第14話:魔法は心で

 その日の夜、また昔の夢を見た。


 だが珍しく悪夢ではなく、暖かな日々の良い記憶の夢だ。


 人里離れた場所、静寂な森に囲まれた湖畔に佇む一軒家。


 その庭で久しぶりに帰ってきた父に魔法の訓練をつけてもらっていた時の記憶。


「いいか? 魔法ってのは心で放つんだ」


 湖へと向かって手を突き出す父の両肩に手を置いて父が言う。


 魔法は心で放つ。


 父が俺に魔法の訓練を課す際に、口癖のように言っていた言葉だ。


「心で……放つ……」


 幼い俺が復唱する。


 周囲の魔素がその身体へと取り込まれ、体内で魔力として練り上げられていく。


「《飛翔する水球アクア・スパエラ・フーガ》」


 そのまま三種のルーンを組み合わせた呪文が詠唱される。


 突き出された手の前方から子供の頭部ほどの大きさの水球が湖面へと向かって放出された。


 衝突した箇所から巨大な破裂音が鳴り響き、一帯に雨のように水が降り注ぐ。


「よし、出来たじゃないか。流石は俺の息子だな」


 父が自分と同じ黒髪をグシャグシャと撫でる。


 顔には爽快な笑顔を浮かべ、心から息子の成長を喜んでいるのが分かる。


 一方で俺は、そんな父とは真逆に口を尖らせて不満げにしていた。


「でも、父さんは同じくらいの年でもっと出来たってみんな言ってるもん。それに比べたらさっきのなんて……」


 内に燻ぶらせている感情を吐露される。


 当時の俺は少年時代の父を知る人たちから、その逸話をよく聞かされていた。


 初めて剣を握った日に剣術師範から一本を取った。


 九歳にして無詠唱の第五位階魔法を使えた。


 図上演習で見せた兵機が翌月の実戦で採用された。


 ……などなど、今思えば盛られていた話も多かったとは思う。


 しかし、そこまで至らない当時の自分が劣等感を抱くには十分だった。


「そんなことないぞ。お前くらいの年齢で第三位階魔法が使えるなんてすごいんだから自信を持て」


 少し水で濡れた頭が大きな手で更にくしゃくしゃにされる。


「それにな。剣術や魔法の実力だけが世の全てじゃない。他にも大事なことだっていっぱいある」

「でも、お前も父さんみたいになるんだってみんな言ってるし……」


 若くして対魔族の重要な役割を担う部隊の隊長として抜擢された父のようになれ。


 会う人々から数え切れないほど言われ、俺自身もそうなりたいと思っていた。


「俺はそんなことを言った覚えはないけどな。俺の後を追う必要なんてないんだから、お前はお前の好きなように生きればいい。母さんに似て手先が器用だし、魔工学技師なんてどうだ? 大勢の人の役に立てる立派な仕事だぞ」

