第65話:あの程度

 アンナが舞台の上に姿を現す。

 来賓席を見ていたマイアもその方向へと向き直り、互いに向かい合う形になる。


 そうして二人が所定の位置へと着いた。


 まだ試合は始まらない。


 ただ、マイアの口元だけがせわしなく動いている。

 歓声に紛れてその声は全く聞こえてこないが、何を言っているのかは大体想像がつく。


 どうせ貴族だの高貴だの、平民だの低俗だのと言っているのだろう。


 対するアンナはマイアの口から紡がれている言葉に全く興味を示さず佇んでいる。


 それでもマイアはまだ口上を続けている。


 あっ、今微かに平民って聞こえた。


 数分後、言いたい事を言い終えたマイアが試合開始に備えて剣の柄に手を添える。


「それでは! 準決勝第一試合!」


 直後、告知係を務めている女性の増幅された声が場内に響く。


「ミラジュ学院アンナ選手とルクス学院マイア選手の試合……開始です!!」


 試合開始の合図が響き渡ると同時に先手を仕掛けたのはマイア。


 素早い手付きで腰に携えられた装飾過多な趣味の悪い鞘から剣が引き抜かれる。


 そのまま一直線にアンナへと斬りかかった。


 身体の回転を利用した左上からの袈裟斬り。


 それは単純な剣技だけではなく、風の魔力を帯びている高速の剣閃。


 アンナは軽く後方へと跳んで、それを紙一重のところで回避した。


 マイアは更に追撃を重ねて、畳み掛けようとする。


「ふむ、なかなか速いな。なるほど、これまでの相手とは一味違うというところか」


 アンナは感心するような口調でそう言いながら、悠々とマイアの攻撃を避け続ける。


「低俗なネズミのようにちょこまかと! ですが、まだまだ! 私の力はこんなものではないですわよ!」


 マイアがそう言うと同時に両手で握られた剣へと向かって更に大きな魔力が流れ込む。


 強大な風の魔力を帯びた長剣が最上段の構えからアンナへと向かって一気に振り下ろされた。


「いや、もうそのくらいで十分だ」


 金属が弾けたような甲高い音。


 マイアの腕の動きがアンナの肩から腰にかけてを切り裂くような軌跡を辿る。


「あ、あれ……?」


 だが、その渾身の一撃は何も斬ってはいない。


 目標を斜めに両断する程の勢いで振り抜かれたはずの剣は、彼女の手に握られていない。


 それがどこに消えたかと言えば――


「よっ……と」


 まるで当然のように空から降ってきたその長剣をアンナが掴み取った。


「ふむ、随分と豪勢な鞘に包まれていたのでどんな素晴らしい剣かと思ったが……。豪華なのはガワだけで中身は他と同じ玩具か……」


 アンナが左手に持ってまじまじと観察しているのは、競技用に殺傷能力が削がれた長剣。


 それはつい先刻までマイアが振るっていた物だった。


 右手には自身に充てがわれた競技用の長剣が握られている。


 それがいつの間に抜かれたのか。


 今の一瞬で何が起こったのか。


 会場にいる者のほとんどの理解が追いついていないだろう。


 やられたマイアですら何が起こったのか全く理解出来ていないのか、高貴さの欠片もない呆けた顔でアンナを眺めている。


 だが起こった事はそう複雑ではない、むしろ単純だ。


 マイアによる風の魔力を帯びた超高速の一閃。


 それをアンナは更に速い居合いからの斬撃で弾いただけの話だ。


「え? そ、それ……わたくしの……?」

「ん? ああ、すまない。返そう」


 アンナが剣を取ってしまったことを申し訳無さそうに、それをマイアへと投げ返した。


「それから、先に謝っておこう。君は非常に小賢しいと聞いた。故にこの試合での勝利を確実なものとするために……少し乱暴なことをさせてもらう」

「……は? 貴方、一体何を仰って……」


 アンナが何故かマイアに向かって謝罪の言葉を紡ぐ。

 マイアはそんなアンナに対して不可解な表情を向けている。


 俺もアンナが何をしようとしているのかは分からない。


「え、ええい! とにかく仕切り直しですわ! 平民相手にこのような不覚は二度と起こりませんわよ!」


 再び向かい合った二人の距離は試合開始時とほぼ同じ。


 しかし今となっては両者の実力差は歴然、火を見るより明らかだった。


 だがマイアはそれに気づくことすら出来ないのか。


 それとも気づいた上で引き下がる事が出来ないのかは分からないが再び剣を構える。


