第十二話 暗闇の底で

前回のあらすじ

崩落する坑道。

果たして一行の命運やいかに。






 全身がばらばらになってそれでもまだ生きていたのならばこのような心地がしただろうか。


 冒険屋ピオーチョは、土蜘蛛ロンガクルルロの目でも見通せぬ、土で覆われた闇の中で、ようやく息を吐いた。体中が出鱈目に痛みを叫んでいて、少しでも動けばその叫びは割れんばかりとなった。

 その体中からの悲鳴を聞いて、ピオーチョは唇の端をひん曲げた。なんだい。すっかり枯れ果てたと思っていたけれど、まだまだ痛みを叫ぶくらいには元気じゃないかと。


 土蜘蛛ロンガクルルロは山の神に愛されている。そう言われる通り、土蜘蛛ロンガクルルロは少なくとも山の中では息が詰まるということがない。生き埋めにされても、それが原因で死ぬことはない。もっともこれがありがたいことなのかそうでない事なのかは意見が分かれるところだった。

 普通に穴に潜る分には大層ありがたいことは確かなのだが、生き埋めになって、それから息が詰まるのではなく餓えで死ぬことになるというのは余りありがたくない話なのだ。まして、身動きできない恐怖で気が狂って死ぬなど、たまったものではない。


 あたしの場合はどうだろうね。


 ピオーチョは身じろいだが、どうにも、手のひら分一枚分も動かしようにない程隙間というものがなく、かなりしっかりと生き埋めになってしまったようだった。幸いにも傷はないようで、激しい出血の感覚はないが、しかしとにかく打ち身であちこち痛かった。


 果たして飢えで死ぬのが早いか、気が狂って死ぬのが早いが、それとも年を食って老衰で死ぬのが早いか。笑い飛ばしてみようにも、あまりにも笑えない未来だった。


 未来。


 思えばあの若者たちの未来に対しては酷いことをしてしまった。

 シヅキとミライと言っただろうか。

 自分の我を通すためにこんなことをして、自分の我に巻き込んでこんな目に遭わせてしまった。

 ミライが掲げたとてつもない盾があっても、ピオーチョはこうして生き埋めの目に遭ってしまっている。落盤を真正面から受けたあの二人はどうなっただろうか。《金糸雀の息吹》は渡しているから、良くて同じように生き埋めか。悪ければ落石の直撃を受けて、潰れて死んでしまっているかもしれなかった。


 自分が死ぬことに関してはとうに覚悟ができているつもりだった。

 若者たちを巻き込んだことに対する後悔だけがあるように思っていた。


 しかしいまこうして身動きも取れず、ただただ死を待つことしかできない身となってみると、何故だか不思議と途端に死ぬのが恐ろしくなってきた。

 いままで漠然と、ただ唐突に訪れて唐突に終わるのだろうと考えていた死というものは、ある朝突然に人生が終わるだろうという想像の形とは違って、恐ろしくゆっくりとこの身に迫っているようだった。

 或いはそれは土蜘蛛ロンガクルルロの信奉する山の神ウヌオクルロとよく似た形をしていた。不定形の泥でできた巨人が、決して開かれぬ一つ目でじっとこちらを見据えながら、のっそりと、しかし着実に距離を縮めようとしているのだった。


 神を信じれば技は磨かれる。

 しかし、神を思えば狂気に晒される。


 いまの自分はどちらなのだろうか。ピオーチョはかちかちと奥歯のなる音を聞きながらそう思った。

 かちかち、かちかち、奥歯のなる音ばかりが聞こえる。かみ合わせは悪いわけじゃあなかったのに、不思議と止めようと思えば思うほどに、がちがちと、がちがちと、歯の根は合わなくなってくる。

 何にも聞こえない土の中で、心臓の音も、呼吸の音も、だんだんと聞こえなくなってきて、その代わりに、がちがちと、がちがちと、歯の根の合わぬ音ばかりが聞こえてくる。


 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち。

 がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち。


 助けてくれ!


