第17話:一方その頃

 ――ルクス学院の卒業式を十日後に控えた日。


 寂れた公園の片隅でリリィ・ハーシェルは項垂れていた。


 ここはレイディア王国ミストラル領の辺境、人口数百人程の小さな町。


 物心ついた時から両親の居なかった彼女はこの町の孤児院で生まれ育った。


「はぁ……」


 もう何度目にもなる大きな溜息を吐き出す彼女の顔には深淵よりも暗い影が落ちている。


 普段はよく人目を引く煌々たる金髪も、今はその陰鬱とした雰囲気によってくすんで見える。


 今日は学院を無事に卒業出来る旨を自らの後見人である院長夫妻に報告するべく故郷を訪れた彼女であったが、その心は未だにあの日に囚われていた。


 それは先日行われた武術大会の決勝戦での出来事。


 強敵との戦いを制した自分に背を向けて、どこかへと去っていった恩師の姿。


「先生……どうして……」


 半ば恨み言のように悲痛な声が漏れ出る。


 出身校も身分も全て虚偽だったあの女は一体誰で先生とはどんな関係なのか。


 勝ったのは自分なのに、どうして先生は私に背を向けて去っていったのか。


 私との約束なんてもう忘れてしまっているんだろうか。


 思考はまるで迷宮に囚えられたかのように同じ場所を回り続けるだけで、僅かな光明さえ射し込まない。


 答えの出ない自問をひたすら繰り返し、心を更に深い闇へと落としていく。


 孤児院へと向かう気力も沸かないまま、更に一時間ほどそうしていると――


「あーっ!!」


 項垂れていた彼女の頭へと向かって、誰かの声が響いてきた。


 懐かしさを覚えるその声の方へとリリィが頭を上げる。


「やっぱり! リリィだ! おーい!」


 まともに整備されていない雑草だらけの地面を蹴って、視線の先から彼女と同年代の女性が駆け寄ってくる。


 短い茶髪に人当たりの良い性格が見て取れる顔立ち。


 その姿を確認したリリィの瞳にほんの僅かではあるが生気が蘇る。


「ミル……」


 覇気のない声でリリィが駆け寄ってきた女性の名を呟く。


 それは同じ孤児院で育ち、同じ中等学校で過ごした彼女の幼馴染だった。


「久しぶり! 本物だ! 本物のリリィだ! 元気にしてた!? 今日はどうして帰ってきたの!?」


 すぐ側まで来たミルがリリィとは対照的に目を爛々と輝かせて捲し立てる。


「卒業が決まったから院長先生たちに直接報告しておこうと思って……」

「おお! それはおめでとうだね! ……ていうか、あそこを三年で卒業できるなんてやっぱリリィはすごいなぁ……」

「そんなことないよ。もし入ったのがミルだったら……私よりずっと上手くやれたと思う……。卒業出来るって言っても、その後の進路はまだ決まってないし……」


 旧友から視線を外し、リリィはまた深く項垂れる。


「えっ、決まってないって……何も? どこかの領主様に騎士として召し抱えられるとかは?」

「ううん……平民の私にはそんな話は全く……」


 ルクス学院の生徒はその大半を一流貴族の子息が占めている。


 その卒業後の進路としては家督を継ぐために自領へと戻る者や官僚として宮廷勤めとなる者、あるいは幹部候補として軍属となる者が多い。


 しかし、平民出身であるリリィにそのような華々しい道は用意されず、彼女に来たのは精々が一兵卒としての登用の話だけだった。


 大貴族に騎士として召し抱えられる夢物語を見ていたわけではないが、それでも想像していた以上に厳しい現実もまたフレイの件とは別に彼女の心を挫かせていた。


「そうなんだ……で、でもリリィなら絶対良い話が来るよ! なんたって私に勝ってルクスに入学したんだから! それに美人で、性格も良くて……後なんだろ……えーっと……とにかく神様は絶対に見てるって!」

