第3話:オスとメス

 ――新たな課題を告げられた日の夜。


 翌日から再開される授業に備えて、俺は自室で今後使う教材の準備を行っていた。


「ねぇ、退屈なんだけど~……」

「だったらさっさと自分の部屋に戻って明日に備えて寝ろ」


 背後から構ってオーラ全開で話しかけてきたイスナに向かって言う。


 毎晩俺の部屋で過ごすのが当たり前のようになってしまっているが、一度強めに諌めるべきかとそろそろ思い始めた。


 いくら何もないとはいえ、嫁入り前の若い娘が夜遅くまで男の部屋で過ごすのは不健全でしかない。


「自分の部屋に戻っても退屈なのには変わりないも~ん」


 人のベッド上でごろんと寝返りをうつ。


 ここに来たばかりにはあった他人を寄せ付けない高潔さはもはや欠片もない。


 日を追う毎に子供っぽく、母親に似ていく。


 姉妹の中ではサンが一番子供だと思っていたが、今はこいつもかなり低い位置で争っている。


「だったら妹にでも相手してもらえ。それかにな」

「みんな自分の部屋に閉じこもって何か考えてるみたいだし」

「……ならお前も先のことを考えろ。今日ロゼに言われた事はちゃんと考えてるのか?」

「考えてるわよ。ていうかもう決まってるもの」


 そう言いながら再び寝返って俺の方へと向き直る。


「決まってるって……次の目標がか?」

「うん、貴方の正妻になること」


 これ以上にないくらいの満面の笑みで即答される。


「馬鹿なこと言ってないで真面目に考えろ。真面目に」


 一瞬たりともまともに取り合わず、再び教材の準備へと戻る。


 そんなことを言いそうだと思っていたのでいちいち大げさな反応もしない。


「何よその顔~、私は大真面目に言ってるのに」


 ベッドの上で身体を起こし、ムッと不満げに頬を膨らませるイスナ。


「冗談じゃないなら尚更ダメだ。俺は教師で、お前は生徒だ。まかり間違ってもそういうことにはならない」

「ふ~ん……教師と生徒……ねぇ……」


 今度は艶めかしい声でそう言いながら、しっとりと身体を寄せてくる。


「でも、その前に男と女……オスとメスよね? この自慢の身体……貴方だけは好きにできるのよ……? オスの欲望に任せて滅茶苦茶にしたいとは思わないの……?」


 ぼうっと夢魔特有の精神に干渉する特殊な魔素と甘い匂いが漂う。


 下着同然の服に包まれた発育の良い上半身が俺と資料の間に割り込んでくる。


 続きは貴方がと言わんばかりに、肩紐は半分だけ抜かれている。


「ねぇ……どうなの……?」


 挑発的な切れ長の目でじっと見つめられる。


 妖艶な色の浮かぶ瞳には俺の困り顔が映っている。


「……あんまり困らせるならこの部屋の出入り禁止にするぞ?」

「あーん、ウソウソウソ! いや、滅茶苦茶にされたいのは嘘じゃないけどもう困らせないからそれだけは許して!」


 半分ほど本気の怒気を込めた忠告に、大慌てで魔法と身体が引っ込められる。


「二度はないからな」


 もう一度、普段よりもキツめに釘を差しておく。


 教え子とそういう関係になるのはありえないが、しもの夢魔相手では億が一がないとも言い切れない。


 日に日に色気と精神魔法の練度を増していくこいつ相手に油断は禁物だ。


 今はまだ言葉だけで大人しくなってくれて正直ホッとしている。


「ねっ、それより何を作ってるの? 私にも手伝わせて?」


 対面の座席に移動したイスナが服装を正しながら机の上に広がった資料に興味を示す。


 あからさますぎる話題逸しとご機嫌取りだが、誘惑されるよりはましかと一旦怒りを収める。


「歴史の資料を確認してるんだよ。人間界と魔族界じゃ同じ事柄に対してでも認識が全く違ったりするからな。向こうじゃ英雄扱いの人間が、こっちじゃ仇敵として記されてる」


 いくつかの資料を示しながらイスナに説明する。


 歴史や文化など双世界で異なるものは多数があるが、特に認識が異なるのは勇者と魔王。


 各々の世界における英雄たちに纏わる記述だ。


「……ルクス・メサイアね」


 イスナの口から忌々しげに、二つの世界の間で最も認識の異なる男の名が紡がれる。


「知ってるのか?」

「当然でしょ。私たちからしたら仇敵なんて言葉ですら足りないわよ。お父様を殺されかけてるんだから……」

「それは、そうだったな」

「人間の世界だと、あれが英雄として崇められてるんでしょ?」

「ああ、国王の名前は知らなくても勇者ルクスの名前は誰でも知ってるくらいにな」


 ルクス・メサイアは魔族の仇敵……そして、人類の英雄。


 彼が『勇者』の称号を得るに至った出来事は人間界の歴史書にこう記されている。


 軍とは異なる命令系統を持つ国王直属の独立部隊――魔族界の重要人物の暗殺や重要施設の破壊を主に行うことから過去の英雄譚になぞらえて『勇者一行』と呼ばれる部隊があった。


 個人として勇者の称号を得る以前から、その部隊の副隊長として名を馳せていたルクス。


 ある日、彼は同隊の隊長が魔族と内通して人類を脅かそうとしている事実を知る。


 親友でもあった隊長の裏切りは仲間たちに大きな衝撃を与えた。


 しかし、彼らは絶望に暮れるよりも先に人類を守るための行動を起こす。


 隊長の裏切りを逆手に取り、欺瞞情報によって魔王軍を罠にかけたのだ。


 そして仲間たちと共に魔王の軍勢に大打撃を与え、更には魔王に対してもその力を大きく削ぐ一撃を見舞った。


 魔王の打倒こそならなかったが、その行動により人類は過去類を見ないほどの大きな活動圏を取り戻した。


 ルクスを始めとした五人の中心人物にはそれぞれ『勇者』『賢者』『大魔導』『拳聖』『戦士』の称号と爵位が拝名され、今や国王をも超えるほどの権威を有している


 古いおとぎ話ではない。ほんの十数年前に生まれた英雄譚だ。


 十年前に設立された次代の英雄を育成する機関――半年前まで俺が勤めていた学院にも彼の名が刻まれている。


「ふ~ん……なんかやな感じね。貴方と出会って、人間だからって全員が敵とは思わなくなったけど……。やっぱり、根本的な部分では相容れなさそう」


 吐き捨てるように言うイスナ。


 そう、人間と魔族では根本的な認識が異なる。


 だからこそ知れる事実があるはずだと考えて俺はこの仕事を受けた。


「なあ、その時の話……もう少しだけ詳しく聞かせてもらっていいか?」

「え? その時の話って……」

「……お前らの父親、魔王ハザールが勇者ルクスにやられた時の話だ」


 当事者の娘に対して、浅慮な要求だというのは分かっている。


 それでも聞かずにはいられなかった。


 俺の探している答え。


 歴史には記されていない真実の一端が何か掴めるかもしれないのなら。

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