 そのまま、また懲りずに風の魔力を長剣に纏わせる。


 対照的にアンナは、まるで一度でも抜いてしまった事ですら不本意であるかのように剣を鞘へと戻した。


「こ、このぉ……平民ごときが私を舐めるのも……大概になさい!!」


 そんな屈辱的振る舞いを受けたマイアは大きな怒りを見せてアンナへと突貫する。


 そして、また高速の一閃が放たれようとしたその瞬間――


 彼女の腹部に足刀蹴りが深々と突き刺さった。


 威力を想像するだけでも悶絶しそうになる見事な返しの一撃。


 自身の突進力が最大になった瞬間に、その勢いをそのまま利用された一撃を受けたマイアは後方へと吹き飛んだ。


「へぶっ! ぎゃっ! う゛に゛ゃっ!」


 試合の舞台でもある石板の上を水面を切って飛ぶ小石のように跳ねながら二転三転して、そのまま場外へと転がり落ちた。


「……しまった。やりすぎたか?」


 蹴りを入れた体勢で止まったまま、アンナは言葉通りの表情をしている。


 観客、判定員だけでなく来賓たちも目を丸くして吹き飛んでいったマイアの方を見ている。


 アリウスに至っては口を大きく開いたマヌケ面を晒している。


「しょ、勝負有り!」


 判定員から決着を告げる合図が告げられる。


 誰の目から見てもはっきりと分かる場外。


 確かにそれは文句や不正に入る余地のない完勝だった。


 救護班が大慌てでマイアの元へと駆け寄っていく。


「ふ、触れ……わた……しに……穢らわ……いっ! 穢らわしい手で……ぐっ……触れ……いで……んっ……」


 場外へと吹き飛んで倒れているマイアは流石というべきか、まだ意識はあるようだ。


 身体はボロボロだが、その肥大化した自尊心だけはピンピンした状態で救護班に対して悪態をついている。


 そんなマイアの声がしっかりと聞こえる程に観客は沈黙している。


 その沈黙は、もしかしたら今年は大番狂わせがありえるんじゃないかという期待に依るものに違いない。


「わた……しが……また……負……け……。けっ……しょうで……あの女……に……こん、どこそ……」


 マイアはまだ今起こった事が受け止めきれていないようだ。


 苦痛と呆然が同居した表情でそう呻きながら、救護班によって為すすべもなく担架に乗せられていく。


「え、えーっと! それでは! 勝者のアンナさんに今のお気持ちを聞きたいと思いまーす!」


 進行を務めている女性がアンナの側へと駆け寄って、音声増幅の魔道具をその口元へと向ける。


「ん? なんだこれは……おお! 声が大きくなるのか! すごいな! へー……ほー……」


 未知の道具を前にして、マイアを相手取った時よりも遥かに興奮しているアンナ。


 進行係の女性はそんな彼女を微笑ましい表情で見ている。


「あはは……、それでは決勝戦へと一足先に駒を進めたご気分はいかがでしょうか?」

「気分か……そうだな……」


 アンナは腕を組み、顔を伏せて考え込む仕草をする。

 それから舞台の裾を通って運ばれていくマイアを一瞥して、ゆっくりと口を開いた。


「どんな強者がいるのかと思って遥々とやってきたが、非常にガッカリしている」


 そして、躊躇なくそう言い切った。


「とにかく皆、弱い! あの程度の者が相手では殺してしまわないように手加減する事が勝つよりもよっぽど難しかったぞ」


 あの程度の者と呼んでアンナが示したのは、担架の上に乗せられて運ばれていく紫髪の少女。


 元々凍りついていた来賓席と担架の上の温度が更に下がっていくのが分かる。

 アリウスは顔を青白く変色させて、担架の上で喚いているマイアをその目で追っている。


 そんな様子を見て、俺は周りから怪しまれないように笑いを堪えるので精一杯だった。


「決勝戦ではもう少し骨のある相手と戦える事を期待している。以上だ」


 アンナがそう言って女性からの聞き取りを打ち切る。


 同時に凍りついた来賓席を溶かす程の熱気が会場を包んだ。


 歓声だけではなく、口笛の音や一体どこから持ち込んだのか太鼓のような音まで鳴り響いている。


 そんな中、身体だけでなく自尊心すらボロボロにされてしまったマイアは担架の上で激しく喚きながら会場外へと運び出されていった。

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