第九話 酔っ払い
前回のあらすじ
森の魔女の手料理に舌鼓を打つ冒険屋たちであった。
紙月のポトフは予想以上に好評で、もりあがった冒険屋たちはそのまま酒盛りに突入し、そしてひとり、またひとりと潰れていった。
最後の一人がつぶれた後、ムスコロをはじめとした最初から飲んでいないか、ほどほどにたしなんでいた連中が、暖炉そばに順に転がしていき、毛布を掛けていった。
元から厚着はしているし、丈夫が売りの冒険屋どもだ。風邪を引くことは、まあ、あるまい。
「くぁ、あ。さすがに、眠ぃ」
ぼやきながらもムスコロは皿を片付けて洗い、鎧姿の未来はそれを受け取って布巾で拭き、重ねていった。
皿を洗い終えると、大あくびとともにムスコロは部屋に戻っていった。
厨房の片づけをしていたほかの連中も、切りのいいところで、部屋に戻っていく。今夜は部屋が広く使えることだろう。
テーブルにもたれかかってまどろんでいた紙月も、未来が声をかけると、眠たげながらなんとか立ち上がった。
酔いのせいか眠気のせいか、足元がややふらついているので、未来が肩を貸す――のは身長差的に無理なので支えてやると、心地よさそうにむにゃむにゃと何か言いながらもたれかかってくる。
「ちょっと、せめて部屋までは歩いてよ」
「んんぅ……わあってるよぅ……」
よたよたと歩き出す紙月を支えて、なんとか部屋までたどり着くころには、未来は嫌な汗を背中にかいていた。
なにしろ今日はいやに酔ったらしい紙月ときたら、ぐにゃりぐにゃりとまるでタコのように柔らかく揺れては、あっちにふらふら、こっちにふらふら、いつ転ぶともしれず、それでしっかり支えようとすると、絡みついてくるのである。
暗い廊下を歩くために角灯を下げている身としては気が気でない。
いっそ抱き上げた方が早いのではないかと思うくらいだったが、そうしようとすると今度は自分で歩けると言いだして拒むのである。
そんな具合だから、なんとか部屋の扉を押し開けてベッドに腰を下ろさせたころには、ずいぶん時間がたってしまっていた。
気疲れと妙な疲労からぐったりと未来が膝をつくと、何が面白いのか紙月はそんな未来をペタペタと触ってくる。むしろペチペチと叩いてくる。
「むう。硬い。脱げよー」
「硬いって……はあ」
頭が痛い思いである。
とはいえどちらにせよ着替えたいからと鎧を脱ぐと、タコのようにするりと紙月の腕が絡んでくる。
「はあ……酔ってるの?」
「酒呑んでんだから酔ってんに決まってんだろー」
酔っぱらいは酔っていないというのが定番らしいが、この紙月は実に素直なことである。
素直でいいことなど何一つないのだが。
未来が抵抗しないと、紙月はますます調子に乗ってするすると腕を絡めてきて、そのまま腕の中にすっぽりと未来を抱きしめてしまった。最近髪を切ったばかりの頭に鼻先を突っ込まれて、ふすふすと匂いをかがれる始末である。
酔っぱらいのやることとはわかっていても、普段触れ慣れない体温が、少し高い温度で、ぴったりと密着してくるのは、未来にしても落ち着かないものがあった。
触れ返していいものかわからず、酒を理由に好き勝手にしていいわけでもなしともやもやを抱えたまま、未来は紙月の背を叩いた。
「ほら、着替えるよ」
「んー……もうちょっと……」
「ほーら。もう」
「んむ……うに」
未来が少し強く揺さぶってやると、頭痛がするらしく紙月は嫌そうに離れた。
全く、頭が痛くなるのならば飲まなければいいのにとは思うのだが、未来には不思議なことに、それでも大人たちは酒を飲むのである。
紙月が離れて、動揺を抑え込む余裕ができた未来は、衣装箱から寝間着を取り出して、着替え始めた。
本当であれば風呂に入るか、せめて体をふきたいところであったが、嵐で外に出られない、水も汲めないとなれば、贅沢なことだ。
明日の朝、紙月に《
未来が着替え終え、ちらっと確かめるようにふりかえると、紙月はもそもそと着替えている最中で、青白い背中が角灯の明かりにぼんやり照らされていた。
未来はそっと目をそらし、呼吸を整えた。
男同士であるし、背中が見えたからと言って、どうということはない。
けれど未来にはそれをじっと見つめることがなんだかとても失礼なことのように思われた。少なくとも自分がそうするのは、悪いことのように思われた。
そもそも、じっと見たいと思うこと自体が、悪いのだから。
背後の衣擦れが収まるのを待っていると、紙月がぽつりとつぶやいた。
それはあんまりにも静かな呟きで、嵐の音にかき消されてしまいそうなほどの小さなものだった。
それでも、それは未来の耳に届いた。
「俺は……俺はお前の役に立てているか」
平坦なその呟きは、問いかけるつもりもなかったのだろう、ただぽつりと吐き出されてしまった弱音のようにも思えた。
そのあまりにもはかない呟きを耳にして、未来は気付いた。
初めて、気が付いた。
この人はまだ
何にもなれず、何も成し遂げられなかった頃のまま、古槍紙月はいまもなお胸の中に
自分のためというその「自分」さえもうまく把握できないこの大きな子供は、自分が誰かの役に立つことでしか自分自身の存在を保てないのだ。
思えば初めから紙月という人にはそう言う危ういところがあった。
子供の未来のためとはいえ、紙月は必要以上に未来を大事にし、未来のことにばかり怒り、未来のことでばかり笑った。
そうだ。
だって古槍紙月にはほかに頼るものがなかったのだから。
既存の社会基盤というもたれかかる書き割りを失ってしまった紙月に、頼れる先は未来しかなかったのだ。
作り物の月の下でかろうじて胸を張りながら、この人にはよりどころがないのだ。
気づけば未来は、着替え終えた紙月の背をそっと抱いていた。
「大丈夫だよ紙月。大丈夫」
「ん……」
「君がいないと、僕はだめなんだ。君がいるから、僕は頑張れる」
酔いのせいか、眠気のせいか、もう半ば以上意識がないらしい紙月を、未来はそっとベッドに横たわらせる。
「……おやすみ。おやすみ紙月」
静かな寝息を立てるその額に、いまならばと唇を落とし、未来は苦笑いした。
「早く大人になりたいなあ。君を支えられる、立派な大人に」
二段ベッドの上段にのぼり、未来もまた瞼を降ろす。
今日はこもりきりなのに、随分といろいろなことがあった。
その疲れが、未来を深い眠りに落とすのだった。
用語解説
・《
この術には状態異常である酩酊を回復させる効果もある。
つまりいくら飲もうとこれの使い手は一瞬で酔いからさめられるのである。
・大人になりたい
でも大人って何だろう。
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