「嫌だ。俺も父さんみたいに強くなって魔族をいっぱい倒す」


 別の道を薦める父に対して、意固地になっていた俺は毎回そう言い返していた。


 教師となった今でこそ父が抱いていた感情の一端を理解できるようになったが、当時の俺には才能がないと言われてるような心地だったのかもしれない。


 その後に父が困ったような悲しんでいるような顔をするまでがお決まりのやり取りだった。


「だから今日は四つ繋いだ魔法が出来るまでやる!」

「……ったく、でもその負けん気の強さは間違いなく俺譲りだな。なら、今度はその強情さを魔法に乗せてみろ。魔法ってのは心で放つもんだからな」


 またあの言葉が紡がれる。


 今の自分が生徒に教える時には絶対に使わないであろう感覚派の極致のような言葉。


 実際に父も、母からはもっと理論的に教えてあげればいいのにとよく窘められていた。


 元魔工学技師の母は父とは逆に、感覚よりも理論を重視するタイプの人だった。


 今の俺も母の考え方に近い。


 大昔のまじないの一種だった頃とは違い、現代の魔法は理の積み重ねによって成り立っている。


 平静を乱す余計な感情はむしろ行使の邪魔になるとさえ言われている。


 にも拘らず、父によく教えられたこの言葉だけは今も俺の胸に強く刻まれていた。



*****



 翌朝、目覚めてからすぐに資料庫で例の秘儀に纏わる情報を探し続けた。


 この数日で山のようにあった資料の数割程度は読み終えたがめぼしい情報は見つからずに手記の発見以降は大きな進捗を得られていない。


「ん~……なかなかそれっぽいのが見つからないわねぇ……」


 隣ではイスナが今日も資料探しを手伝ってくれている。


 時々愚痴を漏らしながらも、こうして毎日手伝ってくれるのはありがたい。


 それに助手としても優秀だ。


 俺には分かりづらい魔族界特有の言い回しなども聞けばすぐに教えてくれる。


「でも、過去に発現出来た者が一人もいないなら秘儀として伝わるわけがない。きっと、どこかに何かの手がかりはあるはずだ」


 言いながら、手元の資料を捲っていく。


 現代まで秘儀として伝わっている以上は過去にも発現した者が存在しているはず。


 しかし、もはやおとぎ話の類とも言える古い伝承も調べているがそれらしい情報は全く見つからない。


「あっ、また雷の槍がまた出てきた。これはちらほら出てくるのに……」


 イスナが言うように伝承では時折、かつて竜人族を統べた者が使っていた魔法の武器に関する記述が出てくる。


 紫電の槍、氷塊の斧、暴風の弓……。


 それらはどれもが理外の力を持ち、中には時の魔王の称号へと迫った者の記録もある。


「物理的干渉を起こすほどの高密度な属性魔素を持つ魔法武器って意味ではアンナが使う炎の剣と共通してる部分はあるけど、それ以外は属性も形状も何もかも違うからな……」

「同一のルーンから別の魔法が出てくるわけないものねー……」

「同一のルーンから別の魔法は出ない……いや、待てよ……」


 ルーンと魔素の結合や魔力の増幅の巧拙で規模の大小はあれど、全く別の魔法が出てくることはありえない。


 だが、イスナのその言葉が心の端に引っかかるような感覚を覚えた。


 それが何に引っかかったのか、自らの内心を紐解いていくとあの言葉に行き当たった。


『魔法は心で放つ』


 父から魔法の訓練を課された際に、何度も教えられた言葉だ。


「そうか……その可能性があるのか!」

「きゃっ! び、びっくりしたぁ……急に大声出さないでよ……」

「す、すまん……。いや、俺たちはもしかしたら大きな勘違いをしてた可能性があるんじゃないかって思ってな」

「勘違い?」


 驚いて崩した体勢を戻しながらイスナが尋ねてくる。


「そうだ。アンナの例だけを見て、俺はあの魔法が炎の剣を発現させる魔法だと思い込んでしまってたんだ」

「思い込むも何も……現に炎の剣を生み出してるじゃない」

「それはそうなんだが、もしそれがあの魔法の一側面でしかなかったとしたら?」

「一側面でしか……?」


 俺の言葉を聞きながら、イスナがより深く考え込む仕草を見せる。


 これが授業なら同じ答えに辿り着くまで待つが今はそうしている暇はない。


「行使者の性質によって異なる武器を発現する魔法だってことだ」

「あっ……」


 全て合点がいったように口を開けるイスナ。


「だとしたら炎の剣って形で記録に残っていないのも当然だ。これまでにその形で発現させたのがアンナだけだったのなら」

「確かにありえない話じゃないわね。でも、そうだとしたら発現される属性と武器は何に基づいてるのかしら……髪が赤いから炎……?」

「流石にそれはないだろ……でも、大体目星はついてるかもしれない」

「目星? 何なの?」


 僅かな好奇心を覗かせながらイスナは尋ねてくる。


 ルーンと呼ばれる言語系が生まれるまで、魔法は個々人が持つ想見によって行使されていた。


 想見には当然、人が持つ感情や思想の類も含まれる。


「魔法ってのは心で放つんだ」


 胸を拳でとんと叩きながら、かつての父と同じ言葉を口にする。

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