第四話 温泉宿

前回のあらすじ


イェティオとそっくりの弟ヒバゴノに連れられ、一行は温泉宿へと。






 《根雪の枕亭》は少人数でまかなう山間の温泉宿としては、かなり立派なものに見えた。

 建物の造りがまず北部造りとでもいうのか、非常にがっしりとしたもので、三角屋根から左右に雪が落ちていくようになっていた。

 壁は分厚く、柱は太く、窓は小さい。

 飾り気というものは少なかったが、経年そのものがこの建物に風格を与えていた。


 また、遠目にも裏手の方に温泉の湯気が見え、二人の期待をいやおうなしに高めてくれるのだった。


 ヒバゴノが宿の前にそりを止めて、一行が下りると、正面戸を開いておかみが出迎えてくれた。イェティオたちの母親だという。

 やはり寒さのためかもこもこと着ぶくれていて、その下の体は寒さに耐えるためなのかがっしり体格が良かったが、見た限りおっとりとした上品そうな老婆で、正直なところを言えばまるで似ていなかった。


「あら、まあ、イェティオに、冒険屋のお仲間さんだべか」

「おう、お袋。こちら、シヅキどんにミライどんだ。おらの働いてる事務所の人でよ。ここまで急ぐのに手伝ってもらったんだ」

「あら、まあ、それはそれは、息子が世話んなりまして」

「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」


 ヒバゴノは厩舎に雪むぐりネヂタルポをつれていき、残った一行は宿へと入った。


 二重扉になっている正面玄関をくぐって中に入ると、途端にそれだけで寒さがぐっと軽減されたように思えた。

 話に聞けば、温泉からあふれ出てくる湯の一部を、冬場は床下の水路に流しているそうで、それでぐっと暖かくなっているそうだ。


「まさか異世界で床下暖房を見るとは……」

「もう何が来てもあんまり驚かないよね」


 奥の部屋に通されると、そこは小ぢんまりとした寝室で、頑丈そうなベッドには一人の老人が横たわっていた。伸ばしに伸ばした蓬髪と言い、顔面を覆う髭と言い、間違いなくイェティオの関係者と思われた。


「親父だべ」


 相違なかった。


「おお、イェティオ、よく来てくれただ。お連れは冒険屋仲間か?」

「事務所の人で、ここまで送ってくれたんだぁ。親父、具合はどうだ」

「いや、いや、てぇしたことはねえんだ。ちっと切傷作っただけでよ。ただ逃げるときに、したたかに腰をやっちまって、立つに立てねえんだ」

「親父も年だからよ、たかが腰、されど腰だべさ」

「あのちびっこが言うようになったもんだぁ」


 親子の再開に水を差さないように待ってから、紙月は控えめに申し出てみた。


「お怪我がつらいようでしたら、俺が治しましょうか」

「なに?」

「親父。シヅキどんは凄腕の魔女でよ、折れた骨もひでえ切傷もあっという間に治しちまうんだ」

「フムン。んだば、よかったらばちょっと見てくれや」

「よしきた」


 紙月は寝台に横たわるイェティオの父親の体に手をかざし、ゆっくりと魔力を通してその怪我の様子を確かめていった。

 これはある種の触診であり、その感覚は体の表面だけでなく、体の内側まで確かめるようなものだった。これがくすぐったいのか老人は少し身もだえたが、むしろ心地よさげにフームと深く息を漏らした。


「《回復ヒール》」


 いくつかの切傷と、腰の捻挫、それに胃腸の荒れを確認した紙月は、それら一つ一つに意識を向けて、同時に《回復ヒール》をかけていった。複数の光がそれぞれに適した癒し方で、それぞれの傷を、痛みを癒していく。


 このように、症状の一つ一つに目を向け、それぞれに適した治し方を試みるというのは、秋の祭りの臨時施療所で、医の神官アロオと回復遣いの冒険屋ベラドノから学び習ったことだった。

 その二人からしても反則と言わしめるくらいに速やかに回復治療する紙月のヒールは、この程度の傷であれば元よりも健康にしてしまうこともわけはないのである。


 光が消えた時、老人はゆっくりと風呂にでも浸かったような心地よい感覚に浸っていた。

 凍えていたようだった内臓がぽかぽかと温まり、そのぽかぽかが指先にまで広く薄く伸びていき、活力をみなぎらせているようだった。

 腰を痛めてから寝たきりになっていたせいか、いくらかなえ気味だった気持ちも持ち上がり、いまなら雪の中を走り回れるような気さえした。


「親父、どうだ」

「お、おう……おう、おう! こいつはすげえ! 腰だけでねえ、傷もだ、それに、胸のむかむかしてたのも治ったみてえだ」

「どうやら問題ないようだ。でもしばらくは気を付けて」

「おう、おう、シヅキさんといったな、ありがてえ、ありがてえ」


 まるで拝むような勢いである。

 そして拝むだけならばともかく、なんと頭を下げて頼みこんできた。


「こんなすげぇ人はそういねえ! ぜひイェティオの嫁に来てくれ!」

「親父!」

「あー、期待を裏切るようでなんですけど、俺、男です」

「男でもいい! 嫁さ来てくれ! なんならヒバゴノの嫁でもいいだ!」

「いえ、遠慮します。ほんと。勘弁してください」


 丁重にお断りすると、残念そうではあるがさすがに老人も強くは出てこなかった。

 紙月と未来はほっと息をつくのだった。






用語解説


・嫁

 帝国では法律において、結婚する両者の性別を定めた条文はない。

 またいかなる種族間の結婚もこれを否定する条文はない。

 極論、法律には書いていないから木の股と結婚しようが両者の同意さえあれば問題はない。

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