第18話:メイドの素顔
アンナが出発した日の夕方。
特に当てもなく敷地内を散歩していると表の庭園へと行き着いた。
本来は色とりどりの顔を持つ花々が今は夕陽によって朱の一色に染め上げられている。
息を呑むほどに美しい光景だが、その中央にはそれらが霞むほどの儚い美しさを有している女性が佇んでいた。
彼女は俺が来たことに気づかずに、じっと自らが世話している花を物言わぬ視線で眺めている。
「どうした? 珍しく黄昏れて」
気づかれないまま側に近寄り話しかけると、ロゼは驚くでもなくゆっくりと振り返った。
「いえ、特に何も。ただ花を眺めていただけです」
「この広い庭園を一人で手入れしてるのもそうだけど、俺が近づいて来たのにも気づかないくらい見惚れるとはそんなに好きなんだな」
「……好き?」
きょとんと首が小さく傾げられる。
「ん? ああ、花のことだよ。好きなんだろ?」
言葉足らずだったかと思って言い直すが、それでもロゼは解せない表情のまま固まっている。
「好きじゃないのか? だったら毎日世話してるのはただの習慣か?」
「……考えたことがありませんでした。私は花が好きなんでしょうか?」
しばし考え込んだかと思えば、大真面目にそう尋ね返された。
「好きなんでしょうかって……そんなことを俺に聞かれても知るわけないだろ。お前の好みのことなんて」
「それもそうですね。では、今度までに考えておくことにしておきます」
「そ、そうか……じゃあ分かったら是非聞かせてくれ」
「はい、考えておきます」
あまりにも妙なやり取りに、これ以上この会話を続ける気力を失ってしまう。
感情表現に乏しいだけの常識人だと思ってたが、やっぱり少し変わっているのかもしれない。
「しかし……ここに来てもう半年以上経つけど、お前が何を考えてるのか俺には相変わらずさっぱりだよ」
「そうですか?」
「そうだよ。少しはこう……笑ったり……驚いたりしてくれたりしたら分かりやすいんだけどな」
「善処します」
その変わらぬ淡々とした口調から今後も感情表現は期待出来ないと察する。
「アンナが人間界に行く許可をすんなりと出したのも人間の俺を雇った理由も未だに謎のままだし……謎だらけだよ、お前らは……」
「それらは私の意思だけに拠る判断ではありませんが、そうですね……では、無事に試験を合格へと導いた褒賞……というわけではありませんが、一つだけご質問にお答えします」
「随分と唐突だな……。どんな質問でもいいのか?」
突如として与えられた知る権利に、少し前のめりになる。
「はい、私に答えられる範囲であればどのようなご質問でも」
「どんな質問でも……」
その言葉に頭の中を複数の疑問が駆け巡った。
魔王の娘の教育係として俺を選んだ理由。
あの子たちをこれからどうしようとしているのか。
どうして父の名が魔族の世界では伏せられているのか。
答えられる範囲でと言ったが、いつもの仏頂面で質問を待っているロゼは俺の知りたい全てを知っているようにも見える。
突然与えられたまたとない好機……だが、自然と口から出たのは脳裏を過ぎったのとは全く違う言葉だった。
「じゃあ、お前のことでも教えてくれ」
「……私の?」
こんな質問は想定外だったのか、ポカンと少し気の抜けた顔をしている珍しいロゼを見れた。
「別にそんな大した話じゃなくていい。年齢とか……趣味とか……何の種族なのか……とか、流石に同僚のことを未だに知らなさすぎるのもあれだろ?」
「二十二歳です」
「え? ああ、そう……二十二歳……一つ下なんだな……」
あっさりと答えが返ってきて少しみっともなく狼狽えてしまう。
自分の一つ年下の二十二歳。
たったそれだけだが、これまで朧げだったロゼの存在に初めて具体的な情報が付与された瞬間かもしれない。
「趣味のようなものは特にありません。それと種族は人間です」
「庭いじりは趣味ってわけでもないのか……で、種族は人間か……え? に、人間!?」
「はい、人間です。幼い頃、ハザール様に拾われて以後こちらで暮らしています」
特に衝撃の事実を告白している風でもなく、普段通りに淡々と喋るロゼ。
