第1話:これからのこと

「ふぁ……」


 ここ数日の疲れがまだ抜けていないのか、朝食の場でサンが小さなあくびをした。


 しかし他の皆も同様に疲れが残っているのか、それを咎めるものはいない。


「はぁ……、本当に……お母様たちの相手は試験より疲れたわね」


 隣でスープを啜っているイスナが呟いた。


 その顔にも言葉通り、疲労の色が濃く浮かんでいる。


「ねえねえ」

「ん? なんだ?」

「試験は終わったけど、あたしたちってこれからどうすればいいの?」


 あくびをし終えたサンが俺に対してそう尋ねてくる。


「それは……次の試験に備えるんじゃないのか?」

「え……ええー!? またあるの!?」


 サンが椅子から立ち上がりそうな勢いで身体を前に乗り出して言う。


「一回で終わりとは聞いてないからな。規模は全く違うけど人間の学校でも試験ってのは通年で何度も行われるもんだ」


 はっきりと聞いたわけではないが、あの一回で全て終わりという事もないだろう。


「うむ、私たちが揃ってここに戻らされたという事はそう考えるのが妥当だろう」


 出された分の朝食を食べ終えて、食後のお茶を飲んでいるアンナが冷静に言った。


 そう、全員が屋敷に戻されたことだけではない。


 俺がここに残されていることも、教育係の仕事がまだ終わっていない証左だ。


「えー……、まだ勉強しないといけないのー……やだな~……」


 テーブルの上に行儀悪く突っ伏しながら、サンが不満げに口を尖らせる。


「で、でもサンちゃん。まだ終わってないから私たちもこうして一緒に居られるんじゃないかなー……って」


 真っ先に食べ終えたフィーアの隣で、まだ食事中のフェムが小さく頷いている。


「あっ、そっか……試験が無くなったら、みんな離れ離れになっちゃうのか……」


 サンがその事実に今更気づいたように少し寂しそうに呟いた。


 皆が一人前になれば、それぞれにこの魔族界での役目が出来る。


 そうなればこうして毎日顔を合わせることがなくなる機会もなくなる。


 そして、それはいずれ必ず訪れる。


「離れ離れと言っても、命令系統の関係で頻繁に顔を合わせる事になるだろう。そう寂しがる事もあるまい」


 実は猫舌なのか、湯気の立っている茶をちまちまと飲んでいるアンナが言う。


「んー……あたしたちはそうかもしれないけど……、フレイは?」

「ん? 俺?」

「うん、あたしたちの試験が全部終わったら。フレイは人間界に帰っちゃうの?」

「それは……」


 突然の質問を受けて、答えに窮する。


 俺は単なる雇われ教師としてここにいる。


 試験が全て終わればその役割も終わりになれば、ここにいる理由も当然なくなる。


「まあ、試験が全部終わったならそうなるだろうな」


 それをはぐらかす事なく答えた。


 教師というのは若者の道中を導く仕事であって、その先にまではついていかない。


「やっぱり、そうだよねー……。なら、わざと試験に落ちちゃおうかなー……」

「おいおい、そんなことしたらクビになって尚更ここに居られなくなるだけだろ」


 とんでもない事を言い出そうとしたサンを諭すように言う。


 俺との別れを惜しんでくれるのは嬉しい話だが、ちうまでも教師離れ出来ないのは困る。


 この子たちには将来的に魔族を率いる立場になるはずだ。


 そんな者がいつまでも教育係にべったりでは現場の士気にも関わる。


「そうよ、サン。あまり彼を困らせるような事を言わないの……」

「そうだ、それに今からそんな事を考えるよりは……って、どうしたんだ?」


 隣から俺に助けを出すような言葉を口にしたイスナの方を見ると、彼女はわざとらしくその視線を反らした。


 しかし、全く隠しきれてないその目からは涙が滝のように流れているのが見える。


「ど、どうもしてないわよ……」

「いや……お前……めちゃくちゃ泣いてるじゃないか……。どうしたんだ? 目にゴミでも入ったのか?」

「だ、だって……貴方がいなくなるなんて……分かってたけど……考えないようにしてたのに……ひくっ……急に……そんな話をするから……」


 イスナはそう言って、今度は嗚咽まで漏らし始めた。


「イ、イスナ姉……?」

「お姉ちゃん……」


 姉妹たちも普段は気丈なイスナが突然泣き出した事に呆気に取られている。


「ね、姉さん。私達が一人前になるなんてまだまだ先の事ですから、大丈夫ですよ」


 励まそうとしているのは分かるがそれはそれでどうなんだフィーアよ。


「そ、そうだ。今日明日って話でもないんだから何も今泣くことは……」


