第15話:長女の頼み
修練所を訪れた俺は竜人族に伝わる秘儀とはすなわち、『自らの心の形を武器として発現する魔法』ではないかという仮説を早速アンナに伝えた。
「なるほど、自らの意志を武器として……」
話を聞き終えたアンナが鍛錬で掻いた汗を拭きながら呟く。
「まだ根拠といえるほどのものがあるわけじゃないけどな。でも、もしこれが正しかったら秘儀として伝わっていながら、炎の剣の存在が古い文献にも出てこない点も腑に落ちる」
ルーンが発明される以前、古代の魔法は自らの想見だけを以て行使されていた。
すなわち、心で放っていたわけだ。
あの魔法がその時代に生み出されたものなら、同様の性質を持っている可能性は十分にある。
「確かに、そう言われてみれば私の方でもいくつか思い至る節があるかもしれない」
顎に手を当てて、やや俯いたままアンナが続けていく。
「例えば過日、父上に立ち向かう決意を固めた時はいつもより高い出力を発揮できたように思う。また逆も然りで、心身の調子が良くなかった日は思うように行使できないこともあった」
「それならかなり感覚的になるが、もっと強い感情を込めて魔法を行使してみたらどうだ。例えば……そう、次の目標だ。それを心に浮かべながら発現してみるとか」
「次の目標か……」
俺の提案に対して何故かアンナは更に深く俯いた。
「……どうした? 何か気になることでもあったのか?」
思っていた反応と違ったので当惑する。
確かにまだ仮説も仮説だが、何の光明もない状態から僅かに掴んだ糸口でもある。
もう少し色よい反応を見せてくれると思っていた。
「この魔法を深化させるのに、父上に立ち向かった時よりも更に強い目的意識が必要だというのなら……今は私には難しいかもしれないな」
「難しいって……急に弱気になってどうした。自分から改良したいって言い出したんだろ? 試してみる前から諦めるだなんてらしくないぞ」
自信家のアンナの口から出たとは思えない言葉に当惑の感情が込み上がってくる。
「それほどの迷いが、今の私の心にはあるということだ」
「迷い……?」
「ああ、その迷いを断つためにより強い力が必要だと考えたわけだが……まさか、こちらの道にも障壁として立ちはだかるとはな……」
「何なんだ? その、迷いってのは……」
心配になって尋ねるが、アンナは俯いたまま沈黙している。
その顔には父親から見捨てられかけた時とはまた違う暗澹たる影が落ちている。
何かを深く考えて込んでいるのか返答はない。
それでも俺からは催促せずに、向こうから話し出すのを待つ。
思えば、ロゼから次の目標を見つけろと告げられた時からアンナは少し様子が変だった。
そう考えながら沈黙を見守っていると、ようやくゆっくりと口が開かれた。
「……君に一つ、頼みがある」
「頼み? また急だな……その迷いってのと何か関係のある話か?」
質問に対する答えではない言葉に少し面食らう。
「そうだな。先日、ロゼに次の目標を決めろと言われた時から考えていたのだが光明はそこにしかないと思っている」
「だったら言ってみろ。俺に出来ることなら頼まれてやる」
生徒が悩んでいるなら、それを解決へと導いてやるのが教師の仕事だ。
胸を張って応えるが、続けてアンナの口から出たのは想像の遥か上をいく言葉だった。
「もう一度、人間の世界に行きたい」
耳を疑うような言葉を上手く頭で処理出来なかった。
「は? い、今……なんて言った?」
「人間界に行きたいと言った。この目で私たちと敵対している者の世界を見て回りたいんだ」
伏せていた顔を上げて、顔を真正面から見据えられる。
その目には冗談として言っている気配は一切見えない。
「人間界に行きたいって……急にそんなことを言い出して……どうしたんだ?」
「急に、というわけではない。先日、ロゼから新たな目標を見つけろと言われた時から考えていたことだ」
「だとしても俺からすれば急もいいところだ。まず理由を聞かせてくれ」
魔法の鍛錬を手伝って欲しいと言われたかと思えば、今度は人間界に行きたい。
話の展開がめちゃくちゃすぎてまるで付いていけない。
「以前の……父上の背を盲目的に追っていた時の私は、人間こそが我ら魔族にとって唯一絶対の敵であると考えていた。全ての敵を討ち果たして人類圏の統一を果たすことが自分にとっての本懐。魔王の子として生まれ、次代の魔族の担う者の義務だとさえ考えていた」
