最終話 アイブ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン

前回のあらすじ


護る未来。

倒れる熊木菟ウルソストリゴ

埋まる紙月。






 落雪に巻き込まれてすっかり雪に埋まってしまった紙月は、宿に戻るころには、すっかり熱を出していた。

 普段は病的なくらい白い肌が、真っ赤に火照っているのである。

 それ自体が熱を放つ《赤金の大盾》をそり代わりにしてヒバゴノがこれを牽き、二枚におろされた熊木菟ウルソストリゴの死体を未来が引きずりながら持っていくことになった。


 森から出てくると、薪割をしていたイェティオがすぐに気づき、駆けつけて熊木菟ウルソストリゴ運びを手伝ってくれた。

 宿に辿り着くころには紙月はぐったりとしていて、額に雪を当ててやると、喜んだ。


 おかみとイェティオの父親は真っ二つになった熊木菟ウルソストリゴにも驚いたが、その熊木菟ウルソストリゴを倒してくれた大恩人が熱を出してうずくまっている姿にはもっと驚き、紙月はすぐに部屋へと運ばれ、暖かなベッドに横たえられた。


「うう……寒い」


 ストーブのきいた部屋でもまだ寒いという紙月の為に、未来はたっぷりと衣装を取り出して着ぶくれさせてやり、また雪で作った氷嚢を額に当ててやりと、甲斐甲斐しく面倒を見た。


 体質的に貧弱であるはずなのに、紙月がここまで弱るのは初めて見る未来だった。

 それは、それだけ紙月が体調の管理に気を遣っていたということでもあるだろうし、未来に迷惑をかけてはならないと気を張っていたということでもあるだろう。

 今回たまたま雪に埋まるという事故から熱を出したが、そのうちどこかで似たようなことはあっただろう。

 無理がたたったのだ。


 それは無意識のうちの無理だったのだろうが、それに気付けなかったことが、未来をみじめな気分にさせた。

 それでも、以前未来が風邪を引いた時、紙月が甲斐甲斐しく面倒を見てくれたことを思い出し、それを真似るように未来は紙月の面倒を見た。


 少しして、おかみが部屋に食事を運んでくれた。

 材料はなんと、熊木菟ウルソストリゴであるという。

 図鑑には、熊木菟ウルソストリゴの肉は酷く硬く、不味いと書いてあった。


「食べられるんですか?」

「旅の山椒魚人プラオにうまい処理の仕方を聞きましてね。美味しいですだよ」


 熊木菟ウルソストリゴの熊汁は、実際、匂いと言い見た目と言い、うまそうなものだった。


 濃い目の胡桃味噌ヌクソ・パーストで味を入れているのだが、それ以上に熊の出汁というものがまた恐ろしく腹の減る良い香りと味わいをもたらしているのだった。

 削ぎ切りにされた熊木菟ウルソストリゴの肉に、たっぷりの韮葱ポレオ、それにこれでもかというくらいの野菜類。追加の野菜まで用意してあるくらいだ。


 なんでも熊汁の汁というものは恐ろしくうまく、これで煮込んだ野菜は、あっという間になくなってしまうので、いくら用意しても足りないくらいだという。


 紙月が苦しんでいるのに自分が食事を楽しむのも気が引ける未来だったが、おかみに窘められた。

 子供があまり気を遣うものではない。それに、面倒を見る方が参ってしまってはお互いの為にならない。風邪がうつってしまったら申し訳なくなるのは向こうだ。まずしっかり食べて、滋養をつけて、それから面倒を見るとよい。

 このように言われて、未来は目から鱗が落ちる思いだった。


 熊汁は実際、一瞬とはいえ紙月の面倒を忘れさせるほどにうまい代物だった。

 胡桃味噌ヌクソ・パーストの汁とは言いながら、胡桃味噌ヌクソ・パーストだけでなく複数の合わせみそのようで、少し変わった香りがするのだが、これがまた熊肉の臭みをうまく殺してくれていた。

 また、韮葱ポレオの外にも、たっぷりの生姜ジンギブルを使っているらしく、ちょっとではない辛みがあるのだが、それがまた野趣あふれる熊肉に合う。


 野菜がすぐなくなるというのも事実だった。熊木菟ウルソストリゴの脂は分厚いのだが、さらりとしていてよく溶け、うまみのある甘みが汁にじんわりと広がり、そのしみ込んだ野菜などは全く、こちらが主役と言っていいほどにうまいものに仕上がるのである。


 たっぷりと運動した後ということもあって、ぺろりと鍋を平らげた未来は、次に紙月の食事の面倒を見ることにした。


 着ぶくれて氷嚢も当ててもらい、少し落ち着いた紙月は、なんとか体を起こせるまでにはなっていた。


「大丈夫、紙月?」

「……食欲ない」

「それでも少しは食べないと」


 冷めぬように小さな土鍋に用意してもらったのは蕎麦粥である。

 ソバの実を熊出汁と牛乳とで煮込んだもので、素朴だが、味わい深いものである。

 紙月は鼻が利かないながらもなんとなくおいしくは感じるようで、食欲はないと言いつつも、未来が匙を向けると、雛鳥のように口を開けてこれを受け入れた。

 そうして結局、小さな土鍋を空にしてしまった。


 こうしたちょっとした食事でも紙月はすっかり体力を使ってしまったようで、たっぷりの汗をかいて、ぐったりと横になった。

 寒いだろうとは思ったが、汗をかいていて気持ち悪かろうと、未来は紙月をいったん脱がせた。

 そうして盥に貰った温泉の湯で手ぬぐいを濡らして絞り、紙月の薄い体を拭ってやった。

 ハイエルフの体はどこもきれいなものでできているかのようで、汗も少しべとつくが、未来のかく汗よりもずっとさらりとしていた。


 力の入らない体はまるで人形のようで、もしもそこに熱がなければ本当に人形そのものだろうと考えて、未来はちょっと恐ろしくなった。

 弱り切った紙月は、本当にそうなりかねないと思わせるはかなさがあった。


 紙月にインベントリを開いてもらい、新しい服を用意して着せてやると、紙月はもごもごと言った。


「ごめんな」

「なにさ、急に」

「俺、お前に面倒かけちまってるなって。頼りないなって」

「そんなことないよ紙月。前に、僕が風邪ひいた時も、面倒見てもらったでしょ。お互い様だよ」


 そうは言っても、紙月はすっかり参っていて、自責の念に駆られているようだった。

 未来は紙月の頭を撫でてやり、ゆっくりとその謝罪を聞いてやり、その度に大丈夫だよ、なんでもないことだよ、もっと甘えていいんだよと繰り返した。

 それは未来のほんとうの気持ちだった。


 やがて紙月はうつらうつらとしながら、熱の中で甘えていいのかと尋ねてきた。

 未来が勿論と頷くと、紙月はその袖をそっと引いた。


「一緒に寝てくれるか……?」

「もちろん」


 未来は微笑んで、そっとベッドにもぐりこんだ。


 紙月の思う気持ちは、未来の思うものとは全く別かもしれない。

 期待を持たせてくれるけど、でも全くの誤解かもしれない。

 でも仕方がないんだ。

 そう、仕方がないんだ。


 熱を持った体を柔らかくかき抱いて、未来はその熱を逃がさないようにと祈った。


(だって僕は君に夢中だからね。自分でもよくわかってることに)


 窓の外で、雪がどさりと落ちる音がした。






用語解説


・アイブ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン

 叶わないと知っていても。

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