 隣でまだすんすんと泣いているイスナを宥める。


 しかし、いつもすました感じのイスナが俺が居なくなる事を考えただけでこうも泣くとは意外と可愛らしいところもあるもんだな。


「貴方が居なくなったら一体誰が私の首を絞めてくれるのよ~! うえ~ん!」


 イスナは机に突っ伏しながら、そう言って大泣きしはじめる。


「いや、居てもそんなことは絶対にしないからな……」


 前言撤回、全くもって可愛らしくは無かった。


「でもさー、別にずっとここに居ればいいんじゃないの? 教える事が無くなってもさ」


 すんすんと泣き続けるイスナを横目にサンが話を戻す。


「そうよ! それよ! 良い考えだわ! サンにしては良い事言うじゃないの! 私がずっとご飯を作ってあげるから! ね!?」


 イスナが勢いよく顔を上げてサンの意見に同調する。


「それじゃあただのヒモ男だろ……。それだけはありえん」


 しかも教え子のヒモなんて流石に業が深すぎる。


 そもそもあの父親がそんな事を許すとは到底思えない。


「えー、いい考えだと思ったんだけどなー」

「どこがだ。俺がいなくなるってことはお前らが一人前になるってことなんだから、その時は大いに喜べばいいだろ」

「それはそうだけどさ。それにしてもなんでそんなに帰りたがるのさ。もしかして、実は向こうに……恋人でもいるとか~……?」


 サンがそう言いながら、ニヤーっといやらしい笑みを浮かべた。


「こ、恋人!?」

「……恋人」


 フィーアやフェムまでもが大きく見開いた目を向けてくる。


「な、何よそれ! 聞いてないわよ!」


 イスナに至っては俺の胸ぐらへと猛烈な勢いで掴みかかってきた。


「お、おち、落ちつ落ち着け!」


 胸ぐらを掴まれてぶんぶんと身体を前後に揺らされるせいで上手く発声が出来ない。


「私とは遊びだったの!? あの熱い夜の出来事も!?」

「そもそもお前とは別に何もない! というか向こうに恋人なんて居ない! サン! 適当な事を言うな!」

「あっ、そうなの……」


 イスナが俺の胸元から手を離す。


 泣いていたと思ったら、今度は怒ったりと忙しい奴だな本当に。


「なーんだ……」


 とんでもないところから火をつけてきたサンがつまらなさそうに言う。


 それと何故かは分からないがフィーアやフェムの方からほっとしたような音が聞こえた。


「ふっ、甘いな……イスナも……」


 そんな中で、アンナだけが一人で優雅にまだ茶を啜っている。


 流石は長女だ。


 無秩序な混乱の中でも落ち着いている。


「な、何がよ……」

「仮にフレイに恋人がいたとしても、そこまで動揺する必要はないという事だ」

「貴方には関係ないかもしれないけど。私には大問題なのよ」

「それが甘いというのだ……」


 アンナがコトっと音を立ててカップをテーブルの上に置く。


「仮にそうだとしても! 我らが父母のように皆でまとめて娶ってもらえば良かろう!」


 そして、とんでもない事を言い放った。


 お前だけは普通だと思っていたのに……。


「……確かに!」


 いや、お前も納得するなよ。


「で、でも正妻は私なんだから!」

「わ、私は別に何番でも……」

「私も……」


 何故かフィーアやフェムまでとんでもない与太話に加わってくる。


「じゃあ、あたしは三女だから三番!」


 サンに至っては何の話なのか分かっていないだろ。


「いや、何番も無いからな……俺はお前らの親父と違って普通の男なんだから……」


 あんな破天荒な父親と同じ事をやれと言われても俺には無理だ。


 それに俺の目的を考えれば恋人なんて作ってる暇はない。


「じゃあさー、どうして帰りたいの? だって、向こうから追い出されてきたんでしょ? 普通なら自分を追い出した奴らのとこに戻りたいなんて思わなくない?」


 サンが歯に衣着せずに俺に向かって言った。


 その目からは理由を聞き出すまでは絶対に引き下がらない強い意志が感じられる。


「それはそうかもしれないけど、俺にも事情がだな……」

「事情って?」

「それはだな……」


 どうやってこの場を凌ぐかと考えたのと同時に、入り口の扉がゆっくりと開かれた。


「失礼します」


 食堂へと入ってきた救いの女神、もといロゼが俺たちに向かって恭しく一礼する。


 続けて空になった食器と俺たちを見据えながら言った。


「ご朝食はお済みになられたようですね。では、これからお嬢様方の今後についてお話させていただきます」

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