淡々と、当時の自分を少し恥じ入るような口調でアンナがその心情を吐露していく。
「しかし、そんな折に私は君と出会った。最初は父上の気まぐれ程度に思い……正直、人間である君には敵意を抱き……見下してさえいた。だがそんな君によって、近視眼的だった私の視界は晴らされた。これからはただ盲目的に父上の後を追うのではなく、自分で考えて自分の道を踏み出そうと……。だが、晴れた視界で見る世界はこれまでのように単純ではなかった。そこにあったのは混沌の中に佇む数多の道。果たしてその中のどれが正しき道なのか、どれだけ考えても迷いは強くなるばかり。いや、正誤も……あるいは善悪さえもそこにはないのかもしれない……」
「だからあるがままの世界を見て、自分の意志だけで進むべき道を決めたいって?」
「そうだ、私は誰と……いや、何と戦うべきなのかを今度は自分の意志を以て判断したい。この目で世界を見て、それでもやはり私達は争い合うしかないと判断できたのならばきっと私は迷いなく戦える。だが、もしそうでないのであれば……」
アンナは再び沈黙する。
その先にある言葉は彼女にとって軽々しく口に出来るものではないらしい。
しかし、その目には燃え盛る炎を思わせる精強な意志が浮かんでいる。
それを見て俺は自分の推測は間違っておらず、アンナの心があの剣を生んでいるのだと確信できた。
「お前の気持ちはよく分かった。でも、だからと言って人間界に行くなんてそう簡単には許可できない。危険だし、もし正体がバレたらどうなるか分かるだろ?」
アンナが自身がどう思えど、周囲は魔族を敵と判断している者だらけ。
そんな場所で魔族、更には魔王の娘だと露見すればどうなるか。
もし捕らえられれば凄惨な拷問にかけられ、仮に逃げられたとしても人々に対して魔族に対する恐怖を更に煽ってしまう。
「無論、承知の上だ。万が一そうなったとしても、その結果の責任は私自身が負う」
偽りのない心からの決意が言葉からも伝わってくる。
見ているだけで圧倒されそうになる命さえ投げ打つ覚悟の向こう見ずな高潔さ。
しかし、それは同時に大きな危うさでもある。
前回のように一箇所に短期間という話なら大した問題もなく過ごせるかもしれない。
だが、今回は口ぶりからすると長期に渡って多くの場所を見て回りたいと考えているのは明らかだ。
性格と目的からしても、ただ大人しく見物しているだけで済むわけがない。
危険は前回の比ではなく、おいそれと許可を出すわけにはいかないが……。
「頼む! 私をこんな風にした責任を取ってくれ!」
「……妙に人聞きの悪い言い方をするな」
「後生だ! フレイ!」
必死の形相で、縋り付くように懇願してくるアンナ。
自分が納得する答えを得ようとするそのがむしゃらな姿が自分と重なる。
両親の死の真相、そして父がこの世界で何を成そうとしていたのかを知るために、危険や道義を顧みずに単身で魔族界へと足を踏み入れた自分。
人間である俺との交流を通して成長し、今度は自らの目で世界を見て進むべき道を見出そうとしているアンナ。
道筋は違えど、俺たちは同じ地点へと向かおうとしているのかもしれない。
「……仕方ないな」
根負けした俺がそう漏らすと、ぱぁっと雲の隙間から日が差し込んだような笑顔がその顔に灯った。
教え子を危険に晒したくないという想いは当然ある。
それでもアンナのこの想いを否定するのは自分……ひいては父を否定することになる。
「それは許可してくれるということか!?」
「まだそこまでは言ってない。とりあえず屋敷に戻ったら俺からロゼに話してやる。それで許可が出なかったらそこまでだし、仮に許可が出たとしても万が一が起こらないように安全を期す必要もある。すぐに決定というわけにはいかない」
そう言いながらも、これまでそうだったように俺の許可さえあればロゼは何の口も挟まない確信はあった。
「ああ、分かっているさ! なら、今から屋敷へと戻ろう。家庭訪問はもう十分だろう?」
さっさと身支度を整えて修練所から出て行こうとするアンナ。
逸る気持ちを抑えられないのか、まるで子供のように目を輝かせている。
果たしてこの目で世界を見て、どんな答えに辿り着くのだろうか……。
出来ればそれが自分と同じ方向を向いていることを願う。
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