 叫び声があふれだしたのは唐突だった。

 張り詰めた空気袋が破けるように、悲鳴は途端にあふれ出した。


 助けてくれ!

 ここから出しておくれ!

 死にたくない!

 あたしゃまだ死にたくないよ!

 いやだ!

 いやだ!

 まだ!

 まだ!


 何がしたいとか、やり残したことがとか、そんなことは思い浮かばなかった。

 ただただひたすらに、、死にたくなかった。

 もし来年死ぬのだとしても、来月死ぬのだとしても、来週死ぬのだとしても、明日死ぬのだとしても。

 、この瞬間、ピオーチョは死にたくなかった。死が恐ろしかった。


 ぐしゃぐしゃとみっともなく泣き崩れながら、死にたくない死にたくないと叫ぶ老婆が、それが、老練の冒険屋ピオーチョの姿だった。


 そしてその願いは呆気なくも次の瞬間にかなえられた。


『その調子だったらまだまだ死にそうにないでありますな』


 声と共にごそりと頭上の岩が取り除けられ、覗き込んだのはつるんとした卵型、囀石バビルシュトノの赤い目だった。


「あ……ああ……?」

『全く、崩落させた後は掘り返してくれだなんて囀石バビルシュトノ扱いが荒いでありますよ。計画がずさんであります』


 ミノと呼ばれるようになった囀石バビルシュトノは、太く力仕事に向いた腕に取り替えて、せっせと石や岩をどけては、すっかり脱力したピオーチョの体を、風の流れる坑道にまで引きずり上げた。


『こんなに泣きはらして、いくつになってもピオーチョ殿は泣き虫でありますなあ』

「だ、誰が泣き虫だい!」

『説得力ないでありますよ。昔から、嬉しくても泣いて、悲しくても泣いて、怒っても泣いて、囀石バビルシュトノには泣くという機能がないのでもうちょっと分かりやすい感情表現が好ましいのであります』

「昔からって、あんた、なにを」


 ピオーチョはそうして、土に汚れた囀石バビルシュトノの、その赤い目を改めて覗き込んだ。握りこぶしほどもあるだろうその大きな紅玉は、綺麗に研磨されたレンズは、しかし、確かにかつての面影を残していた。


「そりゃあ、あたしがやった……」

囀石バビルシュトノは鉱石を貰うと、無くさないように自分の体の一部にするのであります。そう言う習性があるのでありますよ』

「あ、あんた、あんときの囀石バビルシュトノかい!?」

『ピオーチョという名前の土蜘蛛ロンガクルルロに紅玉を貰ったのは確かにこの自分でありますな』

「な、なんで言わなかったんだい!?」

『それは習性についての話でありますか? 再会した時の話でありますか?』

「どっちもだよ!」


 囀石バビルシュトノは肩をすくめるようにした。それはピオーチョの仕草とよく似ているように見えた。


『自分達、割と空気が読めないのでそう言う失敗多いのでありまして、ぎゃんぎゃん泣かれて出て行けと言われると仕方ないかなあと』

「女の出て行けは構ってほしいってぇのに決まってるだろ!」

『そんな滅茶苦茶な。それで再会の時でありますけれど、なにしろもう何十年もたって個体の変化が激しいので、ちょっと区別がつきかねたと申しますか』

「なんだい、老けたってかい」

『ありていに言えば』

「女が老けたかって言ったら変わりませんよっていうのが甲斐性だろうが!」

『ええー滅茶苦茶でありますよ』


 すっかり打ち付けられて身動きも取れないピオーチョを、ミノは器用に卵形の体に載せて歩き始めた。それはうまく人が載るようにできていた。


『でも、そうでありますね。泣き虫で、声が大きくて、寂しがり屋で。そう言うところは変わっていないでありますよ』

「そういうのは……馬鹿だねえ、全く」


 坑道に、光が差し込んでいた。






用語解説


・ないんだなこれが。

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