「うん、ありがと……ミルももうすぐ卒業だよね? そっちはどうなの?」

「え? あー……うん、それなんだけど……」


 リリィからの質問に、これまではきはきと喋っていたミルが言葉を濁す。


「……だけど?」

「今の話をした手前……言いにくいんだけど……」


 バツの悪そうな表情をしながらミルはリリィの顔を一瞥する。


「私に遠慮しなくても大丈夫だよ。私もミルの話が聞きたいから」

「それなら言うけど……実は……私を騎士として召し抱えたいって話が来てるらしくて……」

「うそっ、ほんとに!? 誰から!?」


 騎士という単語を聞いたリリィがその場で飛び跳ねそうなほどに驚いた。


 騎士とは領地を持つ貴族に直属の護衛として仕える者であり、自領こそ持たないが貴族の一角として扱われる役職である。


 ミルが通うのは地元にある平民の武術学院。


 卒業後の進路は街の衛兵や国軍の末端兵士になる者が大半で、領主に騎士として登用された例は過去に数える程しかない。


 旧友がその一人になると聞いてリリィが驚いたのは当然の反応だったが、次いで紡がれた言葉は更に彼女を驚愕させた。


「……アニマ様」

「え? そ、それって公爵の……?」

「うん、賢者のアニマ・ミストラル様……公爵で……勇者様の戦友の……」

「ミル……それ本当なの……?」


 無言で小さく頷くミル。


 それを見てリリィもたちの悪い冗談ではなく真実なのだと理解した。


「すごい……ううん、それってすごいどころじゃないよ……」


 抱えていた苦悩を全て忘れたかのようにリリィは顔を驚愕の表情で埋め尽くす。


 ミルが口にしたのは紛れもなく拝名五大貴族の一人で“賢者”の称号を冠し、この一帯を統治する女公爵の名前。


 幼馴染がそんな大貴族の騎士になると聞けば、そこまで驚くのも無理はなかった。


「実は私もさっき聞いたばかりで全然現実感がなくて……。ねぇ、リリィ……これって夢じゃないよね? 私、まだ全然信じられなくって……」

「大丈夫、夢じゃないよ。本当におめでとう、ミル。公爵様の騎士なんてすごいよ……」

「ありがとう……でも、本当にいいのかな……だって私、平民の孤児で……リリィみたいに有名な学院の出身でもないのに……」

「心配しなくても大丈夫だよ。ミルがずっと努力してたの私は知ってるんだから」


 打って変わって不安げな表情を浮かべるミルをリリィが優しく諭す。


 ミルがルクス学院への特別入学枠を逃した後も腐らずに努力し続けていたのを彼女は伝え聞いていた。


 故に妬み嫉みは一切無く、旧友の躍進に対して心からの祝福を送る。


「で、でも私……初めての顔合わせでいきなり粗相しちゃったらどうしよう……礼儀作法なんて全く知らないし……うぅ……こんなことなら勉強しとけば良かったぁ……」


 大真面目にそんな心配をするミルを見て、リリィは久しぶりにくすくすと微かに笑い声を溢す。


「わ、笑い事じゃないってばぁ……私にとっては死活問題なんだからぁ……」

「ごめんごめん。でも、私は一度だけ学院の見学に来てるアニマ様を見かけたことあるけど、そこまで礼儀に厳しそうな方には見えなかったよ」

「ほ、ほんとに!? どんな人なの!?」

「直接お話させてもらったわけじゃないから私から見た印象だけど、ずっとニコニコしてる温和そうな人で……」


 以前、見かけた女公爵の姿を思い浮かべながらリリィがその人となりを語っていく。


 この国で唯一の女公爵にして、"賢者"の称号を持つ魔工学技師。


 勇者ルクスの戦友として名を上げる前から数多くの魔道具を発明した者としても名を知られていた稀代の天才。


 前線で魔族と相対する者たちが使う武器だけでなく、今や人の暮らしにとって必需品となった道具の数々も彼女の知恵によってもたらされた物は多い。


「でも、あんまり人前には出てこない人らしいけどミルの事はどこで知ったんだろう」

「う~ん、どこかの武術大会に出た時にお忍びで見に来てたとか? 流石にそこまでは分からないけど、私を見出す眼識を持ってる人ってのは確かだね」


 半ば冗談のように言いながら胸を張るミルを見て、今度はリリィもはっきりと笑い声を上げた。


 その顔にはずっと苦悩していたのが嘘のように明るい笑顔が浮かんでいる。


「あっ、ごめん……私、自分の話ばっかりしちゃって……」

「ううん、いいよ。私も会えなかった間の話を聞きたいし。それに久しぶりにミルと話せたおかげで悩みもどっかいっちゃったし」

「え? 何か悩んでたの? それなら尚更ごめん……自慢話みたいになっちゃって……」


 叱られた子供のようにしゅんと縮こまるミル。


 そんなころころと変わる彼女の仕草を見て、リリィは更に大きな笑顔を見せる。


「だからいいってば。もう平気だから」

「じゃ、じゃあ次は私にもリリィの学院での話を聞かせてよ。名門の学院ってどんな授業してたの? 礼儀作法の授業があったりする? あっ、それよりもやっぱり恋バナが聞きたい! 実はちゃっかり向こうで恋人なんか作ってたりして!」

「こ、恋人なんてそこまでは……」


 恋人という言葉にリリィは反射的に敬愛する恩師の姿を思い浮かべて頬を赤らめた。


「あっ! その反応! 超怪しいんだけど~……これは一晩じっくりと聞かないといけないなぁ~……」

「もう、やめてってばぁ……まだそういうのじゃないから……」

「まだ!? まだってどういうこと!?」


 夕日の染まる孤児院までの道のりを並んで歩きながら、リリィは一つの決意を固めていた。


 かつて自分とたった一つしかない席を争った幼馴染が、敗れても挫けずに努力を重ねて大きな躍進を得た。


 それなら自分もたった一度の挫折でいつまでも俯いているわけにはいかない。


 自分へと来ていた唯一の登用に関する話。


 ミルと比べれば決して良い話ではないが、それだけが自分に残された道であるなら受けよう。


 しっかりと前だけを見て進んでいけば、どんなに険しい道でもきっと先生の下へと繋がっているはずだと。

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