第16話:出発の日

 竜人族の里を後にし、久しぶりに屋敷へと戻った俺はすぐにロゼにアンナの頼みを伝えた。


 前回よりも更に危険な長期の滞在。


 流石に今回は交渉が難航するかもしれないと考えていたのに反して、提案から半日もしない内に人間界行きの許可は降りた。


 あまりにも簡単に決まったので『ただの雇われ教師の判断で大事な令嬢の一人を危険な場所へと赴かせていいのか?』と俺の方から尋ねたが、ロゼからは『貴方が決めたのであれば私達はそれを後押しするだけです』とだけ返ってきた。


 余計な手間がかからないのはありがたいが、ここまで信頼されるのは逆に怖い。


 人間の俺を彼女らの教師にした理由も謎なままで、未だ拭いきれない不気味さがある。


 まあ、俺も本来の目的を隠している以上は下手に何も言えないが……。


 ともかくアンナの提案は瞬く間に受け入れられ、次はロゼを交えた三人で渡航に際する条件を話し合うことになった。


 期限はどうするのか、人間界のどこに行くのかなど……。


 そして数日かけて互いが納得する条件が締結され、出発の日を迎えた。


「アンナ、分かってるな? 期限は一ヶ月。向こうでは他人との接触は極力避けること。安否確認の連絡は毎日寄越すこと。それから万が一の場合は身の安全を最優先するんだぞ」


 屋敷の玄関で出発の最終準備を行っているアンナにしつこいほど念を押す。


 その身体は普段着ている竜人族の仰々しい衣装ではなく、人間の旅人が着るような衣服に包まれている。


 角や翼、尻尾といった魔族としての特徴も魔法によって擬態され、傍目には人間の女性にしか見えない。


「何度も言われなくても分かってるさ。少しは信用してくれ」


 やや鬱陶しげに応えられるが、どれだけ安全を期しても心配なのは仕方がない。


 渡航許可を出した手前の責任感もある。


「……それから、絶対に一人では行動しないようにな」


 そう言いながら、今回の渡航でアンナの護衛を務めるもう一人へと視線を移す。


「いや~ん! どうしよどうしよ~! 向こうでお金持ちイケメンに見初められたりしたらどうしよ~! これを期に永久移住!? で、でも私にはロゼお姉さまが……あ~ん、でもでも~……」

「なあ、ロゼ……本当にこいつで大丈夫なのか?」


 妙な心配をしながら色めき立つ桃色の体毛を生やした獣人メイドのリノを指差す。


 アンナと同じ様に、その身体は普段のメイド服ではなくサンが普段着ているような軽装を纏っている。


「はい、フレイ様の出した条件に合致する者の中ではリノが最も適任だと思います」


 決定してから都合五度目となる俺の疑念に、ロゼが同じく五度目となる答えを繰り返す。


 当初は教え子を危険な場所へと向かわせる責任を取る意味も兼ねて、俺が同行するつもりでいた。


 しかし、人間である俺が側にいると公平な目で世界を見れないとそれは強く拒絶された。


 俺としてもその意見には一理あると思ったが、かといって一人で行かせるわけにはいけない。


 そこで折衷案として出したのが、万が一の際にアンナを安全な場所へと退避させられる能力を有した優秀な魔族の一人を護衛に付ける条件。


 魔族であれば側にいたとしても判断の支障にならないだろうとロゼに適当な者を選抜して欲しいと頼んで出てきたのが、まさかのこいつだった。


 頭から生えた猫のような二つの耳と長い尻尾。


 アンナとは違い、獣人族としての特徴はそのまま残っている。


 擬態魔法のかけ忘れではなく、獣人族は少数ではあるが人間界にも暮らしている者がいるのでわざわざ擬態する必要がないからだ。


 待遇は決して良いとは言えないが、居住証明の書類さえあれば街を歩いていても不審には思われない。


 だから色んな意味で目立つこいつが側にいればアンナに向けられる注意を逸らせるという意味では適任なのかもしれないが……。


「なんですかなんですか……もしかして私のことを疑ってるんですかぁ……?」

「おう」

「即答!? 私、信用無し!?」

「お前って万が一の時、真っ先に自分だけ逃げ出すタイプじゃないのか……?」


 歯に衣着せず、思ったことをそのまま口にする。


 これまでのふざけた言動の数々からして信用出来る要素が微塵も存在していない


「んな!? よもや私の忠誠心を疑いますか!? 私が大恩あるロゼお姉さまを裏切るわけないじゃないですか! え? 私とお姉さまの馴れ初めが知りたいですって? んもぉ~……仕方ないですねぇ……そう、あれは今から五年前……私がまだ感情無き殺戮兵器だった時のこと――」


 嘘臭い昔話を語り始めたアホから視線を逸してロゼを見る。


 本当の本当にこれで大丈夫なのかと目で問いかける。


「こう見えて腕は確かですので。特に市井へと溶け込むのは専門分野と言って差し支えがないと思います」

「流石はお姉さま! 私の理解者! フレイ様、そんなに心配なら試してみますか? 獣人族に古来より伝わる禁断の殺人術を見せてあげますよ……ほわちゃー!」


 変なポーズを取りながら威嚇してくるアホ。


 これっぽっちも強そうには見えないが、ロゼがここまで言うなら信用するしかない。


 実際、二人だけでこの大きな屋敷の管理を任されてるのは確かだ。


 ロゼの方には戦闘能力がなさそうなのを鑑みると、こいつの腕が立つのは事実なのかもしれない。


「お前がそう言うなら……」

「そうそう、大船に乗ったつもりで任せてください!」


 ……心配だ。


 自信満々に薄い胸を張っているリノの隣でアンナが出発の準備を終える。


「よし、そろそろ出発とするか」

「アンナ姉さん……本当に気をつけてくださいね?」


 最低限にまとめた荷物を抱え上げたアンナをフィーアが心配そうに眺めている。


「向こうにいる者たちとも連携は取れている。そう心配するな。それよりもお前たちはお前たちで、自らのこれからのことを私が帰ってくるまでによく考えておくんだぞ」

「なによ偉そうに。言われなくたって考えてるわよ」


 相変わらず姉に対して憎まれ口を叩くイスナだが、心の底では心配しているのは明らかだ。


 さっきロゼが途中で食べるようにと渡した携行食を作るのに朝から手伝っていたのを俺は知っている。


「なら、私の方からも心配はなさそうだな。……さて、そろそろ行くとするか」

「あいさー! では、行ってきまーす!」


 二人が荷物を抱えて玄関口から出ていく。


「アンナ」


 屋敷の敷居を跨いで出て行こうとしたアンナの背に声をかける。


「ん? なんだ?」

「……いや、なんでもない。気をつけてな」

「ああ、行ってくる」


 最後に伝えようとした言葉をぐっと飲み込んで送り出す。


 ちゃんと自分の目だけで世界を見て、自分の意志だけでどの道を進むのかを決めさせないとな……。


 もう少しで余計な先入観を与えてしまうところだった。


 アンナは少し困惑しながらも言葉ではなく手を上げて応え、そのまま白い陽光の中へと消えていった。

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