、ガキが案山子を壊した畑が何年か毒で穢されたり、まあ扱いは慎重にしねえとまずいもんで」
ガチ目のファンタジーが隣人として居座る世界はあまり人類種に優しくないのかもしれない。
それでもまあ、凍え、飢える人々が、少なくとも目に映る範囲では少ないと言える程度には、この世界の冬はマシなのだろう。
白い息を機関車のように吐きながら、もこもこに着ぶくれた未来がランニングを終えて戻ってくるのを眺めながら、紙月はぼんやりとそんなことを思うのだった。
用語解説
・セマト(Semato)
天津神。農耕神。神話によれば、狐の姿をしているとも、狐を眷属に従えるともいう。
その身体から様々な作物を生み出すとされる。
地に広がった人々が慣れぬ土地で飢えにあえぐのを見かねた神々が、はるか虚空天より呼び寄せ、その四肢を裂いて四方に投げやり、そのはらわたを引き出して八方にばらまき、その血を絞って天より降らせ、肉と骨を大地に埋めて馴染ませたという。
これにより人々は大地より恵みを得て生きていくことができるようになったそうだ。
・クエビコ(Kuebiko)
セマトの従属神とも、またその化身ともいわれる神性。
案山子の姿をしている、案山子を依り代とするとされる。
畑の守護者であり、監視者。
世間を見続ける知者とされ、然るべき供物をささげる者には然るべき知恵を与えるとされる。
同時に、脳がないので理性に欠け、時におぞましき真理をささやくこともあるとされる。
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