「お、お前にしては面白い冗談だな。魔王に拾われて……それから娘の侍女をしてるって?」
「そうですが、何か問題でもありましたか?」
普段と1mm足りとも変わらない顔のままで言われる。
本心の分かりづらい奴だが、嘘や冗談を言っているようには見えない。
「問題があるというか……それは本当の話なのか? 人間が魔族界で何年も暮らしてるって……」
自分よりも更に特殊な境遇の人物が存在しているとは考えたこともなかった。
「信じられないのでしたら、ご自身の目で確認されますか?」
身体ごと俺の方へと向き直り、自分の肉体を示すように片手を胸に置くロゼ。
「か、確認って……」
魔族の大半は何かしら人間とは違う身体的特徴を有している。
例えばアンナの角や羽、イスナの尻尾、サンの耳、フィーアの牙、フェムの身体のような。
人間だと確認するということは、すなわちその有無を調べろと言っているに他ならない。
しかし、姿勢正しく佇むロゼの身体は露出の極めて少ない侍女用の衣服に包まれていて今のままでは確認しようがない。
とすれば、その言葉が意味するのは――
「今のは冗談です」
「……お前って本当に時々エグい冗談を言うよな」
今が夕方で良かった。
おかげで顔が赤くなっているのがバレずに済んだ。
「申し訳ありません」
謝罪されるが、無機質な口調のせいで本心が分かりづらい。
こう見えて内心では俺をからかってほくそ笑んでいるのかもしれない。
「ったく、人をからかうのも程々にしてくれ。ただでさえ女所帯にいて色々と肩身が狭いんだから……それで、お前が人間ってのは本当なのか?」
「はい、本当です……と言っても、元々隠しているつもりもありませんでしたが」
「聞かれなかったから答えなかっただけだって?」
「そうですね」
「はあ……自分が人類で初めて魔王の娘と交流を深めた人間だと自惚れてたのに、とっくに先を越されてたなんてとんだ道化になった気分だよ……。もしかして他にも驚くような秘密を隠してたりするんじゃないのか?」
「どうでしょう。質問にお答えするのは一つだけですので」
さらなる追求は僅かな意地悪さを含んだ言葉で躱される。
「なら、次の質問は今度の課題を無事に突破した褒美までお預けってことか」
「そうですね……そうしましょうか」
ロゼはそう言って、再び庭園の方へと向き直る。
二十二歳の無表情で無感情な無趣味の人間なのに魔族の世話をしているメイド。
予想外の事実に驚きはしたが、ミステリアスで底の知れなかった存在がようやく等身大の一人の女性になった気がする。
「来週からはまたお嬢様方の家庭訪問ですか?」
「え? あ、ああ……そのつもりだ。次はフィーアの地元で……その次はサンの地元の予定でいる。ちょうどアンナが帰ってくる頃まで此処を空けることになるかな」
横顔を眺めていると、いきなり仕事の話になって少し戸惑う。
さっきから調子が崩されっぱなしだ。
「畏まりました。準備の方は私の方で進めておきます。数日中には許可も下りるでしょう」
「いつも仕事と理解が早くて助かるよ」
相変わらずの無欠な仕事っぷり。
しかし、ここまで完璧だと少しくらいは弱みを見たくなるのも人の性だ。
さっきのお返しというわけではないが、一抹の悪戯心がふつふつと湧いてきた。
「でも、次はリノも居ないから俺たちが居なくなると此処はお前一人になるんだな。この広い屋敷に一人きりは流石のお前でも心細いんじゃないか? 寂しくないように時々手紙でも送ってやろうか?」
答えに窮する姿が見たいと今度は俺の方から少しからかってみるが――
「はい、フレイ様がいないのはとても寂しいので是非お願いします」
返ってきたのはまるで大弓から放たれた矢のように真っ直ぐすぎる答え。
天然なのか意図的なのか、どちらにせよ自分の悪戯心がそのまま跳ね返ってきて胸に突き刺さる。
「……どうされました?」
「いや、なんでもない……暗くなってきたし、そろそろ戻るか……」
常に俺の一枚上手を行くメイドに背を向けて歩き出す。
今が夕方で本当に良かった。
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